第四十話 ひとりにしないで
フィエルナの問いに、無双はすぐには答えなかった。
周囲では客たちが酒を酌み交わし、すぐ近くを店員が行き来している。
ここで話せる内容ではない。
無双が口を開きかける。
だが、布武が視線だけで止めた。
「場所を変えましょう」
フィエルナは静かにうなずく。
「ロウガンから、奥の個室を使っていいって言われてるわ」
朱里が席を立った。
「先に見てくるね」
酒場の奥へ向かい、ほどなくして戻ってくる。
「空いてるよ。近くにも人はいない」
「それじゃ、行きましょうか」
五人は席を立ち、人目を避けるように酒場の奥へ向かった。
◇
個室へ入ると、朱里が最後に扉を閉めた。
厚い扉に遮られ、酒場の喧騒が遠のく。
五人は、部屋の中央に置かれた卓を囲んだ。
無双は布武と継真へ目を向ける。
継真の表情には、わずかな緊張が浮かんでいた。
やがて、小さくうなずく。
布武もフィエルナと朱里を順に見たあと、静かにうなずいた。
二人の意思を確かめ、無双はフィエルナへ向き直る。
「俺たちは、十二年前に永遠と戦った」
フィエルナの表情が止まった。
朱里も、聞き間違えたように首を傾げる。
「十二年前?」
「ああ」
無双はまっすぐうなずいた。
「世間じゃ、俺たちはあの戦いで全滅したことになってる」
朱里が息を呑む。
フィエルナも、無双から目を離さない。
無双は自分の小さな手へ視線を落とした。
「でも、俺たちは生きてた」
拳を握り、卓の上へ置く。
「俺たちが今こうなってることには、法原が関わってる」
一拍。
「でも、何をされたのかは、俺たちにも全部は分かってない」
フィエルナの視線が、布武と継真へ移った。
「三人とも?」
「ええ」
布武が答える。
「少なくとも、私たちが今の姿で目覚めたことに法原が関わっている。それ以上は、まだ分からないわ」
継真も静かに続ける。
「俺は、目を覚ましてからまだそれほど経っていません」
フィエルナは三人を見た。
十二年前。
永遠との戦い。
全滅したと伝えられた者たち。
そして、目の前にいる三人。
「まさか……」
声が無意識に小さくなる。
「無双くんたち――レッドオーガなの?」
朱里が目を見開いた。
「レッドオーガ……?」
部屋に沈黙が落ちる。
無双はもう一度、布武と継真を見る。
二人とも目を逸らさない。
無双はフィエルナへ向き直った。
「ああ」
短く答える。
「俺たちは、レッドオーガだ」
朱里が反射的に扉を振り返った。
誰もいないと確認したばかりなのに、その名が外へ漏れていないか気になったのだろう。
「本当に……あのレッドオーガ?」
「そのレッドオーガよ」
布武が静かに答えた。
十二年前、永遠との戦いで全滅したとされる戦闘集団。
今も各国から懸賞金をかけられている者たち。
だが、目の前にいる三人は、世間で語られる姿とはあまりにも違っていた。
布武が口を開く。
「一つだけ、知っておいて」
フィエルナと朱里が、布武を見る。
「私たちは、人を殺さないわ」
静かな声だった。
「必要があって戦っても、命までは奪わない。それが私たちのやり方よ」
フィエルナは、休養中に三人から聞いた研究棟での戦いを思い返した。
三人はそれぞれ試作体と戦った。
倒しても。
止めても。
一体も、命を奪わなかった。
フィエルナは無双へ目を戻す。
「無双くんは、昔のことを覚えてるの?」
「全部じゃない」
無双は首を横へ振った。
「覚えてることもある。でも、抜けてることの方が多い」
「それも、法原が関係してるの?」
「分からない」
無双は迷わず答えた。
「分からないことばっかりだ」
少しだけ笑う。
「だから、確かめてる途中なんだ」
フィエルナはしばらく無双を見つめていた。
やがて、その視線を布武と継真へ移す。
布武が静かに言った。
「私たちの正体を知っている人は、ほとんどいないわ」
継真も続ける。
「誰かに知られれば、また各国から追われることになります」
部屋の空気が張り詰めた。
フィエルナは朱里へ目を向ける。
朱里は驚きを残しながらも、迷わずうなずいた。
フィエルナも三人へ向き直る。
「分かった。このことは、誰にも言わないわ」
「もちろん、私も」
朱里も真剣な顔で続けた。
「絶対に話さないよ」
無双は二人を見つめる。
「信じてくれるのか?」
フィエルナは、無双、布武、継真を順に見た。
「あたしは、世間の噂より――」
そして、無双へ視線を戻す。
「このベルガンドで、自分の目で見た無双くんたちを信じるわ」
無双の表情が明るくなった。
「ありがとう」
布武と継真の表情からも、張り詰めていたものが少しだけ消えた。
話を終え、五人は席を立った。
無双が扉へ手をかけたところで、フィエルナが呼び止める。
「無双くん」
「ん?」
「朱里ちゃんと、先に行っててもらえる?」
無双が振り返った。
「俺だけ?」
「布武ちゃんと継真くんに、少し話があるの。すぐ追いつくわ」
無双は三人を見比べたが、深くは尋ねなかった。
「分かった。入口で待ってる」
「無双、勝手に先に行かないでよ」
朱里が扉を開けながら念を押す。
「行かないって」
「今の返事、信用できないなあ」
朱里に続き、無双も個室を出ていった。
扉が閉まる。
足音が遠ざかったことを確かめ、フィエルナは布武と継真へ向き直った。
「告人の話には、続きがあるの」
布武の表情が変わった。
「無双には話さなかったことね」
「ええ」
フィエルナはうなずく。
「本人には伝えないように言われてるわ」
「何をですか?」
継真の声に緊張が混じった。
フィエルナは一度、息を整える。
「告人から頼みを受けたあと、噂どおり未来を一つ教えるって言われたの」
「未来を?」
「ええ。でも、あたしは断った。知りたくないって」
それでも。
母の姿をした告人は、言葉を続けた。
――グランツ・バンブフィールドは、天下無双に殺されます。
「父さんが――」
フィエルナの声が落ちる。
「無双くんに殺される」
継真が息を呑んだ。
布武の目が鋭く細められる。
「……告人が、そう言ったの?」
「ええ」
「あなたは信じてるの?」
フィエルナは首を横へ振った。
「信じてないわ」
迷いのない答えだった。
「今の無双くんを見て、父さんを殺すなんてどうしても想像できない」
閉じた扉へ目を向ける。
「二人が戦う理由もない。あの子が、理由もなく父さんの命を奪うような子にも見えないわ」
それでも。
声から不安は消えない。
「でも、告人が話した法原のことは本当だった」
一週間後、法原がベルガンドへ現れること。
その法原を追えば、無双と出会うこと。
どちらも現実になった。
「だから、聞かなかったことにはできないの」
布武は黙ってフィエルナを見つめる。
「なぜ、私たちに話したの?」
「あなたたちを信用してるからよ」
フィエルナは、布武と継真を順に見る。
「無双くん本人には話せない。でも、あの子のそばにいる二人には、知っておいてほしかった」
継真が慎重に尋ねた。
「無双を疑って、見張ってほしいということですか?」
「違うわ」
フィエルナは、きっぱりと否定する。
「あの子を、ひとりにしないでほしいの」
布武の目が、わずかに揺れた。
「もし、告人の言葉につながる何かが起きたら――」
フィエルナは二人をまっすぐ見る。
「無双くんも、父さんも止めて」
しばらく、返事はなかった。
やがて布武が口を開く。
「分かったわ」
静かだが、迷いのない声だった。
「無双には話さない。でも――告げられた未来が、そのまま決まってるとは思わない」
継真もうなずく。
「俺も、そんな未来にはさせたくありません」
そして、閉じた扉へ目を向けた。
「何があっても、無双をひとりにはしません」
フィエルナの表情が、わずかに緩んだ。
「ありがとう」
その時。
扉の向こうから、無双の声が響く。
「おーい! まだか?」
続いて朱里の声。
「姉御、無双が先に行こうとしてる!」
「行かないって言っただろ!」
フィエルナは思わず笑った。
「今行くわ!」
布武と継真は、一度だけ顔を見合わせる。
そして。
何も知らずに待っている無双のもとへ歩き出した。
◇
ギルドの正面口には、三人分の食料と水が用意されていた。
無双が荷物を持ち上げ、中身を確かめる。
「これなら三日は持つな」
「さっき、あれだけ食べたのに?」
朱里が呆れたように言う。
「走れば腹が減るだろ」
無双は当然のように答え、荷物を背負った。
布武と継真も、それぞれの荷物を受け取る。
フィエルナは、ベルガンドの外へ続く道へ目を向けた。
「無双くんたちは、このまま研究所へ戻るのね」
「ああ」
「途中で無理はしないでね」
「もう治ってるぞ」
「治っていても、無茶をしないでって言ってるの」
無双は少しだけ首を傾げた。
「分かった」
本当に分かっているのかは怪しい。
フィエルナは小さく息を吐いた。
「姉御は私と一緒に、竹田の里に戻るんだよね?」
朱里の問いに、フィエルナがうなずく。
「ええ。父さんから一度戻るように言われてるし、あたしの用事も済んだからね」
無双がフィエルナを見る。
「バンブーによろしく言っておいてくれ」
一瞬。
フィエルナの胸の奥に、告人の言葉がよぎった。
――グランツ・バンブフィールドは、天下無双に殺されます。
それを表には出さない。
「分かったわ」
いつもと変わらない笑みで答えた。
朱里が三人の前へ進み出る。
「また竹田の里に来てね」
無双が笑った。
「また行く」
「今度は、もっとゆっくりしていってよ」
「飯もあるか?」
「もちろん」
返事は早かった。
「絶対行く」
「食事で決めるのね」
フィエルナが笑い、布武も小さく息を漏らした。
「それじゃ、ここでお別れね」
フィエルナは無双、布武、継真を順に見る。
「また会いましょう」
「ああ」
「ええ」
「必ず」
三人がそれぞれ答える。
朱里とフィエルナに見送られ、無双たちはベルガンドの門へ向かった。
その背中が人波の向こうへ消えるまで。
二人は、その場に立っていた。
◇
ベルガンドを出ると、三人はヴァレンの研究所へ続く道を走り始めた。
街道を外れ、木々の間を進む。
先頭を行く継真の足は、いつもよりわずかに速かった。
何度も道の先を見ては、自然と速度を上げている。
布武は、その背中を見て小さく微笑んだ。
解除キーが、誰のカプセルに対応しているのかは分からない。
灯影か。
雲龍か。
それでも。
眠り続ける仲間の一人を起こせる可能性がある。
継真が急ぐ理由を、布武はよく分かっていた。
無双が速度を上げ、継真の隣へ並ぶ。
「継真!」
「何?」
無双は前を向いたまま、嬉しそうに笑った。
「これで、また一人目を覚ますな!」
継真の顔にも、抑えきれない笑みが浮かぶ。
「うん。どっちの鍵かは分からないけど……」
少しだけ言葉を置く。
まっすぐ、道の先を見る。
「これをきっかけに、二人とも目を覚ましてくれたらいいな」
「ああ」
無双は迷わず答えた。
「二人とも起こそう」
布武も二人へ追いつく。
服の内側には、ベルガンドから持ち帰った解除キー。
玲那がなぜ取り返さなかったのか。
誰の眠りを開くものなのか。
まだ分からない。
それでも。
仲間へつながる鍵は、確かに手の中にある。
三人は速度を落とさなかった。
背後で、ベルガンドの街が遠ざかっていく。
目指すのは、ヴァレンの研究所。
そして――
今も眠る、仲間たちのもとへ。
(第四十話・終)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
掲載日:2026年10月25日 20時00分です。
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