第十四章 近づく危険
前日の現場で負傷した隊員は、翌朝には通常の勤務へ戻っていた。
湊の腕にも大きな異常はなかった。
ただし、補助装備には修理が必要だった。
「思ったより衝撃が強かったな」
装備を確認していた隊員が言った。
「受け止めきれなかったんですか?」
「完全に防ぐものじゃない。あくまで負担を減らすための装備だ」
隊員は傷のついた外装部分を指で示した。
「これがなかったら、腕を痛めていたかもしれない。だが、次も同じように防げるとは限らない」
「分かっています」
湊は頷いた。
昨日の個体が使った能力は、単純に金属を飛ばすだけではなかった。
複数の部材を同時に動かし、こちらの位置に合わせて攻撃してきた。
あの場で住民の避難を優先した判断は間違っていなかったと思う。
しかし、対象が再び現れた場合、同じ対応で十分なのかは分からない。
*
午前中、防衛隊では前日の映像を使った検証が行われた。
映像には、対象が腕を動かした直後に金属部材が浮き上がる様子が映っていた。
「攻撃の前に、腕の表面が変化しているように見えます」
技術担当者が説明する。
「能力を使う前兆なのか?」
「可能性はあります。ただ、映像だけでは判断できません」
隊長は映像を巻き戻した。
対象は最初の攻撃を行う前、道路脇に積まれた資材を見ていた。
その後、湊たちに気づき、距離を取っている。
「最初からこちらを攻撃するつもりだったのか?」
「分かりません。こちらが近づいたことに反応した可能性もあります」
「攻撃された事実は変わらない。だが、対象の行動をすべて敵対行動と決めつけるのも早い」
隊長は映像を止めた。
「今後、同じ場所で目撃情報があった場合は、住民の避難と周辺の安全確保を優先する。対象が攻撃してきた場合は、隊員の安全も守らなければならない」
「了解しました」
湊は映像をもう一度見た。
対象の顔は、はっきりとは映っていない。
何を考えていたのかも分からない。
ただ、こちらへ向けられた攻撃には、確かな危険があった。
*
同じ頃、工業地域では別の異常が確認されていた。
資材置き場の管理者が、前日に置かれていた金属部品の一部が移動していることに気づいたのだ。
部品は持ち去られていなかった。
ただ、地面の上に並べ直されていた。
管理者は警察に連絡した。
防衛隊にも情報が共有され、湊たちは現場へ向かうことになった。
「また金属を操作する個体でしょうか」
車内で隊員が尋ねる。
「まだ分からない。以前の個体と同じ特徴があるか確認する」
隊長が答えた。
現場に到着すると、資材置き場の入口付近に金属部品が並んでいた。
前回、長い腕を持つ個体が置いていったものと同じ場所だった。
湊は周囲を見回した。
「この部品、前に置かれていたものですよね」
「ああ。管理者によれば、回収せずにそのまま保管していたそうだ」
「誰かが並べ直したんでしょうか」
「その可能性がある」
隊員が周辺を確認する。
部品の並び方には、一定の規則があるようにも見えた。
しかし、何を意味しているのかは分からない。
湊はしゃがみ込み、部品の間隔を見た。
「何かを組み立てようとしていたんでしょうか」
「以前の個体が戻ってきた可能性はあるな。ただし、まだ断定するな」
そのとき、資材置き場の奥で音がした。
全員がそちらを向く。
積み上げられた金属板の隙間から、細い腕が伸びていた。
湊はすぐに立ち上がった。
姿を現したのは、工業地域で何度か確認された長腕の個体だった。
個体は湊たちを見ると、動きを止めた。
「また会ったね」
湊が声を掛ける。
個体は返事をしなかった。
「ここに置いてあるものは、君が並べたの?」
「そう」
「何を作っているのか、まだ分からない?」
個体は少しだけ首を動かした。
「分からない」
「前より進んだ?」
「少し」
湊は並べられた部品を見た。
「それなら、何か必要なものが見つかったの?」
「違う」
個体は部品の一つを持ち上げた。
「足りないものが分かった」
「何が足りないの?」
「まだ言えない」
湊はそれ以上尋ねなかった。
個体が話したくないのか、本当に説明できないのかは分からない。
ただ、前回よりも少しだけ、自分の行動について話すようになっていた。
そのとき、同行していた隊員が一歩前へ出た。
「その部品は施設の管理者の所有物だ。持ち出すことはできない」
個体は手にした部品を見た。
「持っていかない」
「ここで使うことも許可されていない」
個体はしばらく黙っていた。
やがて、部品を元の場所に置いた。
「分かった」
その反応に、隊員は少し警戒を緩めた。
しかし、湊は個体の腕がまだ金属板に触れていることに気づいていた。
「どうしたの?」
「ここは、使えない」
「うん。管理している人がいるからね」
「別の場所を探す」
個体は金属板から手を離した。
そして、資材置き場の外へ歩き始めた。
「待て。移動先を確認する」
隊員が後を追おうとしたが、個体は突然足を止めた。
周囲の金属部品がわずかに震える。
「下がって!」
湊が声を上げた。
次の瞬間、積み上げられていた金属板の一枚が横へ滑った。
隊員たちは反射的に距離を取る。
金属板は地面に落ち、鈍い音を立てた。
個体はその隙に走り出した。
「追跡する!」
隊員が動く。
「待ってください。周囲の資材がまだ不安定です!」
湊は倒れかけた部材を確認した。
隊員たちは一度足を止め、資材置き場の安全を確保した。
その間に、個体の姿は見えなくなっていた。
*
現場から戻った湊たちは、今回の行動を報告した。
「個体は部品を持ち去らず、管理者の所有物だと説明したら手を離したんだな」
隊長が確認する。
「はい。ただ、最後に金属板を動かして逃げました」
「こちらに攻撃する意図があったのか?」
「分かりません。逃げるためだった可能性もあります」
「そうか」
隊長は記録を確認した。
「少なくとも、対象は人間の所有物という考え方を理解し始めているように見える。ただし、理解したことと、それを常に守れることは別だ」
「はい」
「今後も接触する可能性がある。現場では警戒を続けろ」
湊は頷いた。
あの個体は、以前よりも人間の言葉を理解していた。
しかし、まだ人間社会の決まりをすべて理解しているわけではない。
それは、こちらも同じだった。
*
夜。
久世灯里は、父親の研究資料に残されていた一枚の写真を見ていた。
写真には、実験施設の一部が写っている。
撮影された時期は、十年前の事故よりも前だった。
写真の端には、複数の観察用設備が並んでいる。
そのうち一つに、番号が記されていた。
00。
灯里は写真の裏側に残された文字を確認した。
父親の筆跡だった。
――この個体は、他の個体とは異なる反応を示す。
その下には、短い追記がある。
――ただし、特別な個体だからといって、その意思を代わりに決めてはならない。
灯里は写真を机の上に置いた。
00については、まだ分からないことが多い。
なぜ父親が特別な記録を残していたのか。
他の個体と何が違ったのか。
そして、十年前の事故で何が起きたのか。
彼女は資料の閲覧申請状況を確認した。
申請はまだ保留になっている。
灯里は画面を閉じた。
今は、別の手掛かりを探すしかなかった。
*
その頃、どこかの暗い場所で、一つの生命維持装置が静かに稼働していた。
装置の内部には、人間に似た形の身体が横たわっている。
表面には目立った傷もなく、呼吸に似た動きも見られない。
周囲の計測装置が、わずかな変化を記録した。
数値は一度上昇し、すぐに元へ戻る。
警告は発生しなかった。
装置は変わらず稼働を続けていた。




