第二十二章 閉ざされた記録
久世灯里は、研究施設の地下資料室にいた。
机の上には、十年前の実験記録が数冊並んでいる。
父親が亡くなった事故について調べ始めてから、何度もここへ足を運んでいた。
しかし、閲覧できる資料には限りがある。
重要な記録ほど、アクセス権限が制限されていた。
灯里は端末に表示された資料番号を確認した。
今回調べたいのは、十年前の実験における個体00の活動記録だった。
彼女は閲覧申請を送信した。
数秒後、画面に回答が表示された。
閲覧権限がありません。
灯里は画面を見つめた。
「また……」
これまでにも何度か同じ回答を受け取っている。
しかし、今回は少し違った。
資料の存在そのものは確認できた。
つまり、記録が失われたわけではない。
誰かが管理し、閲覧を制限している。
*
「久世さん」
背後から声がした。
振り返ると、研究施設の職員が立っていた。
「その資料については、以前も説明したはずです」
「閲覧できない理由を、もう一度確認したいんです」
「現在の研究業務に必要な範囲を超えています」
「十年前の事故に関係する記録です」
「その件については、すでに調査が終了しています」
灯里は職員を見た。
「終了しているなら、どうして記録を閲覧できないんですか?」
「情報管理上の問題です」
「具体的には?」
職員はすぐには答えなかった。
「久世さん。あなたが知りたいことは理解しています。しかし、個人の判断で閲覧できる資料ではありません」
「父の名前が関係していても?」
「……それとこれとは別です」
職員はそれ以上説明せず、資料室を出ていった。
灯里は再び端末を見た。
父親の死について、まだ分からないことが多すぎる。
そして、00という個体についても。
*
同じ頃、特殊緊急防衛隊には新たな出動要請が入っていた。
山間部の道路で、複数の車両が立ち往生しているという。
道路の一部に大きな岩が落ちており、その周辺で大型の生物が目撃された。
「落石事故の可能性もあります」
隊員が報告する。
「目撃された生物との関係は?」
「分かりません。ただ、道路脇の斜面に大きな足跡が残っているとのことです」
「現場を確認する。車両の通行は警察に止めてもらえ」
湊たちは装備を確認し、現場へ向かった。
*
山道に到着すると、道路の中央に大きな岩が転がっていた。
その先には、数台の車両が停まっている。
警察官が運転手を誘導し、安全な場所へ移動させていた。
「けが人は?」
隊長が確認する。
「今のところいません。ただ、車両の一台が岩を避けようとして、路肩に乗り上げています」
「分かった。まず人員を退避させる」
湊は道路脇の斜面を見上げた。
木々の間に、大きな影が動いた。
「隊長、あそこです!」
影はゆっくりと姿を現した。
背中には不規則な突起があり、身体の表面は硬い外殻に覆われている。
以前、山間部で目撃された大型個体に似ていた。
「距離を保て。刺激するな」
隊長が指示する。
大型個体は道路上の岩を見た。
それから、防衛隊の隊員たちへ視線を向けた。
低い音が山の中に響く。
「威嚇しているように見えます」
「まだ判断するな。住民の退避を優先しろ」
湊は車両の陰にいた運転手へ近づいた。
「こちらへ移動してください。道路から離れます」
「向こうにいるのは何なんですか?」
「現在確認中です。今は安全な場所まで移動してください」
運転手は不安そうに斜面を見た。
湊は相手を急かさず、警察官と協力して退避を進めた。
*
そのとき、斜面の反対側から別の影が現れた。
人型だった。
大型個体とは異なる姿をしている。
人型の個体は斜面を下り、道路上の岩に近づいた。
「新たな個体を確認!」
隊員たちが警戒する。
大型個体も、その存在に気づいた。
二体は互いを見ていた。
しかし、すぐに攻撃することはなかった。
人型の個体は岩のそばに立ち、道路の先を見ている。
大型個体は少し離れた場所で動きを止めていた。
「二体の間に敵対行動は見られません」
「観察を続けろ。ただし、こちらへの危険があればすぐに対応する」
湊は二体を見ていた。
以前も山間部で、大型個体と人型の影が同時に目撃されたことがある。
今回も同じ関係なのだろうか。
いや、まだ分からない。
人型の個体は岩に手を触れた。
その表面がわずかに変化する。
岩の一部が崩れ、小さな破片が道路の端へ転がった。
大型個体は動かなかった。
人型の個体は、もう一度岩に触れた。
しかし、大きな岩そのものが動くことはなかった。
「何をしているんだ……?」
湊が小さくつぶやく。
やがて人型の個体は手を離した。
大型個体は斜面の上へ向きを変えた。
二体は別々の方向へ移動し始めた。
「追跡しますか?」
隊員が尋ねる。
「周辺の安全を確保する。道路の復旧も必要だ。追跡はしない」
隊長の判断により、防衛隊は現場に残った。
*
調査の結果、道路上の岩は斜面から落下した可能性が高いことが分かった。
ただし、落石の原因と二体の個体の行動との関係は特定できなかった。
湊は現場で撮影した映像を確認していた。
「人型の個体は、岩を動かそうとしていたようにも見えました」
「そうかもしれない。ただ、目的は分からない」
「大型個体も、攻撃しませんでしたね」
「今回の状況ではな。別の状況でも同じとは限らない」
隊長は記録を保存した。
「二体の関係についても、推測で決めつけないようにしろ」
「分かりました」
湊は画面を閉じた。
同じ場所にいたからといって、仲間だとは限らない。
互いに攻撃しなかったからといって、協力していたとも限らない。
ただ、二体はそれぞれ自分の行動を選んでいた。
*
夜。
財閥の研究施設では、山道で撮影された映像が分析されていた。
「大型個体と人型個体が同じ場所に出現しています」
「接触はあったか?」
「明確な接触は確認できません。少なくとも、互いに攻撃する様子はありませんでした」
「同じ種群の個体同士である可能性は?」
「現段階では判断できません」
責任者は映像を止めた。
「二体の行動を個別に分析しろ。集団行動と判断するのは早い」
「了解しました」
研究員は映像を保存した。
画面には、岩の前で立ち止まる人型の個体が映っていた。
その身体が一瞬だけ変化する。
しかし、何が起きたのかはまだ分からない。
*
灯里は自宅で、父親の資料を読み直していた。
今日、閲覧を拒否された00の資料。
そして、山間部で確認された複数の個体。
彼女は古い研究記録の中から、ある記述を見つけた。
――個体同士の反応は一律ではない。接触しないことも、敵対しないことも、それ自体が関係性を示すとは限らない。
灯里はその文章を見つめた。
父親は、個体同士の関係についても慎重に考えていたようだった。
彼らは同じ種に属している。
しかし、それだけで同じ目的を持つわけではない。
彼女は資料を閉じた。
十年前の事故と、現在起きている現象。
それらをつなぐ情報は、まだ断片的だった。
それでも、調べるべきことは増えている。
*
山の奥。
大型個体は木々の間を進んでいた。
人型の個体は、別の方向へ歩いている。
二体は同じ場所にいたが、互いについて何かを確かめようとはしなかった。
やがて、距離が離れていく。
大型個体は立ち止まり、背中の突起をわずかに動かした。
人型の個体は振り返らなかった。
それぞれが、別の場所へ向かっていった。




