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『盾の乙女』の本分は  作者: 甲斐 雫


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5/5

5 夢から覚めて現実に帰る

 1週間もの時が、流れてしまった。

 ジャスティンはやるべき事を終え、離宮に戻って来る。

 けれど、そこにセシルの姿は無かった。



 1週間前のこと。

 彼が王宮に行った翌日、離宮のベッドにいたセシルの元に、迎えがやって来た。

『盾の乙女』としての仕事は、皇太子の全快と共に終わったのだから、当然の事だろう。

 侍医は止めたが、こればかりはどうしようもない。セシルはやって来た事務員と共に、離宮を出て『盾の乙女養成所』へと帰った。


『盾の乙女養成所』とは、昔のままの呼称だ。

 古の『盾の乙女』は、そこで日々鍛錬に励み、己の技能を高めていた。

 けれど、現在は・・・


 セシルは、事務室に連れて行かれ、任務終了の手続きをさせられた。一応馬車での迎えではあったが、まだ歩くことさえ覚束ない状態である。

 事務長は書類にざっと目を通し、医務室へ行くように告げる。セシルは体のツラさに耐えながら、何とか長い廊下を歩いた。

 事務室や医務室があるこの建物は、管理棟と呼ばれている。敷地内には他にも多くの棟があり、ある程度の自給自足が出来るような施設もあった。


「・・・失礼します」

 医務室に入りながら声を掛けると、気難しそうな中年の女医が1人、椅子に座って待っていた。

「セシル・コート、書類は受け取っています。怪我の様子を見せなさい」

 事務的な言葉と声で立ち上がり、女医は服を脱いだセシルの包帯を外して、ザっと傷の様子を眺める。


「報告の通りだね。胸と背中には、痕が残るだろう。そうなると、退任式に出ることになるな。丁度1週間後に、今年度の退任式がある。事務長には、直ぐに連絡しなければ」

 女医は、面倒くさそうに机に向かった。


 セシルは自分で包帯を巻きなおし、黙って服を着る。

(・・・こうなるだろうとは、思ってたけどね)


 退任式と言うのは昔の呼称で、要は『盾の乙女』の退職を意味する。現在高級娼婦のような仕事をしている『盾の乙女』の退職とは、はっきり言って役に立たなくなった娼婦を追い出すという事と変わらない。

 ただ一応、その後の引き取り先は斡旋してくれる。

 つまり年に一度、高級娼婦の身元引受人が決定されて、引き渡されるという事だ。

 退任理由にもよるが、身元引受人の殆どは、街の娼館主だ。元高級娼婦ならば、まだ稼げるだろうという思惑なのだろう。


「明日からは、これまで通りに普段の仕事に就くこと。退任式まで、サボらないでいなさい」

 女医の言葉を背に、セシルは医務室を出て自室に足を向けた。



 高級娼婦たちは、『乙女棟』と呼ばれる建物で暮らしている。

 ひいき客が出来て稼ぎが良い『盾の乙女』たちは、個室が与えられ、それなりに贅沢な暮らしをしているが、セシル程度の『盾の乙女』は、数名での相部屋暮らしだ。


『乙女棟』に入り部屋に入るが、そこには誰もいなかった。同僚たちは、まだ働いているのだろう。セシルは倒れ込むように、そのままベッドに潜り込んだ。


(黴臭いなぁ・・・長いこと離宮にいたから、仕方ないか・・・)

 埃が積もっていないのだけは、ありがたい。

 部屋の掃除は、ルームメイトがしてくれていたのだろう。けれど、不在者のベッドのケアまでは、してくれるような余裕も無いのだ。


(1週間後・・・か。・・・急だから、身元引受人は出てこないかもね。それに、こんな傷モノじゃ・・・)


 退任が決まると、娼婦たちはリストに載る。娼館の主たちは、時折それを見に来て、目星をつけて置くと聞いていた。身元引受人は、退任式の時に寄付金と言う名目の金銭を払うという事も知っている。


(寄付金なんて、払う人はいないでしょうね。まぁ、タダでもいいからって、どこかに押し付けるとかは、あるかなぁ・・・)


 寄付金も稼げない自分には、これ以上怪我の手当てをするのも無駄だという判断なのだろう。

 薬や替えの包帯も無いこれからの1週間で、状態が悪化することは目に見えていた。



 翌朝から、セシルは働き始めていた。

 胸と背中は熱を持って痛み、食欲も無い。それでも仕事は、待ってはくれないのだ。


 真夜中、発熱と痛みでセシルは目を覚ます。

 同室のルームメイトを起こさないよう気を付けて、身体を騙し騙し起こすと、窓に目をやった。

 古いカーテンの隙間から、月明りが差し込んでいる。


(・・・あの時、古の『盾の乙女』として最期を迎えられたら良かった・・・なんて、思ったら罰が当たるわね。高価な薬を使っていただいて、命を救ってもらって・・・手厚い看護も受けて。あんな風に扱われたことは、産まれて初めてだった・・・でも、やっぱり・・・あんな時間を過ごしてしまうと、かえって今が辛く感じる。知らない方が良かった、って思ってしまうわ)


 この先どうなるか、考えても仕方が無い。

 どんな扱いを受けて、どこで終わるのかも解らない。

 想像するだけで恐ろしくもなるが、どうしようもないのだ。


 セシルはゆっくりと横になり、静かに目を閉じた。



 そして1週間が過ぎた。

『盾の乙女』の退任式の日で、ジャスティンが離宮に戻った日である。


 セシルが居ないことに驚いたジャスティンは、侍医を呼びつけて問いただす。

『盾の乙女養成所』からの正式な迎えに、為す術も無かった侍医は、正直に答えた。


(しまった!うっかりしていた・・・)

 ジャスティンは、眉を顰める。

(王宮で、最初に全快した旨を伝えたから、その時直ぐに養成所へ連絡が行ったのだ。その後の様々な出来事で忙しく、そこまで考えが回らなかった)

 自分のミスだ、と思い至り、ジャスティンは直ぐに馬車の用意をさせた。

(迎えに、行かないと!)



『盾の乙女』の退任式は、小講堂で行われていた。

 今年の退任者は、セシルを含めて5名。セシル以外の4人は30代で、健康ではあったが、身請けされるような顧客が付かなかったのだ。人数的に少ないのは、退任者の一部は、養成所内での仕事に就くことが出来たからだろう。


 けれど既に、その4名には身元引受人が決まっている。

 壇上に上がっている退任者たちは、滑稽に見えるような儀式の進行に則って、それぞれの身元引受人に手を取られて壇上から降りてゆく。


 セシルはその様子を、ぼんやりと見ていた。

 意識は朦朧として、立っているのがやっとだ。

 塞がりかけていた傷口は開き、熱を持って腫れている。消毒もされず、替えることも出来なかった包帯からは、嫌な臭いが上がっていた。化膿していることは、明白だ。


「こちらのセシル・コートは、先週退任が決まったばかりで、身元引受人が未定です。どなたか、一緒に引き受けては貰えませんか?」

 壇上の養成所責任者である所長が、鋭い声で告げた。半白の頭髪をキリリと結い上げた初老の女性だが、威圧感がある。


「・・・うぅむ・・・まだ若そうだが、退任の理由を伺ってもよろしいですか?」

 1人の娼館主が、声を上げる。

「年齢は、20歳です。任務で怪我をしました」

 所長は、言葉少なに答えた。


「余分の寄付金も、持ってきておりませんし・・・」

「・・・怪我の程度にも、よりますし」


 身元引受人たちは、歯切れが悪い。

 幾ら若くても、顔色の悪いフラフラしている女では、使いようが無いと考えているのだろう。


「・・・・・寄付金の方は、結構です」

 仕方なく、所長はため息交じりに呟く。

 すると一番端にいた赤ら顔の娼館主が、サッと進み出た。

「では、ウチで引き取らせていただきましょう。下働きで働いてもらっても良いですし、知り合いの娼館で欲しがるかもしれませんしな」


 知り合いの娼館と言うのは、場末のものだろうと思われる。多少傷モノでも、安く女が手に入るならありがたいと思うような。

 だとすると、下女のほうがマシかも知れない。


 セシルは、そんな会話をぼんやりと聞いている。

 今更、先を思い煩ってもどうしようもないし、考えることさえ億劫だ。

 赤ら顔の男は、そんなセシルの腕を掴もうと手を伸ばした。

 その時・・・


 バァンッ!


 小講堂の扉が、激しい音を立てて大きく開かれた。

 逆光の中に、1人の男のシルエットが浮かび、鋭い声が響く。

「待てぇーーっ!」

 背の高い男性は、肩で息をしていた。

 そして直ぐに、長い脚でサッサと歩を刻み、そのまま壇上への階段を上がる。


 そこで漸く、シルエットだった不審者の正体が解った。

「・・・こ、皇太子殿下っ!」

 壇上にいた人々は、突然現れた皇太子の姿に驚く。セシルを連れて行こうとしていた男などは、顎が外れそうなほどポカンと口を開けていた。


「間に合ったな・・・セシル・コートは、私が引き取る。問題は無いな?」

 ここで否やと言えるような人物は、所長も含めて誰もいない。

「あ・・・は、はい・・・」

 呆気に取られた所長には目もくれず、ジャスティンはセシルの腕を掴んで引き寄せた。


(・・・え?・・・何?・・・これも、夢?)

 頭の片隅で、ぼんやりとそんな事を思う。

 体の力は抜け、頭の中は霞が掛かっていた。


 彼の胸の中へ抱きこまれ、それでもセシルは何とか顔を上げる。

「・・・私の・・・これからの仕事は?」

 ジャスティンの眼を見て、それだけを呟いた。


「とりあえず、生きることだな・・・・俺の傍で」

 生きるという事は、それだけでも立派な仕事だと言う意味か。

 セシルは、彼の言葉の最後までは聞き取れなかったが、そんな事を思いながら眼を閉じた。



 ぐったりとしたセシルの身体を抱いて、ジャスティンは無言で扉へ向かう。

 彼女の身体から、化膿した傷が放つ悪臭が彼の鼻を打った。

(遅くなって、すまなかった・・・)

 悔いが、胸を締め付ける。


「帰ろう・・セシル」

 小さく呟く彼の背中を見つめる人々は、動くことも出来なかった。



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