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『風を読む ―那須与一宗隆 手塩の弓 全十章  作者: あっちゅ寝太郎


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『風を読む ―那須与宗隆 手塩の弓 第五章

第五章:くろがねの雨、鵯越ひよどりごえの疾風

一、軍神の食卓と「那須の疾風」

一ノ谷へ向かう峻険な道中。義経がわずかな休息を告げると、武蔵坊弁慶をはじめとする家臣団は、安堵の息をついて腰を下ろした。

弁慶が、熊のような手で特大の握り飯を掴み、まさに口を開こうとした、その時であった。

「……ごっつぉさんだっぺ」

隣に座っていた那須与一宗隆が、すでに懐の布で口元を拭っていた。

弁慶はあんぐりと口を開けたまま、固まった。与一の膝の上には、空になった椀が転がっている。つい数呼吸前、与一の手元には山盛りの干し飯と、熱い汁物があったはずなのだ。

「……な、那須殿。今、食うたのか? 噛んだのか?」

弁慶の問いに、与一は平然と答える。

「噛んでたら、風に置いていかれるべ。喉に流し込むのが那須の作法だっぺ。」

それを見ていた義経が、クツクツと喉を鳴らして笑った。義経自身も、すでに食事を終え、馬の背に手をかけている。

「弁慶、驚くな。那須の家では、飯は『奪うもの』だそうだ。奪う速さが足りぬ者は、戦場に立つ前に飢え死ぬのだという」

「ははあ……。そりゃあいくさより厳しい」

弁慶が兜の下の頭を掻き、ようやく握り飯を一口齧った時には、与一はすでに愛弓の弦の張りを確かめ、戦の顔に戻っていた。

二、鵯越ひよどりごえ:逆落としの狂気

摂津、一ノ谷。平家が海を背に、鉄壁の陣を敷く難所である。

宇都宮朝綱ら坂東の名門武士たちが「馬での下山は狂気の沙汰」と断じる断崖を前に、義経は不敵に笑った。

「鹿が落ちるなら、馬も落ちる。与一、お前はどう見る」

与一は、崖を吹き上がる海風を頬で受け、目を細めた。

「……那須岳の裏山に比べりゃ、これくらい、ただの坂だっぺ。」

その言葉が合図となった。

義経が先頭を切り、重力に逆らうように崖を駆け下りる。馬のいななきと土煙が舞う中、与一は鞍上で驚異的な安定を見せた。那須の石だらけの原野で、兄たちと競い合って培った下半身の粘りが、震える馬体を完璧に抑え込んでいる。

三、垂直の一射、空からの死

「逆落とし」の旋風の中、与一の右手が動く。

それは朝の食事と同じ、淀みない速さであった。えびらから抜かれた一矢が、疾走する馬の上から、平家の陣営へと正確無比に放たれる。

上空から降り注ぐ、音もなき死神の雨。

「空から矢が降ってくるぞ!」

「天狗か、那須の化け物か!」

平家軍は、常識を遥かに超えた高度と速度から放たれる「那須の矢」にパニックに陥った。名乗りも、名誉もない。ただ「効率」だけを追求した職人の一撃が、平家の美しき陣を、内側から食い破っていく。

四、滅びの錦、理解し得ぬ雅

崩れゆく陣の中、与一の目に一際あざやかな色彩が飛び込んできた。

平忠度ただのり――清盛の弟であり、文武両道の誉れ高い名将が、いまや坂東武者の群れに囲まれていた。忠度の箙には、一首の歌が結ばれた短冊が揺れている。

『行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花こそあるじなりけれ』

その美しき最期を、与一は冷めた目で見つめる。

「死ぬ間際まで花を語るとは……。腹いっぺぇ飯を食える奴らの考えることは、わからねぇな。」

那須の庄屋の倅にとって、戦場は花を愛でる場ではない。ただ「生きるか死ぬか」の境界線だ。雅に殉じる平家の公達たちの姿は、与一にはあまりに脆く、眩しすぎた。

五、血塗られた「ごっつぉさん」

奇襲は成った。燃え上がる陣、首級を求めて咆哮する武士たち。

その喧騒の中で、与一は一人、折れた矢を拾い集め、煤竹の肌を丁寧に拭っていた。その所作は、あたかも食事を終えた後のように静かであった。

「……これで、また少し生き延びたっぺか。」

勝利の歓声の中で、与一の瞳は遥か西の海、さらにその先の「屋島」を見つめていた。

そこには、平家側に回った九人の兄たちがいる。資隆が命じた「一族生存」の策が、いよいよ現実の重みとして、与一の肩にのしかかり始めていた。

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