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レッドオーガ ―不殺の鬼の名を継ぐ、白き鬼―  作者: うみぐま


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第三十三話 燎原・後編

布武は傷だらけの両腕を下ろした。


 痛みで指先がわずかに震える。


 だが、動く。


 まだ戦える。


 布武は温室を見渡した。


 ブルームレイドの周囲には、淡い緑と紫の胞子が濃く漂っている。


 離れるほど、霞は薄い。


 なら――確かめる。


 布武はさらに数歩、距離を取った。


 血の伝う両手を開く。


 白炎を灯す。


 左右の圧を揃え――合掌。


 ぱん、と乾いた音が響いた。


 白炎が消える。


 次の瞬間。


 掌の間に、小さな火が生まれた。


 弱い。


 それでも、崩れない。


 布武はその火を見つめ、静かに息を吐いた。


「……やっぱり」


 少なくとも、胞子の薄い場所なら火気は成立する。


 ブルームレイドの花弁が開いた。


 左右の花壇。


 床下。


 培養壁の奥。


 温室の各所から、根と蔓が持ち上がっていく。


 中央から離れた布武を囲むように。


 布武は掌の小さな火を消した。


 近くで燃やす必要はない。


 根ごと。


 繋がっているものごと。


 この温室そのものを焼けばいい。


 再び両手に白炎を灯す。


 裂けた腕の傷から血が伝った。


 それでも、左右の白炎は揺らがない。


 蔓が一斉に布武へ向いた。


 槍のように尖るもの。


 鞭のようにしなるもの。


 床を這い、足元を奪おうとするもの。


 布武は逃げなかった。


 両手を胸の前へ。


 蔓が迫る。


 合掌。


 ぱん、と音が響いた。


 白炎が消える。


 布武は片足を前へ出した。


 腰を落とす。


 右腕を低く引く。


「番内――」


 掌を、白い床すれすれに振り抜いた。


「【燎原《りょうげん》】」


 掌の軌跡に、細い火筋が残った。


 一瞬後。


 白い炎が、床を這うように広がった。


 高く燃え上がる火ではない。


 低く。


 速く。


 温室の足元そのものを飲み込んでいく炎。


 迫っていた蔓が触れる。


 黒い刺が焼け、表面が焦げた。


 だが、【燎原】は止まらない。


 白い火は床の継ぎ目へ入り込み、張り巡らされた根と管を伝って広がっていく。


 床下。


 花壇。


 培養壁。


 温室の各所で、根が次々と焼け落ちた。


 透明な管の中で培養液が泡立つ。


 胞子が熱に巻かれ、人工光の中へ散っていく。


 ブルームレイドの身体が、大きく反った。


 花弁が震える。


 声はない。


 それでも、温室そのものが悲鳴を上げるように軋んだ。


 焦げた蔓が、なお布武へ伸びる。


 布武は半歩だけ横へずれる。


 蔓の先が白い床を削った。


 その根元へ、地を這う炎が届く。


 力を失った蔓が落ちた。


 培養壁の奥で、新しい蕾が膨らみ始める。


 布武は右腕を低く保ったまま、さらに気力を流した。


 白い炎がもう一段、温室の奥へ広がる。


 蕾へ伸びる根。


 培養壁へ続く管。


 新しい身体を作ろうとする繋がりが、次々と焼き切られていく。


 開きかけた蕾が、黒く萎んだ。


 ブルームレイドの身体が傾く。


 花弁の装甲が剥がれ落ちる。


 蔓で編まれた腕がほどけ、床下へ伸びていた根も次々と力を失った。


 巨大な花が、白い炎の中へ沈む。


 濃かった胞子の霞も、熱に裂かれて薄くなっていった。


 布武は浅く息を吐く。


 腕が痛む。


 喉の違和感も残っている。


 膝も、わずかに震えていた。


 それでも視線は外さない。


 終わったとは思わない。


 この相手は、目の前の一体だけではない。


 温室そのものだ。


 炎の中。


 ブルームレイドの黒い面が、まだ布武を見ていた。


 ほんの一瞬。


 その視線へ意識が向く。


 同時に。


 熱で白く濁った床下で、焼け残った一本の根が沈んだ。


 【燎原】の炎が薄い場所を選ぶように、床下を這っていく。


 布武の背後。


 白い床の継ぎ目が、静かに盛り上がった。


 焦げた根が一本だけ姿を現す。


 裂ける。


 内側から細い蔓が飛び出した。


 絡まり。


 捻れ。


 焦げた花弁の欠片を纏っていく。


 小さな蕾が膨らんだ。


 開く。


 先ほどまでの巨体ではない。


 人の上半身ほどの、歪な花。


 それでも、花弁の奥にある黒い面だけは布武を捉えていた。


 蔓が伸びる。


 狙いは首。


 黒い刺が、音もなく迫った。


 布武の肩が、わずかに動く。


 気配ではない。


 音でもない。


 床下を走った根が、【燎原】の残り火を乱した。


 その乱れが、足裏へ伝わった。


 布武は振り返らない。


 半歩、身体を沈める。


 黒い刺が首筋を掠めた。


 髪が数本、宙を舞う。


 次の瞬間。


 布武は身体を反らし、刺の束をやり過ごした。


 片足を軸に回る。


 遅れて、蔓が白い壁へ突き刺さった。


 背後の小さな花が、再び蔓を伸ばそうとする。


 だが、遅い。


 燃え残った胞子が、わずかに舞っている。


 淡い緑と紫の粒。


 さっきまでの濃さはない。


 布武は傷だらけの両手を開いた。


 白炎が灯る。


 今度は、すぐそばでも崩れない。


 布武は表情を変えなかった。


「しつこいわね」


 両手を胸の前へ。


 合掌。


 ぱん、と乾いた音。


 白炎が消えた。


「番内――」


 右手を、花弁の奥へ突き入れる。


 ブルームレイドの蔓が暴れた。


 手首へ絡みつき、黒い刺が皮膚へ食い込む。


「っ……」


 血が滲む。


 それでも、布武は離さない。


 花弁の奥を鷲掴みにする。


 指先へ、硬く脈打つものの感触が伝わった。


 左の掌を、掴んだ右手の甲へ重ねる。


 逃がさない。


 広げない。


 この一点だけを焼く。


「【焔葬《えんそう》】」


 炎は外へ爆ぜなかった。


 花の内側で、深く燃えた。


 黒い面の裏へ。


 絡み合う根の芯へ。


 床下へ逃げようとしていた細い根へ。


 白い火が、内側から流れ込む。


 ブルームレイドが激しく震えた。


 蔓が布武の腕を締める。


 床下へ根を伸ばそうとする。


 花弁の奥では、新しい芯が膨らもうとしていた。


 そのすべてを、白い火が焼いていく。


 花弁が崩れる。


 蔓が落ちる。


 根が焼ける。


 そして。


 硬く脈打つ核へ炎が届く、その直前。


 布武は【焔葬】を止めた。


 手首へ絡んでいた蔓が、力を失う。


 刺が皮膚から抜け、焦げた細片となって落ちた。


 床下へ潜ろうとしていた根も、白く焼けたまま止まる。


 小さな花が崩れた。


 花弁がほどける。


 黒い面が割れる。


 蔓の束が、布武の手から滑り落ちた。


 その奥に、ひとつだけ残る。


 黒緑色の、小さな核。


 かすかに脈打っている。


 布武は床へ落とさず、掌で受け止めた。


 しばらく待つ。


 床下の根は動かない。


 花壇も。


 培養壁も。


 新しい身体が生まれる気配はなかった。


 温室が、ようやく静かになった。


 残ったのは、機械の低い唸りだけ。


 布武は焦げた周囲を見回す。


 壁際に、小型の培養槽が一つ残っていた。


 外へ続く管は傷んでいる。


 だが、中の培養液はまだ澄んでいた。


 布武は歩み寄り、核をその中へ沈める。


 液体に触れた瞬間、核が弱く脈打った。


 根は伸びない。


 花も開かない。


 布武は培養槽から外へ続く管へ目を向けた。


 両手に白炎を灯す。


 合掌。


 白炎が消える。


 細い火で、外部へ繋がる管だけを焼き切った。


 これで、温室とは繋がらない。


 新しい身体も作れない。


 布武は培養槽の中の核を見下ろした。


「生きてなさい。もう、誰も傷つけない形で」


 核が、かすかに一度だけ脈打った。


 布武はそれ以上、何も言わなかった。


 小さく息を吐く。


 膝がわずかに揺れた。


 片足を引き、踏みとどまる。


 腕の傷が痛む。


 手首から肘にかけて、赤い線が何本も走っている。


 掌も焼けるように熱い。


 喉の奥の膜のような違和感も、まだ消えていない。


 それでも、動ける。


 布武は焦げた温室の先を見る。


 白い通路。


 その奥には、上階へ向かう昇降機の表示が見えている。


 解除キーは、まだ上だ。


 玲那も、そこにいる。


 無双。


 継真。


 二人の無事を確かめたい気持ちは消えない。


 けれど、今は前へ進む。


 布武は燃え残る温室を背に、歩き出した。


 白い床に、血がひとつ落ちる。


 それでも足は止めない。


 上へ。


 九十七階へ。


(第三十三話・終)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次回投稿:2026年09月20日 20時00分です。


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