第十六章 流れていくもの
市内を流れる河川で、奇妙な目撃情報が寄せられた。
夜間、川の中央付近に人影のようなものが立っていたという。
最初に発見したのは、近くを通りかかった住民だった。
水深は浅くない。
それにもかかわらず、人影は流されることなく、水面に立っているように見えたらしい。
通報を受けた警察は、念のため周辺の立ち入りを制限した。
特殊緊急防衛隊にも連絡が入り、湊たちは現場へ向かうことになった。
*
「水辺での目撃情報か」
車内で隊長が報告書を確認していた。
「はい。以前、河川敷で確認された個体と外見が似ているという証言があります」
湊はその言葉に反応した。
「以前の、身体が水のように光っていた個体ですか?」
「そうだ。お前が直接確認した個体だったな」
「はい。水に手を入れて、何かを探していると言っていました」
「今回も同じ個体かどうかは分からない。現場で確認する」
「分かりました」
湊は窓の外を見た。
あの個体は、以前、人間を探しているとも言っていた。
何を探しているのかは、まだ聞けていない。
*
河川敷に到着すると、警察官が周辺を確認していた。
川の水量は普段と変わらない。
しかし、対岸に近い水面の一部が、わずかに揺れていた。
「対象がいる可能性があります」
隊員が報告する。
湊は川の中央を見た。
水面に、人影が立っていた。
身体の表面は淡く光り、腕や肩の輪郭が水の動きに合わせて揺れている。
以前、河川敷で見た個体とよく似ていた。
「確認できました」
「距離を保て。川に入るな」
隊長が指示する。
湊は川岸から声を掛けた。
「こんにちは!」
人影がこちらを向いた。
「……人間」
「覚えている?」
個体はしばらく湊を見ていた。
「前に、いた」
「そう。前にも会ったね」
個体は水面から手を離した。
その手は、すぐに元の形へ戻っていく。
「何をしているの?」
「探している」
「まだ探しているんだ」
「そう」
「何を探しているのか、教えてもらえる?」
個体は川の流れを見た。
「始まり」
「始まり?」
「ここから、どこへ行く」
湊は川を見た。
「この水がどこへ流れていくのか、ということ?」
「そう」
「下流へ流れて、最後は海に出るよ」
個体は川の先を見た。
「海」
「うん。ずっと先にある」
「そこに、何がある?」
「いろいろあるよ。魚もいるし、船も通る。海の近くで暮らしている人もいる」
個体は水面に手を触れた。
「水は、行く」
「流れているからね」
「止まらない?」
「場所によっては止まっているように見えるところもあるけど、川の水は流れていくよ」
個体はその言葉を確かめるように、川の流れを見つめた。
「なぜ?」
「高いところから低いところへ流れるから」
「それだけ?」
「それだけではないと思うけど、簡単に言えばそうだね」
個体はしばらく黙っていた。
湊は相手の様子を見ながら尋ねた。
「君は、何かを探しているんじゃなかった?」
「探している」
「海に行けば見つかるの?」
「分からない」
「それなら、どうして川を調べているの?」
個体は水面に手を沈めた。
「ここから、続いている」
「何かにつながっていると思った?」
「そう」
湊はすぐに返事をしなかった。
相手が探しているものは、まだ分からない。
ただ、川の流れを追っていることには理由があるようだった。
そのとき、上流側から警察官の声が聞こえた。
「こちらで別の目撃情報がありました!」
隊長が無線で応答する。
「対象は確認できている。そちらの状況は?」
『河川敷の下流側で、住民が水辺に近づいています。安全確保をお願いします』
「了解した」
隊長は湊たちに指示を出した。
「下流側の住民を離れさせる。対象への対応は継続するが、無理に接触するな」
湊は個体へ向き直った。
「ごめん。少し離れるね」
「行く?」
「うん。あそこに人がいるから、安全を確認してくる」
個体は湊の視線を追った。
「人間を守る?」
「そうだよ」
「また?」
「また、というのは?」
「前にも言った」
湊は少し笑った。
「そうだったね」
個体は川岸に近づいた。
水面がわずかに盛り上がる。
隊員たちが警戒するが、個体は攻撃する様子を見せなかった。
「何をするつもりだ?」
隊長が声を掛ける。
個体は答えず、川の流れに手を伸ばした。
その身体の表面が淡く光る。
水面に小さな波紋が広がった。
湊はその変化を見ていたが、何が起きているのかは分からなかった。
数秒後、個体は手を引いた。
「まだ、分からない」
そう言うと、水の中へ沈んでいった。
「対象が水中へ移動しました!」
隊員が報告する。
「周辺を確認しろ。追跡のために川へ入るな」
隊長はすぐに指示を出した。
水面には、もう人影がなかった。
*
下流側では、警察官が住民を河川敷から遠ざけていた。
特に危険な状況は確認されなかった。
湊は現場の確認を終え、川岸に戻ってきた。
「見失いましたね」
「ああ。ただ、こちらに攻撃する様子はなかった」
「何かを探しているようでした」
「前回と同じ話か?」
「はい。今度は川の始まりを探していると言っていました」
隊長は川の流れを見た。
「対象が何を探しているのかは分からないが、行動の記録は残しておけ」
「分かりました」
湊は報告用の端末を取り出した。
以前の記録には、対象が「探す」と話したことしか残っていない。
今回は、川の始まりを探しているという言葉が加わった。
それが何を意味するのかは、まだ分からなかった。
*
同じ頃、久世灯里は新しい目撃情報を確認していた。
河川敷で確認された個体。
身体の表面が水のように変化するという特徴は、以前の記録と一致している。
灯里は父親の資料を調べた。
しかし、水に関する能力について直接説明した記述は見つからなかった。
別のページには、個体の行動を記録した観察文が残っていた。
――個体は、自らの生存に必要な環境を探すだけでなく、周囲の世界そのものに関心を示す場合がある。
灯里はその文章を読み返した。
「周囲の世界そのもの……」
能力を得るために何かを探しているのか。
自分が何者なのかを知るためなのか。
それとも、まったく別の目的があるのか。
今の段階では判断できない。
彼女は目撃情報と父親の記録を関連づけ、保存した。
*
夜。
川の下流にある静かな水域で、あの個体は水面に浮かんでいた。
流れてきた水が、ゆっくりと身体の周囲を通り過ぎていく。
個体は水面に手を伸ばした。
川は続いている。
水は流れている。
しかし、その先に何があるのかは、まだ分からない。
「海……」
昼間に聞いた言葉を繰り返す。
個体は川の流れる方向を見た。
まだ探すことをやめるつもりはなかった。




