4 知るほどに惹かれて
(・・・ふかふか・・・ぽかぽか・・・・・・・天の国?)
最初に感じたのは、身体を包む感触。
ぼんやりと、そんなことが頭に浮かぶが、まだはっきりとしない。
「・・・ん・・・ッ」
僅かに身じろぎした瞬間、背中と胸に痛みが走った。
(・・・痛ッ・・・・という事は・・・)
痛みが頭の中の靄を吹き飛ばしたようで、セシルは重い瞼を持ち上げた。
その途端、視界いっぱいにあったのは、男性の顔。
「気が付いたか?・・・セシ・・・」
「ぅわっ!・・・でっ、でっ・・・殿下⁉」
掛けられた声も耳に入らず、セシルは声を上げた。
(という事は・・・え?・・・ちょっと待って・・・私、死ななかったってこと?)
天の国でも地の底でもなく、ここは皇太子殿下の部屋で、彼のベッドの中に寝ているのだと気づいたセシルである。
「しっ、失礼致しましたっ!」
叫ぶように言って、急いでベッドから降りようとするセシルだったが、背中を貫いた怪我が邪魔をした。
「ぅぎゃっ・・・」
珍妙な声が漏れてしまったが、それを上回る怒声が響く。
「この馬鹿っ!何をやっている!」
半分ほど落ちてしまったセシルの身体を、救い上げたのはジャスティンの腕だった。
「でもっ・・・皇太子殿下の・・・ベッド・・・」
痛みを堪えて何とか声を出す彼女に、皇太子殿下はピシャリと言った。
「俺が寝かせたんだ。黙って大人しく、ここで寝ていろ!」
「ハッ、ハイ・・・・」
竦み上がって、蚊の鳴くような声で返事をするセシルだが、緊張で身体は硬くなるばかりだ。
(あれでもう・・・終わりだと思ったのに。だから・・・でも、生き延びてしまったのなら、私はまだ『盾の乙女』なのだから、その仕事・・・って、あ・・・)
さっき見た皇太子殿下の顔には、包帯もスカーフも無かった。
(もう治られたという事・・・私の任務は、終わりと言うこと・・・でも・・・だったら何故、私はここにいるんだろう?)
元々『盾の乙女』などは、使い捨ての存在だったはずだ。
閨を共にし、性的奉仕をしつつ、何かあればその身を盾とする。肉の盾としての存在は、例え命を失っても問題は無い。それを踏まえて、『盾の乙女』を呼ぶ時は、それなりに高額の値が付く。その金は、全て『盾の乙女』の本部へ支払われるのだが。
命を失わなくとも、怪我をした場合はそのまま、本部に送り返されるのが常だ。
セシルは、訳が分からないまま、ベッドの上でジッとしている。
いつの間にかジャスティンは、部屋のテーブルの傍で何かをしていた。
「とりあえず、水を飲め。それから、少しでも食べるんだ」
用意してあったらしい水と、粥が入った椀を持って、彼はベッドに歩み寄る。
「あ、はい・・・」
セシルは何とか起き上がろうとするが、再び叱りつけられた。
「だから!寝ていろ! と、言っただろうが。身体に力を入れるな・・・少しだけ、起こしてやる」
枕の位置を調節し、少しだけ彼女の上体を起こし、顎の下に布を挟んで、ジャスティンはベッド傍の椅子に腰かける。
ぶっきら棒に声を掛けながら、慣れない手つきで水を飲ませたり、粥を食べさせる彼だが、その手は大層優しかった。
「・・・よし、食べられたな」
満足そうに一言呟き、立ち上がろうとするジャスティンに、セシルはおずおずと言葉を掛けた。
「あの・・・殿下。手当てや・・・ベッドや食事・・・本当にありがとうございました。・・・私・・・なんか・・・・の・・・・・」
後半は、眠気に襲われている。
たどたどしい彼女の声に、ジャスティンは戸惑いながら呟いた。
「いや・・・これで結構、楽しんでいる。・・・・・・自分でやりたいと思っているだけだ。何と言うか、その・・・・セシル、お前に興味がある・・・と言うか、気になっていると言うか。つまりは、その・・・」
好きになった、とは流石にまだ言えない。
もごもごと言いながら、視線を外していたジャスティンだが、チラリとセシルを見ると、彼女はもう眠っていた。
すぅ・・・すぅ・・・と、規則的な寝息が聞こえる。
(・・・どこまで聞いていたんだ?)
折角頑張って、言いづらいことを言ったのに。
と、落胆する彼だが、まぁイイかと思い直す。
(それにしても・・・寝顔は、あどけないんだな。二十歳くらいと聞いていたが・・・もっと幼く見えるような・・・。瞳の色は、黒だった・・・か)
色々と、新しい事を知るジャスティンだ。
今はそれが、嬉しくて堪らない。
眼が見えなかった時間、ずっと傍にいて介護をしてくれた彼女は、落ち着いた雰囲気で細やかな気配りをしてくれた。
想像の中のセシルは、大人っぽく温和で、忍耐強い女性だった。
けれど今は、慌てたり、戸惑ったり、申し訳なさそうな顔をしたり、と意外な面を見せている。
(だが、不思議なことに・・・嫌じゃないんだな、これが)
思っていたのと違う、と不快になったりはしない。
(今までとは・・・違う・・・)
皇太子として育てられた彼は、子どもの頃から、思った通りにならないと、酷く機嫌を損ねた。
相手が自分の思う通りに動かない時は、次からは会う事さえ拒み、自分から遠ざけた。
そんな言動も、皇太子として相応しくないと噂される原因の1つでもあったのだが、知ったことでは無かった。
セシルは、自分にとって、特別な存在なのだと気づくと、ジャスティンは考え始める。
そして長い時間深く考え、やがて彼は結論を出した。
「よし、決めた。早速、行動に移すとしよう」
声に出して言うと、ジャスティンは晴れ晴れとした顔になる。
その顔は、年相応の明るさに満ちた、素のままの笑顔だった。
翌朝、セシルが目を覚ますと、侍女がやって来て世話をしてくれた。
ジャスティンが居ないことが気になったが、ただ黙々と仕事をこなすだけの侍女には聞けない。
けれど暫くしてやってきた侍医は、彼女の包帯を変える時に、声を掛けてくれた。
「・・・まだ完全には塞がっていないので、安静を続けるように。皇太子殿下から、命じられておりますからな。ここにいる間は、指示に従ってもらいますぞ」
「ありがとうございます。あの・・・質問しても、よろしいでしょうか?」
彼はおそらく、皇太子付きの侍医なのだろう。下賤な娼婦まがいの娘が患者でも、仕事はきちんと果たすつもりらしい。初老で真面目そうな彼なら、返事をしてくれるかもしれないと思い、セシルは礼儀正しく聞いてみた。
「ん?・・・何かな?」
「ありがとうございます。私の怪我は、大したこと無かったのでしょうか?短槍が、貫通したような記憶があるのですが・・・」
彼女はいつも、侍医が皇太子の治療をする時、部屋の隅に下がって控えていた。
邪魔にならないよう留意し、静かで落ち着いた雰囲気を纏いながら。
そんなセシルを、彼は娼婦らしくは無いと感じていたのかもしれない。
「いや、済んでのところ、命を落とすところだったな。助かったのは、殿下が秘蔵の薬を・・・おっと、これは口が滑った。・・・仕方が無い、口外無用だぞ。殿下が国王陛下から下賜された秘薬のような物で、殿下の御眼の治療に半分ほど使った残りだ。半分ではどうかと思ったが、今の状態までは回復したという事だ。だがそんな貴重な物を、お前さんに使ったと知られたら、色々と拙いかもしれない。だから、誰にも言わず、いや、忘れてしまってくれ」
侍医の言葉に驚いたセシルだが、秘密は守ると誓う。
不安そうではあったが、侍医はそそくさと帰り支度を始めた。
「殿下は、どちらでしょうか? ちゃんとお礼を言いたいですし、ご恩返しもしたいのですが」
セシルは、最後にもう一つ質問をした。
「殿下は、宮殿だよ。御眼が完治したのでな」
侍医はそれだけを告げ、さっさと部屋を出て行った。
独りになったセシルは、天井を見つめながら考えていた。
(何故、私なんかのために貴重な薬を使ったんだろう・・・ああ、そう言えば、飲むタイプの水薬は、封を切ると日持ちがしないって聞いた事がある・・・捨てるよりは良いかと思って使ってくれたのかも・・・)
そう思った方が、気が楽になる。
(それでも、お礼と恩返しはしないと・・・ああ、そう言えば、あの言葉は・・・)
ふと脳裏に浮かんだのは、昨日眠ってしまう直前に聞いた彼の言葉。
(『楽しんでいる』って言ってたけど・・・世話が楽しいってこと?)
粥を食べさせてもらった後、ジャスティンはそんなことを言っていた。
(世話が楽しいって・・・ペットを飼う身分の高い方は、それなりに多いって聞くけど・・・)
小鳥や犬猫、それらをペットとして傍に置く貴族や王族は多い。自ら世話をする場合もあるのだろうが、世話は使用人に任せて、自分は可愛がるだけの方々も居そうだ。
(殿下も、そういう事なのかしらね。・・・小鳥や犬猫じゃなくて、ちょっと変わった相手の世話が面白かったのかも。でも、人間をペット代わりにするって・・・どうなの?)
まぁでも『盾の乙女』ならば、もっと酷い待遇でも苦情は無いだろうから、その点は問題無いのかもしれない。
(でも・・・少し変な性癖があるのは・・・問題かもね)
セシルの方が、変な結論を出してしまった。
(それでも、もう一度、お会いしてお礼を言いたかったけど・・・その可能性は低いかな)
セシルは、静かに瞼を降ろした。
仕事が終わった以上、きっとここには居られない。
それは、諦めにも似た覚悟だった。




