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『盾の乙女』の本分は  作者: 甲斐 雫


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6/6

6 離宮から館へ 新しい生活が始まる

 フッと、セシルは眼を開けた。

 眼に入ったのは見慣れた離宮の部屋の天井と、覗き込んいるジャスティンの顔。


「気が付いたか、セシル?」

 小声で囁くように問いかける彼の横から、侍医の声が聞こえた。


「とりあえずこれで、今出来る手当ては終わりました。治療は続けないといけませんが、安静と栄養補給を守れば、日を追って良くなると思います。とは言え、時間は掛かりますがね」

 悪化して化膿までした傷は、そう簡単には完治しないという事だろう。


 けれどジャスティンは、安堵したように小さく息を吐き、肩の力を抜いた。

「そうか・・・良かった。出来るだけ傍にいて、看護しよう」

 そしてその言葉通り、彼は甲斐甲斐しくセシルの世話をする。


 やがて何とか少し話せるようになったセシルは、掠れた声で問いかけた。

「・・・皇太子・・・殿下・・・・あのぅ・・・何故、私は・・・ここに?」

「ああ、その呼び方はもうやめてくれくれ。俺はもう、皇太子では無いからな。弟にその座を譲ったのだ」

 サラッと答えたジャスティンだが、セシルの方は目を丸くするしかない。

「え?・・・それは、いったい・・・」


 ジャスティンは、ニヤリとしながら説明を始めた。

「一週間前、宮殿に行ったのは、眼の完治の報告と、皇太子をリチャードに譲るという意思を伝えるためだ。今までずっと俺が皇太子の座にいたのは、意地があったんだと思う。産まれた時から皇太子で、その資質に乏しいことは解っていたが、それでもそれが当然だと思っていた」


 そこまで言って、彼は真面目な表情になる。

「周囲の貴族たちも、大半がリチャードを推していたし、両親も口には出さなかったが、同じように思っている事も知っていた。今まで何度も暗殺されかけたのは、貴族たちの暗躍があったからだ。だがそれでも、俺は意地を張っていた。俺を殺してから、好きにすればいいとさえ思っていたんだ」


 ジャスティンは、遠くに投げていた苦々しい視線を戻し、セシルの顔を真っ直ぐに見る。

「だが、お前が私を庇って死にかけた時、そんな意地があっと言う間に消え失せた。つまり、その・・・お前を失いたくないと・・・これからもずっと、傍にいて欲しいと思って・・・」

 彼の頬は、薄っすらと赤くなっている。


「だが、皇太子のままでは、これからも暗殺されるような危険はついて回る。自分だけなら諦めもつくが、それでお前が危険に晒されるなら、それだけは絶対に避けたいと思った。だから先ず、皇太子の座を明け渡して、それからお前に想いを告げようと思っていたんだ」


(・・・ええと・・・それって・・・)

 セシルには、どうにも理解できない。

 娼婦として扱われる『盾の乙女』の自分のために、皇太子の座を捨てたなんて。


 ジャスティンは、恥ずかしさを誤魔化すように、言葉を続ける。

「だがやはり、『どうぞ』『はい』で譲れるようなモノでもなくてな。俺の意向はあっさりと受け入れられたのだが、手続きがどうのこうので、結局1週間も拘束されてしまったんだ。離宮に戻ってきたら、お前が居なくなっていて・・・・焦った」


 だから、『盾の乙女養成所』に急いだ。まだ正式な皇太子交代の公布前だったので、皇太子であるジャスティンならばフリーパスで中に入れる。

 けれどそこで、『退任式』が今まさに行われている最中だと知ったのだ。


 思い返せば、かなり恥ずかしいシチュエーションだったかもしれない。

 これが結婚式だったら、乱入して花嫁を奪い攫っていった不審者だ。名目上でも、退任式で良かったと思うジャスティンである。

 ジャスティンは後になって知ったのだが、身元引受人は寄付金を払わなければいけなかった。あの時は、彼が入ってくる前に所長が不要だと言っていたので、後から請求は来なかったのだが。

 どっちにしても、ジャスティンは支払う気が無かった。

 寄付金と言う名目でも、セシルと引き換えに金を払うようなことはしたくなかったのだ。

 ごり押しでも踏み倒しでもイイから、どうせ最後になる皇太子と言う地位を、思い切り使ってやろうとさえ考えていた。



「間に合って、本当に良かった・・・」

 ジャスティンは、セシルの頬にそっと手を添わせた。


 優しい指先、暖かい掌。

 慈しむような眼差しが、全てを包み込むようだ。

(こんな風に・・・触れられたことは、無かった・・・)

 胸が締め付けられて、涙が零れそうになる。


「俺はもう、皇太子じゃない。ただのジャスティンだ。だからこれからは、名前で呼んでくれ」

 そんな彼の言葉に、セシルはふと現実的なことを考えてしまった。


(皇太子じゃなくても、王族で、皇太子の兄で・・・それで、『ただの』って、無理がありませんか?)

 どうやら彼女は、ムードに流されにく性格かもしれない。


 ふっと真顔になったセシルに気付かず、ジャスティンは更に言葉を続ける。

「セシル、お前ももう『盾の乙女』ではなくなった。だからこれからは、一緒に生きていかないか?」


「・・・一緒に?」

「ああ、一緒に・・・ずっと」


 セシルは、観念したように小さく呟いた。

「・・・はい」


 優しいキスが、降って来る。

 そしてそれは、誓いのキスのような厳かなものとなった。


「皇太子の座を降りる理由は、暗殺未遂の後、精神的にまいってしまったからという事にしている。暫くは静養したいと言ったら、小さな領地を貰った。皇太子領はリチャードに譲ったので、その代わりだな。リヴェールと言う土地で、今後はリヴェール公になる。お前の身体が良くなったら、一緒に行ってくれるな?」


(・・・御領主様になるんですね。やっぱり『ただの』ジャスティンじゃないわ)

 そう思うセシルだが、一応黙っておく。


「・・・はい」

 セシルは小さく、けれどはっきりと返事をした。

(新しい自分・・・新しい生活・・・それがどうなるかは、解らないけど・・・)

 けれど何となく、楽しみにしている自分がいる。

(新しい仕事が、何となくワクワクする・・・仕事が嬉しいなんて、初めてかもしれない)


 世の中にはきっと、そういう仕事もあるのだろう。

 セシルは静かに微笑んで、そっと瞼を閉じた。




 馬車の窓から、初夏の風が入って来る。

 セシルとジャスティンを乗せた馬車は、リヴェールの領主館の門を潜った。


「ここで止めてくれ」

 ジャスティンが声を掛けると、馬車が停まる。

 玄関の扉までは、まだ少し距離があった。


 彼は馬車を降りて、ぐるりと反対側へ回ってドアを開けた。

「着いたよ、セシル」

 優しく声を掛けて、その手を取る。


 ドレスの裾を気にしながら、彼の手を取ってステップに足を降ろすセシルのドレスは白。

 これを着るようにと言われたそれは、シンプルなデザインだが、純白だった。

 そして艶やかな髪を飾るのは、オレンジの花。

 美しい黒髪の中で輝く、星々のようだ。


 降り立ったセシルを、ジャスティンはふわりと抱き上げた。

「えっ・・・もう歩けますが?」

 慌てて言うセシルに、彼は少し憮然とした物言いで告げた。


「俺にとって、ここは新居で、お前は新妻だ」


(・・・プロポーズも無しで、いきなり『妻』って・・・)

 確かに身分違いで、結婚は出来ないだろうと思ってはいた。けれどせめて、「愛している」の言葉くらいは事前に聞いておきたくもある。

 けれど元『盾の乙女』であるセシルは、あっさりとそれを受け入れた。思考の傾向が、沁みついてしまっているのだろう。


 そんな彼女の考えが、顔に出ていたのかもしれない。

 ジャスティンは、そこでハッと気が付いた。


「いかん、舞い上がって、すっ飛ばしてしまった」

 彼はその場でセシルを降ろし、向かい合った。そして彼女の両手を握り、真っ直ぐにその眼を見て言う。


「セシル、愛している。この想いは、終生変わらないと誓う」

 きっぱりと言う彼に、彼女も答えた。

「・・・ジャスティン様・・・ええと、私も・・・」


 セシルはそう言いながら、彼の手を離し1歩下がった。

 右手を握り、胸に置いて、片膝をつく。

「私も、誓います」

 それは彼女が知る、たった1つの誓いの所作だった。

 古の『盾の乙女』を目指していた、彼女の。


(あ、いや・・・それはちょっと、違わないか?)

 解らないでも無いが、出来ればもっと相応しい誓いが欲しいと思ってしまったジャスティンだ。


 セシルをそっと立たせ、彼はもう一度仕切り直す。

「誓うと言っても、ここは教会では無いし、立会人もいない。それに、神に誓うと言うのはあまり好きでは無いんだ。だから・・・そうだな、あの太陽に誓うか?」


 正式な結婚では、無いかもしれない。

 けれどこんな2人の誓いは、それが相応しいだろうと思う。


 曇りの日でも嵐の日でも、厚い雲の向こうに必ずある太陽。

 いつも変わらず空にある太陽は、例え見えない日が続いても、必ずそこにある。


 セシルは、キュッと表情を引き締めた。

「はい、誓います」

 ジャスティンは、愛を込めた瞳で見つめた。

「ああ、俺も誓う」


 誓いのキスを交わす2人には、どんな未来が待っているのだろう。

 決して順風満帆な日々ばかりでは無いだろうが、何故か不思議と不安は無かった。


 古の『盾の乙女』を目指したセシル・コートは、新しい人生を歩む。

 皇太子の座を捨てて、彼女を選んだジャスティンも、一歩を踏み出す。

 これからの時間を、共に。


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