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第二話 没落貴族は、命令されるのが嫌い

結論から言うと。


元攻略対象たちは全員、働く以前に――人に使われることができなかった。


「私に広場で作業員を募れというのか?」


レオンは、渡された仕事一覧を見て眉をひそめた。


「布告を出せばよいだろう。水道復旧に協力せよ、と」


「布告を出す権限はない」


ユリウスが即答する。


「では町長に命じればいい」


「町長に命じる権限もない」


「私が直接話せば、民は従う」


「昨日、頭を下げるまで誰も話を聞かなかったことを忘れたのか?」


レオンが黙った。


隣では、セドリックが古びた帳簿をつまみ上げ、ひどく嫌そうな顔をしている。


「この僕に、倉庫の記録を調べろと?」


「土地台帳、水利権、過去の修繕記録。全部だ」


「鼠にかじられている」


「読める部分だけでいい」


「僕は公爵家の嫡男だったんだぞ」


「だった、だな」


セドリックのこめかみに青筋が浮かんだ。


カイルは作業員募集の紙を見て鼻を鳴らす。


「瓦礫の撤去など、俺一人で十分だ」


「坑道まで約三百メートル。崩落箇所は最低でも二か所。運び出す土砂は推定二十二トン」


「……馬を使えばいい」


「この町に荷馬は三頭しかいない。うち二頭は老齢、一頭は妊娠中だ」


「では騎士団から借りれば――」


「君はもう騎士団に所属していない」


カイルも黙った。


ノアは、机の上に置かれた小さな魔石を見ていた。


親の仇を見るような目で。


「何、これ」


「三等魔石だ」


「それは見れば分かる。どうして僕の前に三等魔石が置かれているのかと聞いている」


「通風用の術式を組んでもらう」


「これで?」


「それで」


「僕を誰だと思ってるの?」


「無職の魔術師」


ノアの口が閉じた。


最後に、エリオットが静かに手を挙げる。


「ユリウス殿」


「何だ」


「私の担当に、衛生環境の確認とあります」


「ああ」


「具体的には?」


「井戸の周辺、仮設便所、排水溝、病人の状態を確認しろ」


「……つまり」


「便所を見て回れ」


次期教皇候補だった青年が、天を仰いだ。


「神よ」


「祈っても担当は変わらない」


「私はかつて、大聖堂で一万人の信徒に祝福を授けた身なのですが」


「なら百人程度の便所は管理できるだろう」


しばらく、誰も口を開かなかった。


やがてユリウスが、五人を順番に見回した。


「肩書を失ったのに、態度だけ残ると、ここまで非効率になるのか」


「お前は口の利き方を学べ!」


五人の声が綺麗に重なった。


仲がいい。


少なくとも、ユリウスを嫌うという一点においては。


私は頭を抱えた。


「ねえ、みんな」


「何だ、リリアナ」


レオンだけは、私に向ける声を多少柔らかくした。


多少である。


「水がなくなるまで、あと三日なの」


「ああ」


「町の人たちは、あなたたちの家臣じゃない」


五人の顔が同時に曇る。


「頼まなければ、動いてくれない。説明しなければ、納得してくれない。あなたたちがどれだけ優秀でも、信用されなければ何もできないのよ」


カイルが腕を組んだ。


「俺は騎士だ。剣を見せれば実力は分かる」


「剣、持ってないじゃない」


「……返してくれれば、すぐにでも」


「借金取りに言って」


ノアが髪をかき上げる。


「僕は魔法を使えば分かる。説明なんて必要ないよ」


「昨日、薪を爆発させたわね」


「あれは薪の品質が悪かった」


「薪に責任転嫁しないで」


セドリックは帳簿を机に戻した。


「信用というのは、家名に付随するものだ」


「その家名が信用を失ったから没落したんでしょう?」


「君は時々、笑顔で胸を刺してくるな」


「褒め言葉として受け取っておくわ」


ユリウスが壁にかけた時計を見る。


「議論に十五分消費した」


「人の心を時間の無駄みたいに言わないで!」


「期限は変わらない。残り六十七時間だ」


こうして。


王子は人集めに。


公爵令息は帳簿整理に。


騎士は瓦礫の撤去に。


魔術師は安価な魔石での術式開発に。


元聖職者は便所の確認に向かった。


私は全員が無事に帰ってくることを祈った。


主に町の人たちが。


◇


最初に問題を起こしたのは、やはりレオンだった。


彼は町の広場に立つと、集まった住民を前に堂々と胸を張った。


「民よ、聞け!」


その第一声で、住民の半分が帰った。


「待ってくれ!」


レオンが慌てて呼び止める。


残った半分は、帰る気力すらない老人たちだった。


「この町の水道を復旧するため、諸君の力が必要だ。壮健な男子は坑道へ、女子供は食事と物資の準備を――」


飛んできた萎びたカブが、レオンの肩に当たった。


「誰があんたの命令なんか聞くもんか!」


声を上げたのは、中年の女性だった。


「王都の連中は、鉱山が潰れたときも助けに来なかったじゃないか!」


「私は助けに来た」


「水がなくなったから仕方なく来ただけだろう!」


「違う。私は――」


レオンは言葉に詰まった。


自分がなぜここにいるのか、うまく説明できなかったのだろう。


国を救うためではない。


王として責任を果たすためでもない。


ユリウスに連れてこられ、私に背中を押されたから来ただけだ。


「帰んな!」


二つ目のカブが飛んだ。


今度は顔面に当たった。


元王太子は、カブを顔に貼りつけたまま立ち尽くした。


◇


セドリックは、町役場を追い出された。


「どうして?」


私が尋ねると、彼は心外そうに答えた。


「帳簿の管理が杜撰だと指摘しただけだ」


「どういう言い方をしたの?」


「これほど劣悪な管理体制では、鼠のほうがまだまともな記録を残す、と」


「追い出されて当然ね」


「事実だぞ」


「事実なら何を言ってもいいわけじゃないの」


「間違いを指摘せず放置するほうが不誠実だ」


「正しさを相手の顔に投げつけるのは、誠実とは言わないのよ」


セドリックは納得していない顔だった。


ユリウスと似ている。


ただし、ユリウスが効率のために人を傷つけるのに対し、セドリックは自分の正しさを証明するために人を傷つける。


似ていると言ったら、二人とも全力で否定するだろう。


◇


カイルは、作業員を怒鳴りつけて全員帰らせた。


「だらしない! その程度の石も持てないのか!」


「俺たちは騎士じゃねえ!」


「口を動かす暇があるなら手を動かせ!」


「だったら一人でやれ!」


「望むところだ!」


そして本当に一人で始めた。


一時間後。


彼は腰を痛めて地面に転がっていた。


「情けない……」


「相手を見下しながら仕事を頼む人についていく人はいないわよ」


「俺は見下してなどいない」


「では、何て言ったの?」


「基礎体力が足りない。王都の騎士団なら半人前にも届かないと」


「それを見下してるって言うの」


「客観的評価だ」


元騎士団長子息は、地面に寝たまま真剣な顔で答えた。


この人も相当だった。


◇


ノアは、一時間で術式を完成させた。


そして、一秒で壊した。


小さな三等魔石から、紫色の煙が上がっている。


「どうしたの?」


「魔石が耐えられなかった」


「どんな術式を組んだの?」


「坑道全体の空気を一度に入れ替える術式」


「ユリウスは通風用って言ってなかった?」


「だから、全部入れ替えようとした」


「加減というものを知らないの?」


「中途半端な魔法に意味はない」


「魔石、あといくつあるの?」


「……二つ」


「壊したら?」


「終わり」


「加減を覚えて!」


◇


最後にエリオットを見つけたのは、町外れの排水溝だった。


彼は泥まみれになりながら、木の棒で詰まりを取り除いている。


五人の中で、唯一まともに働いていた。


「大丈夫?」


「ええ。臭い以外は」


エリオットは穏やかに微笑んだ。


その笑顔も、ゲームの中では多くのプレイヤーを落としたものだ。


ただし今は、鼻に布を巻き、長靴に汚水を入れた状態だった。


神聖さはない。


「排水溝に、生ごみと灰を捨てている家が多いようです。井戸も便所に近すぎる。このまま水道が止まれば、病が広がるでしょう」


「改善できそう?」


「住民に移動をお願いしました」


「聞いてもらえた?」


「いいえ」


エリオットは微笑んだまま答えた。


「『神の教えを説く前に、教会が取り立てた埋葬料を返せ』と」


「……そう」


教会もまた、ユリウスの改革によって多くの不正を暴かれていた。


貧しい者から高額な寄付を取り、払えなければまともな埋葬すら許さなかった。


エリオット自身が不正に関わっていたわけではない。


けれど、教会の象徴だった彼にとって、無関係では済まされない。


「私は、何も知りませんでした」


その言葉は、レオンと同じだった。


「大聖堂には、毎日多くの寄付が届いていました。神の恵みだと思っていた。けれど、その金を捧げるために、食事を減らしていた人がいた」


棒を握る手に力が入る。


「信仰を支えるつもりで、信仰に人を支えさせていた」


エリオットは、排水溝から腐った布を引きずり出した。


「今さら私が頭を下げたところで、何になるのでしょう」


「すぐには何にもならないかも」


私は答えた。


「でも、頭を下げないよりは、少しだけ前に進めるわ」


エリオットはしばらく排水溝を見つめていた。


やがて小さく頷く。


「まずは、これを片づけます」


「一緒にやる」


「リリアナ嬢が?」


「聖女だって、排水溝くらい掃除するわよ」


「ゲームの聖女は、排水溝を掃除しなかったと思いますが」


後ろから声がした。


振り返ると、ユリウスが立っていた。


「いつからいたの?」


「埋葬料の話からだ」


「盗み聞き?」


「進捗確認だ」


相変わらず情緒がない。


ユリウスは手元の紙に何かを書き込んだ。


「現時点で、作業員の確保は失敗。記録の取得も失敗。瓦礫撤去は進捗二パーセント。通風術式用の魔石を一つ損失」


「便所の確認は?」


「唯一進んでいる」


エリオットが少しだけ胸を張る。


「ただし、排水溝の清掃は作業計画に含まれていない」


「減点するの?」


「いや。追加作業として記録する」


「褒めればいいのに」


「成果を正確に記録している」


「それを世間では褒めるっていうのよ」


「違う」


頑固である。


私は泥のついた手で、ユリウスの上着を掴んだ。


「何をする」


「あなたも手伝うの」


「俺には全体工程の管理がある」


「現場を知らずに管理するの?」


その一言で、ユリウスの動きが止まった。


業務改善コンサルタントに効く言葉だったらしい。


五分後。


王国改革の立役者は、無言で排水溝をさらっていた。


◇


日が沈む頃。


私たちは、廃業した酒場に集まっていた。


初日の成果は、ひどいものだった。


作業員、ゼロ。


記録、ゼロ。


通風術式、未完成。


瓦礫撤去、ほぼ進まず。


排水溝、一本だけ綺麗。


「時間を無駄にした」


ユリウスが言った。


テーブルの上には、残り時間が大きく書かれている。


残り五十一時間。


「無駄ではない」


レオンが反論した。


顔にはまだ、カブが当たった赤い跡が残っていた。


「住民の不満を把握した」


「成果に結びついていない」


「明日、もう一度話す」


「同じ方法なら、同じ結果になる」


「なら、どうしろと言う!」


「俺に聞くな。君の担当だ」


「お前が割り振った仕事だろう!」


「割り振ったのは目的だ。方法まで指示しなければ何もできないのか?」


レオンが机を叩いた。


「私は人に指示を出す立場だった!」


「だから、指示を受ける側の気持ちが分からない」


空気が張り詰める。


「ユリウス」


私が睨んでも、彼は目を逸らさなかった。


「言い方は悪いが、事実だ」


「またそれ?」


「彼らに残された時間は、この町に残された時間と同じだ。慰めている余裕はない」


「誰が慰めろと言ったのよ。傷つけなくても事実は伝えられるでしょう」


「それに何分使う?」


「必要なだけよ!」


「その間に水は減る」


また正論だった。


けれど、初日が失敗した理由も、その正論の中にあった。


私は五人を見回した。


「みんな、自分の能力があれば、人が勝手についてくると思ってる」


誰も答えない。


「でも、この町の人は、あなたたちを信用してない。王家にも、公爵家にも、騎士団にも、魔術師にも、教会にも裏切られてきたから」


セドリックが目を伏せる。


「能力がないんじゃない。信用がないの」


私は続けた。


「信用は、家名でも、爵位でも、才能でもない。相手の前で、何をしたかよ」


「では、どうすればいい」


レオンが低い声で尋ねた。


「命令しない。教える前に聞く。できない人を見下さない。失敗したら謝る」


「子供への教えのようだな」


「それができてないから言ってるのよ」


レオンは苦々しい顔をした。


けれど、否定はしなかった。


そのとき、酒場の扉が開いた。


入ってきたのは、昨日、地下水路の図面について教えてくれた老人だった。


「バルトさん」


レオンが立ち上がる。


老人――バルトは、元王太子を一瞥したあと、丸めた紙をテーブルに置いた。


「昔の水道長から預かった図面だ」


ユリウスが紙を広げる。


昨日の地図より詳しい。


町の北を流れる地下水脈。


貯水槽へ続く主水路。


そして、第四坑道の奥に描かれた、大きな弁。


「この主弁が閉じたままになっている」


バルトが指を置いた。


「鉱山事故のあと、安全のため閉じられた。今の水道は、細い補助水路だけで町に水を送ってる」


「その補助水路が壊れたのか」


「たぶんな」


「主弁を開けば、水量は回復する?」


「弁まで行ければな」


ユリウスが図面を読む。


「第四坑道の鍵は?」


「事故で夫を亡くした女が持っている。マルタだ」


バルトの声が沈んだ。


「夫は最後の水道技師だった」


「鍵を借りる」


レオンが言った。


老人は冷たく彼を見た。


「あの女は、王家の人間には渡さん」


「私はもう王家の人間ではない」


「そんな都合のいい話があるか」


レオンの表情が固まる。


「王子だった頃の責任は消えない。だが、王子でなくなったから力はない。責任だけ残り、罰することも償わせることもできん」


誰も反論できなかった。


バルトは踵を返す。


「鍵が欲しけりゃ、自分で頼め」


扉が閉まる。


沈黙の中、レオンが図面を見つめていた。


「……行ってくる」


「今から?」


私が尋ねる。


「ああ」


「一人で?」


レオンは頷いた。


「これは、私が頼まなければならない」


◇


レオンが戻ってきたのは、真夜中を過ぎてからだった。


鍵は持っていなかった。


代わりに、一枚の紙を握っていた。


そこには、三十二人の名前が書かれていた。


鉱山事故で亡くなった人々の名前。


「マルタ殿は、鍵を渡す条件を出した」


「条件?」


「坑道に入る前に、全員の名前を読み上げること。事故がなかったことにされないように」


レオンの声は掠れていた。


「それだけ?」


「それだけだ」


彼は椅子に座った。


肩が落ちている。


「謝罪した」


私は黙って続きを待った。


「王家が事故後の救済を怠ったこと。補償を先延ばしにしたこと。私が何も知らなかったこと。すべて謝った」


「マルタさんは?」


「許さない、と言われた」


レオンは、乾いた笑みを浮かべた。


「当然だ。私は謝れば、どこかで許されると思っていたらしい」


「それでも、話を聞いてくれたんでしょう?」


「ああ」


「なら、昨日より進んでる」


レオンは紙に書かれた名前を見る。


「許されなくても、謝る意味はあるのか?」


「あるわ」


答えたのは、エリオットだった。


彼もまた、眠らずに排水溝の地図を作っていた。


「謝罪は、許しを得るためだけにするものではありません。相手の痛みが存在したと、認めるためにすることもある」


元王太子と元聖職者は、しばらく見つめ合った。


「明朝、私が名前を読みましょう」


エリオットが言った。


「聖職者としてではなく、この町の水道復旧に関わる一人として」


レオンが、小さく頭を下げた。


「頼む」


その瞬間。


また、淡い金色の光が見えた。


今度はレオンからエリオットへ。


細い糸のような光が、二人の間をつないでいる。


「まただ」


ユリウスが呟く。


すぐに手帳を取り出した。


「発生条件は、他者への依頼、または信頼の形成か」


「今は分析しないで」


「記録は必要だ」


「後にして」


「忘れる」


「感動を記憶できないの?」


「数値化できないものは抜けやすい」


本当に困った男である。


けれど彼が記録している間にも、光は消えずに残っていた。


私にはなぜか分かった。


これは好感度ではない。


ゲームのように、ヒロインへ向かって伸びる恋の線ではない。


互いを信じ、役割を託した者同士を結ぶ光。


本来の物語では、決して生まれなかったものだ。

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