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レッドオーガ  作者: うみぐま


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第七話 観測の火(前編)

港の灯りが、一本ずつ点いた。港の灯りが、一本ずつ点いた。


 空が暗くなるほど火は増えるのに、働き手の声は落ちない。荷車は流れ、鎖は擦れ、滑車は鳴り続ける。——夜だ。


 ピィ。


 音は小さい。鎖の擦れる音に飲まれる程度の細さだ。


 それでも無双の耳には、針みたいに刺さった。——聞こえる、というより“拾ってしまう”。


 周りの港の人間は誰も顔を上げない。


 怒鳴り声は続き、荷車の列は崩れない。最初から音なんて無かったみたいに、港は“仕事の顔”を保ったままだ。


 無双は口元だけで笑った。


「……気づく奴だけが気づく音、ってやつか」


 隣の布武が、目線を上げないまま返す。


「うん。拾う側にだけ刺さる。……合図っぽい」


 人の流れの隙間から影が滑ってきた。バルスターだ。


 歩調を合わせ、立ち止まらずに並ぶ。止まった方が目立つ——この港ではそれが一番危ない。


 バルスターは懐から、折り畳んだ小さな紙を一瞬だけ覗かせた。


 点と線。短い印と長い印。空白の幅。


 彼は音そのものじゃなく、“間”を指でなぞる。


「……同じだ」


 布武が小さく聞き返す。


「何が?」


「合図の癖。吹き方じゃねえ。“運用”の癖だ」


 無双が肩をすくめる。


「癖って便利だな」


 バルスターは笛の鳴った方向を見ないまま、低く言った。


「“誰の”合図かは分かる。……ボムスン商会向けのやつだ」


 無双が首を傾げる。


「でもボムスン、捕まったんだろ。関係者も動けない」


 布武も頷く。


「学府会が、それを知らない可能性はほぼない」


 バルスターは頷かない。笑いもしない。


 ただ、指の関節をひとつ鳴らした。


「……だから“来ない”とも言えねえ」


 無双の声が少しだけ軽くなる。


「じゃあ取引じゃない。合図の形を使って、別の何かを——」


 無双が言いかけて、言葉を止めた。


 合図が鳴っているのに、港の“表”は何も変わらない。


 変わるのは、拾ってしまう側の鼓動だけだ。


「……妙だな」


 布武が小さく息を吐く。


「普通の行動概念で考えると外す。幻成学府会は、そういう相手」


 バルスターが低く吐き捨てる。


「読めねえ。読もうとした時点で負ける」


 無双はバルスターを見た。


 余裕のある目で、でも逃げない。


「……で。お前、なんで“ボムスン商会向け”って分かる」


 バルスターは一拍だけ黙って、懐から紙を一枚取り出した。


 折り畳まれた紙。角が雑に裂けている。


 港の灯りに当てると、薄い線と数字と、短い符号が浮いた。


 無双の目が細くなる。


「それ、なんだ」


 バルスターは言った。


「里の者がボムスンの館に内偵してた。……そこにお前たちが襲撃してきたらしい」


 無双が眉を動かす。


「偶然重なったってことか」


「目的は偶然じゃねえ」


 バルスターは紙を軽く叩いた。


「ボムスンの人身売買の証拠を掴むために潜ってた」


 布武が紙を見つめる。


「……それがその証拠?」


「ああ」


 バルスターは短く頷いた。


「門が破れて館が騒いだ、その隙に“これ”を抜いた。おかげで無事に証拠も入手できた」


 無双の目が少しだけ鋭くなる。


「だから“港で取引する”って情報も知ってたのか」


「そうだ」


 バルスターの声が硬くなる。


「場所も、段取りも里の仲間から事前に連絡を受けた。だから今回は先に動けた」


 布武が、紙から目を上げずに言う。


「この港は竹田たけたの里の縄張りで合ってる?」


 バルスターは短く頷いた。


 無双が息を吐く。余裕は崩さない。


「じゃあ残るのは——縄張りを荒らしに来た奴に、片をつけるだけか」


 バルスターは短く言った。


「そういうことだ」


 無双は紙を一度だけ見て、笛の音を思い出すみたいに指で自分の耳を軽く叩いた。


「合図が小さすぎる」


「うん」と布武。


 無双が言い切る。


「取引場所を知らせるためじゃない。——聞き取れる奴を炙り出すためだ」


 布武が息を呑む。


「拾える奴だけ拾う音……」


「そう」


 無双の声が少し低くなる。


「港で取引が行われること知ってるのは、基本ボムスン商会だけ。例外は——今ここにいるお前」


 無双がバルスターを見て、次に布武を見る。


「そして、拾っちまうのは、俺たちだ」


 一拍。


「つまり学府会は、最初から俺らの行動と実力を見に来ている可能性がある」


 布武が、声だけを落とした。


「……後ろ、見ないで」


 無双は余裕のまま、目だけで答える。


「いるのか?」


「うん。さっきから距離が変わらない。……静かすぎる」


 バルスターが口を開かずに、歩調だけをほんの僅かに合わせ直した。


 布武とバルスターが港の違和感を噛み砕こうとしている横で、無双は肩をすくめた。


「……めんどくせぇな、さっさと終わらせるか」


「え?」と布武。


 バルスターも一瞬、目を細めた。


「……なにか策でもあるか?」


 無双はさらっと言う。


「考えるのは任せる。俺は発信源を捕まえてくる。——早いだろ」


「早いとかじゃなくて!」布武が小さく叫ぶ。


「……お前、話、聞いてたか?」バルスターが低くツッコむ。


 無双は振り返らない。笑い声だけが残る。


「聞いてた聞いてた。——だから捕まえる」


 そのまま、無双は走り出した。


 荷車の影へ。人の隙間へ。港の喧騒に溶ける速度で。


 無双の背中が、人波に飲まれて消えた。速い。しかも迷いがない。


 ……数拍。


 本当にいなくなった。


 バルスターが、思わず口を開いた。


「……行ったぞ」


 布武が、目を瞬いたまま言う。


「行ったね」


 バルスターは信じられない顔で、無双が消えた方向を見る。


「ここは合図を解読して慎重に動くのが定石。あいつ……なんなんだ?」


 布武は、ほんの少しだけ間を置いてから言った。


「……一応、私の兄貴」


 バルスターが、鼻で笑った。


「……は」


 普段なら止める。


 縄張りの中で勝手に動く奴は、真っ先に首根っこを掴んで引き戻す。


 ——でも、今は手が出なかった。


「止めるべきだったんだろうが」


 バルスターは小さく言って、すぐに続けた。


「……俺の勘が、“あいつなら大丈夫だ”って言ってやがる」


 布武が肩をすくめる。


「そうだといいわね」


 二人は同時に、また刺さる音を“拾った”。


 ピィ。


 ——無双の方角だ。


 無双は走りながら、もう一度だけ“拾う音”を待った。


 追うんじゃない。確認する。


 ピィ。


 音は小さい。けれど無双の耳には、針みたいに刺さる。


 そして刺さった瞬間、港の音が一段だけ薄くなる。鎖、怒鳴り声、車輪——全部の中から、今の一本だけが浮く。


 無双は笑った。


「……そこだ」


 だが、まっすぐ行かない。


 まっすぐ行けば目立つ。目立てば、掴んだ瞬間に逃げられる。


 無双は荷車の列に紛れた。


 一台の影に入って、次の影へ。人の肩を盾にして角度を変える。


 音の方向を“距離”に変えるみたいに、頭の中で線を引く。


 ピィ。


 二度目で確信に変わる。


 音が落ちる場所は、同じ帯の中。——逃げ道が限られる。


 無双は小さく息を吐いた。余裕のまま。


「隠れてるつもりなら、逆だ」


 三つ目を待たずに、無双は角を切った。


 荷車の腹の影へ滑り込み、列の速度に合わせて歩幅を小さくする。


 完全に止まらない。流れに混ざったまま、速度だけを落とす。


 外から見れば荷車の影が流れているだけ——無双が狙っているとは分からない。


 その影の中に、男がいた。


 笛を握る手だけが白く浮いている


 無双の指が伸びる。


 拳じゃない。笛そのものを掴む手。


 ——パキッ。


 乾いた音で笛が折れた。


「……なんだおまえは!」


 男が叫びかけた瞬間、無双の手が男の襟を引いた。


 引くというより“落とす”。荷車の影へ、音が出ない角度で。


 男の喉が鳴る。


 無双は拳を当てない。喉元に“置く”。


 それだけで、声が半分死ぬ。


 無双は笑った。


「捕まえた」


 男が歯を食いしばる。


「……殺す気か」


「殺さない」


 無双は軽く言って、折りた笛を男の目の前で揺らした。


「折るのはこれだけ」


 男の視線が、笛の欠片に吸い寄せられる。


 無双はその瞬間に、声を落とした。


「で。お前、誰にむけて合図を鳴らしてる」


 男が黙る。


 無双は笑いを崩さないまま、圧だけを増やす。


「黙るのもいい。——じゃあ、呼べ」


「……何を」


「お前を使ってるやつ」


 無双は欠片を男の手に戻した。


「もう一回鳴らせ。『邪魔が入った』って伝えろ。確認に来る」


 男の指が震える。


「……来るわけが」


 ——ズン。


 次の瞬間、荷車の腹が白く光った。


 遅れて、爆発。


 轟音が夜の港を叩き割り、木片と鉄片が雨のように散った。炎が跳ね、潮と油の匂いが一気に変質する。


 港の“仕事の顔”が、災厄の顔に裏返った。


 爆発の中心から少し離れた場所で、無双は笛吹きの男を担いで転がっていた。


 寸前で影に潜り、荷車の下を滑って、爆風を背中で受け流した。


「いきなりかよ」


 軽口は出る。けれど目は笑っていない。


 爆炎の向こうから、男の声が落ちた。


「回避したか」


 爆発した荷車へ、黒い影が近づく。


 足取りは静かで、無駄がない。


 さっきまで“静かな視線”で貼り付いていた——本命の尾行だ。


 無双は担いだ笛吹きの男を一度だけ見て、鼻で笑った。


「お前、仕事の上司は選んだ方がいいぞ」


 無双は軽口をたたいて、笛吹きを見るが気絶している。


 無双はその男を邪魔にならない場所によける。


「お前、俺らを尾行していた奴だな」


 無双は目の前の男を、改めて見た。


 でかい。二メートルは軽く超えている。

 フード付きのローブ——形だけ見ればパーカーみたいに軽いのに、フードの影だけが異様に深い。灯りが当たっても奥が浮かばない。顔が最初から無かったみたいに見えた。


 無双は口元だけで笑う。


「こんな目立つ図体して、よく尾行できたな」


 男は何も言わない。

 返事の代わりに、踏み込んだ。


 音が遅れて来る。

 ——速い。


 無双は半歩だけずらして避ける。跳ばない。逃げない。

 すれ違いざま、肩口へ拳を返した。


 ガン、と当たる寸前で、男の体が滑る。

 重いはずの図体が、影みたいに軽い。


 無双は回避しながら反撃する。


「……子どもにしては、なかなかだ」


 男が呟く。


 温度のない声。興味がない声。


 なのに次の言葉だけ、わずかに空気が変わった。


法原ほうげん博士が興味を引かれるのも、理解できる」


 無双の目が細くなる。


「……法原だと? お前、幻成学府会だな」


 男は答えない。


 代わりに、無双の肩越しへ視線を投げた。


 爆発の音に釣られて、港の人間が集まり始めている。


 火の手、叫び、子どもの泣き声。


 混乱は“人を集める”。


「ここまで、こそこそしていたお前らが目立ってもいいのかよ」


 無双が笑いながら挑発する。


 男は淡々と言った。


「我々は逃げ隠れしているわけではない。……邪魔なら、消せばいい」


 男の両手に白炎が灯り、静かに合掌した。その瞬間白炎がすぐに消える。


 次の刹那、右手が群衆へ向く。


 言霊が落ちる。


「番内——【業火砲波〈ごうかほうは〉】」


 大きな火の球が生まれた。


 ただの火じゃない。中心が白く、外側が赤黒い。熱量が桁違い。


 それが人の群れへ向かって放たれる。


「……っ!」


 爆炎が、群衆へ落ちる。


 無双は飛び込んだ。


 距離が足りない。人数が多い。——理屈では間に合わない。


 それでも足が止まらない。


 轟音。


 爆発の熱が港の空気を裂き、木箱と縄と油が一斉に悲鳴を上げた。


 火が跳ねる。人が叫ぶ。足がもつれる。


「ギリギリだったわね」


 声がした。


 火の球の手前へ、布武が滑り込んでいた。


 両手が一瞬だけ白く燃え、合掌——発動の瞬間の光だけが残像みたいに消える。


 その直後、空気が押し返す。


 火の球そのものを消せない。熱量が違う。


 それでも直撃の芯だけをずらす。群衆へ落ちるはずだった軌道が、斜めに逸れた。


 だが逸れた火は、港の木と油を舐める。


 一瞬で燃え広がりかける。


「——そっち!」


 次の瞬間、横から別の“圧”が噛み合った。


 バルスターだ。


 彼の気術は派手じゃない。火に勝つ術じゃない。


 それでも燃え広がる“道”を断つ。倒れる木箱を蹴り倒し、油の流れを割る。


 布武が軌道を逸らし、バルスターが延焼を止める。


 二人の役目が噛み合って、ようやく——群衆が生き残った。


 それでも港の一角は燃えている。


 熱が残り、空気が赤い。


 バルスターが歯を食いしばり、低く吐き捨てた。


「……あの野郎。潰す」


 布武の声が震える。怒りだけじゃない。怖さと驚きが混ざった震えだ。


「……今の、二人でも“止めきれなかった”」


 目の前で、無関係の人間が消されかけた。


 それが布武の“落ちる口調”を引き出した。


「バルスター、港の人を避難させて。ここは、私と無双であいつを止める」


「くそ。俺が片づけたかったが」


 港の炎。人の叫び。


 守る範囲が広い。ここで迷えば町まで燃える。


「わかった。まかせる」


 バルスターは踵を返し、港の混乱へ走った。


 怒鳴り声が飛ぶ。指示が飛ぶ。


 “縄張り”を守る声が、港に戻ってくる。


 無双は布武の横に並んだ。


 少しだけ息が荒い。さっきの無茶の代償だ。


 それでも目は笑う。笑ってない笑いだ。


「ところで、あなた何者?」


 布武が男に問う。


 男は答えない。答えないまま布武を観察する。


 無双が横から言った。


「どうやら、法原の部下らしいぞ」


 布武の肩が、びくりと跳ねた。


 震える。


「……法原ほうげん


 その名は、布武にとって“鍵”だ。


 生命維持装置。眠っている仲間。封じられた未来。


 そこに繋がる名前。


 布武の声が一段落ちる。


「やっと掴んだ。やっと。法原の居場所を吐いてもらう!」


 男が、初めて笑った。


 勝ち誇りじゃない。興味を見つけた笑いだ。


「もともと、そのつもりだ」


 布武が眉を寄せる。


「……もともと?」


 男は淡々と続ける。


「だが、もう少しお前たちの力がどの程度か調べたい」


 無双が笑う。いつもの余裕の笑いに戻る。


「最悪の“挨拶”だな。港を燃やしておいて、調べたい?」


 男は答えない。


 答える必要がないと思っている顔だ。


 布武が一歩前に出る。


 両手が一瞬だけ白く燃え、すぐに消える。


「……じゃあ、調べさせない」


 無双も拳を鳴らす。


「やるぞ」


 男がゆっくり構える。


 視線は二人を同時に測っている。距離、呼吸、癖。


 港の炎が、三人の影を歪ませる。


 炎が、港の輪郭を歪ませていた。


 叫び声はまだ多い。けれど、バルスターの怒鳴り声が混ざり始める。


「こっちだ! 油の方に寄るな!」


 混乱が、避難に変わっていく。——戦場が、勝手に整っていく。


 布武は一歩、前に出た。声が落ちる。


「……次は、止める」


 無双は笑わない。拳を軽く回して、短く言った。


「来い」


 男は初めて、ほんの僅かに目を細めた。


 感情じゃない。“測る”ための変化だ。


「いい」


 男が踏み込む。


 無双も踏み込む。


 二つの影が重なった瞬間、炎の音が一段遠くなった。


 布武は喉の奥で、誓う。——この男から、法原の居場所を吐かせる。


(第七話・終)

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