うちとけの朝
翌日の朝、私は体を包む心地よいぬくもりの中目を覚ました。
暖かくて、気持ちい。ずっとこの中でまどろんでいたい。
このぬくもりの正体を、私は知っている。
人のぬくもりだ。
きっと、また四海堂がベッドに潜り込んできたのだ。
ぐーで殴って追い出さなければいけない、と思うのに、そのぬくもりにほだされてずっとこうしていたくなってしまう。
変性を促すためか、それとも単なる趣味か、四海堂はこうして私にちょっかいを出すのが大好きだ。私が本気で嫌がるようなことはしないが、そのギリギリまではやる男である。
「……ン」
四海堂はムカつくけど……。
あー……、これはあったかくて気持ち良い。
ふすん、と鼻を鳴らして私は傍らの温もりへと身を寄せる。
なんだろう……、良い匂いがした。ふわりと鼻先を掠める、甘いけれど少しだけ苦い……、ああ、これは紅茶の匂いだ。
「……っ!?」
そこで、ハッと脳の一部が覚醒する。
甘く苦い紅茶の香りは、決して四海堂の纏うものではない。
これは。
この匂いは。
だ、だだだだ旦那様……!?
ぱち、と私は目を開けた。
案の定、目の前にあったのは旦那様の顔だ。
「ひ」
悲鳴が喉で引き攣った。
照れだとか羞恥だとか、そんな可愛らしい感情が混じったものではない。
正真正銘恐怖からの悲鳴である。
旦那様の目の前でぶッ倒れたあげく、旦那様に看病され、さらにはその寝床を強奪しちゃったなんて……!!
とんでもない罪状だ。
さらに言うなら、旦那様にとって私は単なる使用人の「男」である。
そんな男相手に雑魚寝を強いられただけでなく、寝てる間に擦り寄られていたなんてことを知ったら……絞殺されても文句は言えない。
「……に、逃げよう」
旦那様が目を覚ましてしまう前に、何事もなかったかのように部屋に戻って、朝食の準備をして、誤魔化さなければ。私は旦那様を起こしてしまわないように、そっとベッドから抜け出そうと試みる。少しずつ、少しずつ布団の中から身をずらし――…ようやく片足が床についたというところで。
「逃げるな、湯たんぽ」
「!!」
眠たげな掠れた声が響いたかと思うと、ぐいと腰のあたりを抱かれて再び布団の中へと引き戻されてしまった。
執事→ペット→湯たんぽ。
もはや生きものですらなくなった。
「…………」
「うるさい」
「俺、何も言ってませんが」
「物言いたげな顔をしていた。顔がうるさい」
「なんという」
顔がうるさい、とはこれまた随分な暴言である。
でも負けてはいられない。いろいろやりたいことがあるのだ。
まずは朝食を作って食べてもらいたいし、とりあえずこの状況から何とかして逃げ出したい。
「旦那様、俺仕事が」
「お前の仕事は俺を暖めることだ湯たぽん」
「俺、湯たんぽに転職した覚えはないですからね、っていうか今旦那様ゆたぽんって言いませんでしたか」
「――…」
旦那様がうっそりと瞼を持ち上げて私を見た。
至近距離、互いの呼吸すら感じられるような距離で視線が交わされる。
「湯たんぽなタヌキで――…、湯たぽん」
「タヌキ!?」
確かに昨夜執事からペットに格下げされてしまったのは覚えているが、まさかタヌキだったとは思わなかった。果たしてタヌキというのはペットとして一般的なのだろうか。山間育ちの私にとっては、食料をあさる害獣、といった認識でしかないのだが。
執事→ペット(タヌキ)→湯たんぽ→湯たぽん。
超進化だ。
「ぬあ……」
何とかして抜け出そうとごそごそ身じろぐものの、旦那様の腕はがっちりと私の体をホールドしてしまっている。
朝ご飯を作ってあげたいのに、なかなか抜け出せない。
旦那様に朝ご飯を作って、食べてもらうんだ……!
ぬぐぐぐぐ、と力を入れて私は踏ん張り――…。
「……フン」
そのタイミングで旦那様がするりと腕から力を抜いたもので、勢い余ってそのままベッドから転落した。
「ぎゃ!」
高さがそれほどなかったせいか、死ぬほど痛いというようなことはないが、それでも目の覚めるような衝撃だった。
「うう……」
「……クク」
呻きながら立ち上がったところで、顔の半分を枕にうずめるようにしながら笑う旦那様と目があった。
……このやろう。
恨めしげな目で睨んでやっても、旦那様は楽しげに笑うばかりである。
と、いうか、こういう乱れた格好も格好よくサマになるから腹立つ。
私が逃げ出そうともがいたせいで、中途半端に跳ね上がった布団。
露になった上身、着乱れたシャツの袷から覗く素肌が色っぽい。
ワイルドとか、セクシーとか、そういった言葉が嫌になるほどよく似合う男だ。
「…………」
旦那様は、私が己を見ていることに気づくと、意地悪げに口角を持ち上げて笑った。
「―――おいで?」
からかうつもりたっぷり、といった声音。
わざとらしい疑問形が余計に腹立たしい。
何より癪なのは、そういった言動が誰よりも似合っていて、そして、その上で自分でもそれをよく理解しているというところだ。自分の魅力を充分に自覚した上で人をからかって遊んでるのだから、タチが悪い。
私はフン、と息を吐いて。
「――…いきませんっ」
「ち」
舌打ちされた。
私にフられた旦那様は、跳ね上がっていた布団を再び引き上げるとすっかり興味をなくしたように目を閉じる。
「旦那様、朝食はどうなさいますか?」
「要らん。まだ寝る」
「かしこまりました」
もしかすると……、朝はあまり食べないタチなのかもしれない。
寝汚そうにしっかりと布団に包まってしまった旦那様からは朝に弱そうな印象を受ける。私はそんな旦那様にぺこりと一礼をした後、部屋を出ようとしたのだが……。
「ああ、キッチンに薬粥を用意してある。適当に喰え」
だるだると眠そうな声で、そんなことを言われた。
「あと、今日一日は安静にしてろ。仕事してるのを見かけたら――…」
見かけたら……?
「強制的にベッドから出られない体にしてやるから覚悟しておけ」
さらっと脅迫された。
ぐ、具体的にナニをするとは言わないところがプロである。
相手の想像力次第では、どこまでも恐ろしいことになる万能脅し文句だ。
でも気にかけてもらってる。
朝食を用意してくれて、体を労わるための時間をくれた。
「ありがとうございます」
心の底からの感謝を告げて、私は今度こそ部屋から出ようと歩みかける。
「毛づくろいは仕事にカウントしないので安心して存分に毛づくろえ」
「――…」
じろりと半眼で振り返ってやる。
「……ククク」
こんもりと盛り上がった布団の中からは、楽しげに喉を鳴らして笑う声だけが聞こえてきた。
★☆★
台所へと移動してみると、薬粥が用意してる、との旦那様の言葉どおり、コンロの上には小さな鍋が載っていた。
「……薬粥ってどんなのだろ」
かぽ、と蓋を開けて中を覗いてみる。
もしかしたらとてもじゃないが食べれそうにない凄まじい物体エックスなのではなどと思ったが……。
「あ、おいしそう」
薬草の独特な匂いが混じってはいるものの、非常に美味しそうな匂いがふわりと鼻先を掠めていった。きゅう、と腹が鳴る。考えてみれば、私は昨日の昼頃に庭でひっくりかえって以来何も食べていなかったのである。
「……そりゃ腹も減るよな、うん」
早速小鍋を火にかける。
焦げ付かないよう菜箸でかき混ぜながら味見をしてみる。
いかにも滋養によさそうな薬草の苦味と、やさしい卵の甘さ、そして絶妙な塩加減が胃に染み渡るようだった。
「……美味しい」
後でレシピを聞いたら教えてくれないだろうか。
「……つか、料理できるんじゃないか、あのひと」
確かに使われた形跡はほとんどなかったけど、最初から料理のための道具は揃っていた。どうやら築有志郎という男は、やろうと思えば料理も人並み以上にこなすものらしい。
――…築有志郎、か。
意地悪で偏屈、凶悪な一匹狼。
でも……、優しいひとだ。
私が昨日、庭で意識を失う間際に見た光景。
あれはきっと、幻覚などではなかったのだ。
旦那様は、倒れる私へと手を伸ばしてくれた。
心配して、怒ってくれた。
目覚めるまで、看病してくれて……こうして、薬粥まで作ってくれた。
意地悪で捻くれてはいるが、優しいひとなのだ。
……話も、聞いてくれたし、聞かせてくれた。
私の過去を、静かに聞いて受け入れてくれた。
そして、逆に旦那様自身の過去をも、話してくれた。
旦那様が、人を己のテリトリーに入れない理由。
この家に拘りながらも、一方でこの家に触れないようにしている理由。
……それなのに。
「……俺、騙してるんだよな」
声にすると、きゅうと胸が締め付けられるように痛んだ。
「だんな、さま」
そ う呼ぶ音に、私の唇はこんなにも馴染んでいるというのに、私は決して本物の使用人にはなれない。あくまで、私の持ち主は四海堂だ。四海堂がここにいろと命じたから、私は旦那様のそばにいるのだ。
四海堂が何か指示を出してきたら……、逆らえない。
今のところ、四海堂は何も行動には出ていない。
ただ、私をこの家に送り込んだだけだ。
だが四海堂は薬師協会の会長であり、旦那様は協会に反目するフリーの薬師だ。
二人が対立している以上、私は必ず何かをしないといけなくなるだろう。
四海堂に命じられれば、旦那様を裏切らなければいけないのだ。
「…………」
せっかく美味しいはずの薬粥からも、味がなくなってしまったような気がした。粥を口に運ぶ手が止まる。
残したらもったいない。せっかく、旦那様が作ってくれたのだから。
もぐもぐ、と半ば機械的に粥を口に運んで、飲み込む。
四海堂の指示なんて、ずっと来なければいいのに。
ずっと、ここで旦那様のための執事として仕事をしていたい。
けれど、そうも行かないこともちゃんとわかっている。
「……はあ」
だから私は、ため息を一つ吐き出した。
★☆★
ゆっくりと時間をかけて旦那様お手製の薬粥を食べ終えた私は、食べ終わった後の鍋や食器を片付けてから居間に来ていた。
今日は一日、どうしようか。
旦那様には、仕事をしているところを見つけたらどうにかしてやる、となんとも恐ろしい脅しをかけられている。だからっていって趣味に走ってガーデニングをやらかしても、間違いなくお仕置きコースだろう。
趣味と仕事が一致しているが故の、悲しき弊害である。
「うーん……」
どうするべきか、としばし悩んだ結果。
「……寝るか」
私はそんな結論に至った。
明日からはまたガーデニングだったり、ワックスがけだったり忙しくするつもりなのだ。今日一日ぐらい、まったりごろごろさせてもらったとしても罰は当たるまい。一日中ベッドでごろごろしてすごす、なんていうのは一見残念な余暇の過ごし方であるようだが、ある意味非常に贅沢だ。
そう決めて私は二階の自室へとひっこもうとするが……。
「……あ」
暖かそうな日差しがぽかぽかと差し込む窓辺が、目に入った。
気持ちよさそうだ。
部屋のベッドで寝るよりも、程よく日当たりの良い窓辺での居眠りに、心惹かれてしまう。
「……よし」
つ、と私は空中に指を滑らせた。
するする、空間に干渉するための呪を刻んでいく。
ぐにゃりと歪んで開いた空間の裂け目へと、ためらいなく腕を突っ込み……、ずるっと愛用の枕を取り出した。一度二階に上がって、また戻ってくるのは面倒だ。
掃除洗濯と、家事に家中を駈けずりまわることは苦にならないわりに、変なところで面倒くさくなるのが私の欠点だ。
「ふんふふーん」
鼻歌交じりに、ぼふぼふ、と枕を叩いて形を整える。
日当たりの良い窓辺にぺたりと座り込み、私は枕を抱えて丸くなった。
……あー、気持ちいい。
絶好のお昼寝日和だ。
昨日庭ではきつすぎるように感じた日差しも、窓ガラスを一枚隔てただけで心地よい温度に感じられる。寝起き、とはいえ、しばらくぶりの満腹感と柔らかな日差しに誘われて、ふとふとと眠気が訪れる。
……おやすみ、なさい。
ふよふよと波間を漂うような心地よさに目を閉じて――…、私の意識はゆっくりとふやかされていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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