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レッドオーガ ―不殺の鬼の名を継ぐ、白き鬼―  作者: うみぐま


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第三十五話 深命・後編

術は、すでに発動していた。


 番外【深命《しんめい》の理《ことわり》】。


 継真はスティッチャーを見上げる。


 見える。


 けれど、まだ浅い。


 離れたままでも、気力の流れや大きな異常は追える。


 だが、この身体に何が起きているのか。


 もっと深く診るには、直接触れる必要があった。


 露出した肩は高い。


 今のままでは届かない。


「……そのままだと、診づらいです」


 スティッチャーの拳が落ちる。


 継真は横へ逃げなかった。


 内側へ入る。


 巨大な拳が肩すれすれを通り過ぎ、そのまま背後の壁へ突き刺さった。


 轟音。


 白い壁が砕ける。


 巨体の重心が、前へ流れた。


 継真はその一瞬を待っていた。


 軸足の内側へ踵を入れる。


 膝が揺れた。


 だが、沈まない。


「やっぱり、重い……」


 スティッチャーは力任せに姿勢を戻そうとする。


 継真はさらに一歩入った。


 巨体の脇腹へ掌を当てる。


 呼吸が抜ける一点。


 そこへ短く力を入れた。


 巨体がようやく沈む。


 肩が、継真の高さまで落ちた。


 すぐに手を伸ばす。


 黒い縫い目。


 食い込んだ管。


 それらを避け、皮膚の残った場所へ指先を当てた。


 一瞬。


 視界の奥が、深く沈んだ。


 裂けかけた筋肉。


 無理に繋ぎ合わされた組織。


 動くたび、内側から開こうとする傷。


 傷んでいる。


 明らかに、身体は限界へ近づいている。


 それでも――止まらない。


 スティッチャーの腕が動いた。


 継真は手を離し、身を沈める。


 白灰色の腕が頭上を通り、壁を叩き割った。


 継真は顔を上げた。


 傷があるのに動く。


 痛みを避けようともしない。


 身体を庇おうともしない。


 なら。


「……上ですね」


 スティッチャーが立ち上がる。


 継真は再び懐へ入った。


 踏み込んだ足首へ自分の足を絡める。


 振り戻された肘へ掌を添え、その勢いを外側へ流した。


 巨体の上体が傾く。


 壁を壊した反動で頭が下がった。


 継真は手を伸ばす。


 赤い目がこちらを向いた。


 拳が動く。


 その前に、指先が頭部の外装へ触れた。


 冷たい。


 硬い。


 外装越しでは、身体そのものを深く診ることはできない。


 それでも。


 流れている気力なら追える。


 継真の意識が、その流れを辿った。


 首筋の管。


 そこから頭の奥へ。


 さらに、頭部から全身へ。


「……これは」


 流れが、おかしい。


 本来なら身体から頭へ届くはずの反応。


 痛み。


 損傷。


 動きを止めるための信号。


 それらが、頭の奥へ届く直前で途切れている。


 代わりに。


 頭から身体へ向かう流れだけが、異様なほど強い。


 動け。


 動け。


 壊れても、動け。


 そう命じ続けているような流れだった。


 継真の目が細くなる。


 痛みがないわけじゃない。


 届かない。


 止まるための反応も、届いていない。


 だから傷口が開いても腕を振る。


 筋肉が裂けても踏み込む。


 身体の方が先に壊れるまで。


 スティッチャーが頭を振った。


 継真の手が弾かれる。


 拳が迫る。


 継真は身を沈め、その腕の下を抜けた。


 診るべきものは見えた。


 次は――止める。


 壊すのではなく。


 これ以上、壊れないように。


 スティッチャーが身体を捻った。


 巨大な腕が横薙ぎに振られる。


 継真は下がらない。


 床を蹴る。


 腕の軌道へ、半歩だけ踏み込んだ。


 振り切る前。


 まだ力が乗りきらない、その内側。


 継真の掌が、胸の横へ触れた。


 【深命の理】で見えた。


 頭から降りてきた異常な流れが、ここで枝分かれしている。


 腕へ。


 脚へ。


 全身へ。


「ここ……」


 叩かない。


 壊さない。


 掌の奥から、ごく細く気力を流した。


 異常な流れへ、ほんの一瞬だけ横から重ねる。


 流れが乱れた。


 全身へ走っていた命令が、途切れる。


 スティッチャーの巨体が止まった。


 赤い目が継真を見下ろす。


 動こうとする。


 だが。


 身体がついてこない。


 限界を超えて酷使されていた筋肉が、一斉に支えを失った。


 膝が落ちる。


 白い床が、みしりと鳴った。


 巨体が片膝をつく。


 それでも腕を上げようとした。


 継真はもう一歩踏み込む。


 露出した肩を避け、上体へ手を添える。


 ほんの少しだけ向きを変えた。


 それだけで、支えを失った巨体が横へ崩れた。


 床が大きく揺れる。


 赤い目が、かすかに明滅した。


 指が床を掻こうとして――止まる。


 白灰色の手から、力が抜けた。


 スティッチャーは動かなくなった。


 継真はすぐには動かなかった。


 荒れた呼吸を整えながら、倒れた巨体を見る。


 少し待つ。


 動かない。


 それでも。


「……死んでは、いませんね」


 継真は膝をついた。


 首筋の管には触れない。


 割れた外装も避ける。


 皮膚の残った場所を慎重に探した。


 両手に白炎を灯す。


 胸の前で合掌。


 白炎が、すっと消えた。


「番外【命癒《めいゆ》の理《ことわり》】」


 そっと掌を重ねる。


 淡い熱が、スティッチャーの身体へ沈んでいった。


 傷ついた筋肉。


 開きかけた縫い目。


 戦いの中でさらに悪化した場所。


 治せるところから、少しずつ整えていく。


 スティッチャーの身体が、一度だけ小さく震えた。


 継真は手を離さない。


 強すぎれば、傷ついた身体には負担になる。


 弱すぎれば、届かない。


 必要な分だけ。


 必要な場所へ。


 露出していた肩の震えが、少しずつ収まった。


 開いていた傷の周囲にも、淡い熱が残る。


 継真はそこで手を離した。


 全部を元へ戻せたわけではない。


 それでも、これ以上自分の身体を壊し続ける状態ではなくなった。


 スティッチャーは目を覚まさない。


 赤い目も光を失ったまま。


 巨体は、白い床へ沈んでいる。


 継真はゆっくり息を吐いた。


 治療はした。


 けれど。


 このまま置いてはいけない。


 目を覚まして、また同じように動き出せば意味がない。


 継真は立ち上がった。


 両手に、もう一度白炎を灯す。


 合掌。


 白炎が消えた。


「番内【戒縛《かいばく》】」


 淡い気力の輪が床を走った。


 手首。


 足首。


 さらに一本が胴へ回り、白い床へ沈む。


 強く締めすぎない。


 露出した傷にも触れない。


 目を覚ましても、すぐには身体を起こせない程度。


 継真は一つずつ位置を確認した。


 肩。


 首筋。


 頭部。


 傷へ負担がかかる場所は避けている。


 それを確かめてから、眠ったままのスティッチャーへ視線を落とした。


「痛い時は、ちゃんと止まってください」


 返事はない。


 継真は少しだけ表情を緩めた。


「自分の体を、大事にするために」


 それでよかった。


 継真は脇腹へ軽く手を添え、立ち上がる。


 昇降機は使えない。


 非常階段も開かない。


 だが、スティッチャーが暴れたせいで、崩れた壁の奥に細い空間が覗いていた。


 保守通路らしい。


 白い壁の裂け目の向こう。


 赤い非常灯だけが、奥へ奥へと続いている。


 継真は床に横たわるスティッチャーを一度だけ振り返った。


 淡い気力の輪が、静かに巨体を押さえている。


 もう暴れる気配はない。


 継真は前を向く。


 九十七階。


 玲那。


 解除キー。


 まだ、終わっていない。


 保守通路へ足を踏み入れる。


 脇腹の奥には、鈍い痛みが残っていた。


 それでも、足は止めない。


 赤い非常灯の続く通路を、継真はさらに奥へ進んでいった。


(第三十五話・終)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次回掲載日:2026年09月27日 20時00分です。


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