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レッドオーガ ―不殺の鬼の名を継ぐ、白き鬼―  作者: うみぐま


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第二十七話 水裂

「――継真!」


 無双が叫んだ時には、もう遅い。


 赤い核を灯した巨体が、継真の目前に現れていた。


 速い。


 踏み込んだのではない。

 間にあった距離ごと、削り取られたように見えた。


 セントリーの拳が、継真の胸元へまっすぐ迫る。


 継真の目が見開かれた。


 避けきれない。


 その拳と継真の間へ、無双が身体ごと割り込んだ。


「っ――!」


 両腕を交差させる。


 衝撃が触れた瞬間、右腕の奥で嫌な音が鳴った。


 鈍く、乾いた音。


 骨が折れる音だった。


「ぐ……あっ!」


 無双の顔が歪む。

 右腕が拳の重さに耐えきれず沈み、身体ごと後ろへ弾かれた。


 継真を巻き込むように倒れ込みかける。


「無双!」


 布武が横から踏み込んだ。


 セントリーの脇腹へ蹴りを入れ、押し込む力をわずかに逸らす。

 その一瞬で、無双は継真を庇ったまま横へ転がった。


 セントリーの拳が石壁へ突き刺さる。


 鈍い破砕音。

 壁面が大きく抉れ、細かな石片が旧水路へ散った。


「無双……!」


 継真が身を起こし、無双の右腕を見る。


 曲がり方がおかしい。

 力が入っていない。


「腕が……」


「折れただけだ」


 無双は息を詰めながら、左手で右腕を押さえた。


 痛みで額に汗が滲む。

 それでも、視線はセントリーから外さない。


「動ける」


「そんな状態で――」


「今は、それより前を見ろ」


 短く返し、無双は左足を立てた。


 継真の胸の奥が、冷たく縮む。


 自分を守るために、無双の腕が折れた。

 セントリーは迷わず、自分を狙ってきた。


 ただ近い相手を攻撃したのではない。


 選んだのだ。


「排除対象を更新」


 壁から拳を引き抜いたセントリーが、淡々と告げる。


「連携補助個体――継真。優先処理」


 継真の喉が、わずかに鳴った。


「……俺が、狙いですか」


「肯定」


 ためらいのない返答だった。


 布武の目が鋭くなる。


「さっきの連携を見て、継真を潰しに来たのね」


「連携成立要因を除去。排除効率を上方修正」


「ほんと、嫌な相手ね」


 布武が低く吐き捨てる。


 セントリーはもう、観測のために力を抑えていない。

 三人の動きを見たうえで、もっとも崩しやすい場所を正確に潰しに来ている。


 継真は無双の背を見た。


 折れた腕を抱えながら、それでも立とうとしている。

 布武も、その前に出ている。


 守られた。


 次も同じように守られるだけなら、三人で立っている意味が薄れる。


 怖い。

 それは変わらない。


 けれど、ここで下がるために目覚めたわけではない。


「……次は、俺も返す」


 継真が言った。


 無双がちらりと振り返る。


「ああ」


 布武も視線だけで応じた。


「来るわ」


 セントリーの脚部装甲が沈む。


 次の瞬間、巨体が跳ねた。


 また継真だ。


 今度は正面からではない。

 布武の間合いを避けるように角度を変え、横から継真へ迫る。


 布武が踏み込む。


 だが、その動きすら読まれていた。


 セントリーは左腕を短く振り、布武を近づけさせない。

 同時に右拳が、継真の脇腹へ突き刺さった。


「がっ……!」


 鈍い音が鳴る。


 継真の身体が横へ折れた。

 口から血が噴き、石床へ飛び散る。


 そのまま身体ごと弾き飛ばされ、床を滑った。


「継真!」


 布武の声が鋭くなる。


 継真は咳き込みながら、片手を床についた。


 息は入る。


 だが、身体の奥を殴られた痛みが、一瞬で全身へ広がっていた。


 立たなければ。


 頭では分かっている。

 それでも、足がすぐには動かない。


「無双、下がって!」


 布武が叫ぶ。


 セントリーは止まらない。


 折れた右腕を庇う無双と、血を吐いて動きの鈍った継真。

 その二人の間へ入り込むように、さらに踏み込む。


 無双が左腕だけで前へ出ようとした。


 だが、布武がそれより早く割って入る。


 セントリーの拳を正面から受けず、掌底で軌道を逸らす。

 続く蹴りを身を沈めてかわし、追撃の肘を腕で受ける。


「っ……!」


 衝撃が布武の足をずらした。


 それでも、退かない。


 自分が下がれば、背後の二人へ攻撃が抜ける。

 布武は無双と継真を庇う位置を崩さず、セントリーの連撃を受け続けた。


「布武……!」


 無双が踏み出そうとする。


「来ないで!」


 布武の声が、それを止める。


 右腕が使えない無双を、今ここで正面へ戻すわけにはいかない。

 継真も、まだ体勢を立て直しきれていない。


 それでもセントリーの視線は、布武ではなく継真を捉えていた。


「優先対象を継続。継真」


 布武の背筋に、冷たいものが走る。


 自分がどれだけ間に立っても、この機械は次の隙から、また継真だけを狙う。


 このままでは、次で潰される。


 その異変に、フィエルナも気づいた。


 鴉羽《からすば》の刀を受け流しながら、視線だけを無双たちの方へ滑らせる。


 無双の右腕。

 床に散った血。

 布武が二人を庇い、限界ぎりぎりでセントリーを食い止めている。


「……っ」


 フィエルナの足が、半歩だけ動く。


 助けに行く。


 そう判断した瞬間、その進路へ刀が差し込まれた。


「どこ行くん?」


 鴉羽は、ひどく楽しそうに笑っていた。


 フィエルナの目が鋭くなる。


「退きなさい」


「嫌や」


 鴉羽は愉快そうに首を振る。


「向こうもおもろそうやけどなぁ。

 今は俺と遊んでぇや、《ヴァルキリー》」


 刃が走る。


 フィエルナは気力を集中した右手で受ける。

 重い衝撃が手首まで響いた。


 だが、押し返しながらも、視線の端で無双たちを捉え続ける。


 行けない。


 鴉羽が行かせない。


 その事実が、フィエルナの拳をさらに固くした。


 一方で、布武はもう決めていた。


 使うしかない。


 継真の大切なものを、戦うために借りる。

 それがどれほど乱暴なことか、分かっている。


 だからこそ、布武は小さく言った。


「継真、ごめんなさい」


 両手に白炎が灯る。


 左に知識。

 右に威力。


 圧が噛み合い、布武の手が合掌する。


 白炎が、すっと消えた。


「番内――【幻相《げんそう》】」


 布武の姿は、何も変わらない。


 少なくとも、無双の目には。


 だが、継真の瞳には違って見えていた。


「……灯影《とうえい》」


 そこに立っているのは、灯影だった。


 その姿を認めた瞬間。


 継真の奥底で、何かが弾けた。


 鬼気が、全身から噴き上がる。


 痛みは消えていない。

 恐怖だって残っている。


 それでも――。


 灯影を守る。


 その思いだけが、すべてを押し退けて前へ出た。


 継真の背筋が伸びる。

 視線が定まる。


 セントリーが、再び継真へ踏み込んだ。


 布武を抜こうとする軌道。

 今度も狙いは継真だけだ。


 けれど、継真は下がらなかった。


「灯影は、下がっていて」


 低く、迷いのない声だった。


 継真が前へ出る。


 迫るセントリーの拳。


 今度は避けない。


 噴き上がった鬼気を両腕へ集中させ、真正面から受け止めた。


 衝撃が旧水路を震わせる。


 靴底が石床を削る。


 一歩。


 押される。


 それでも、継真は止まった。


「……っ!」


 歯を食いしばる。


 脇腹が痛む。

 口元には血が残っている。


 それでも、両腕は下がらない。


 灯影が後ろにいる。


 その一点だけで、身体の奥からさらに鬼気が溢れた。


「俺が……守る!」


 継真が踏み込む。


 セントリーの拳が、押し返された。


 無双の目が見開かれる。


 布武も、一瞬だけ息を呑んだ。


 普段の継真ではない。


 力で押し合うことを好む男でもない。


 それでも、灯影のためなら。


 継真は、ここまで前へ出られる。


「継真さん、頑張って!」


 布武が声を張る。


 だが継真には、その声さえ灯影のものとして聞こえていた。


 鬼気に押し返され、セントリーの巨体がわずかに後方へずれる。


 脚部装甲が姿勢を戻そうと動いた。


 その瞬間。


 継真の目が、膝へ向いた。


 踏み込みを支える装甲の継ぎ目。


 力で押し返しても、そこで終わらない。


 継真が得意としてきた目は、まだ冷静に相手を見ていた。


「そこだ」


 両手を広げる。


 白炎が灯った。


 水気が集まる。

 左右の圧が一気に増し、合掌。


 白炎が、すっと消えた。


「番内――【水裂《すいれつ》】」


 継真の前で、水気が鋭く奔った。


 刃のように細く圧縮された水が、セントリーの脚部へ走る。


 狙いは、膝装甲の継ぎ目。


 水裂が、そこを正確に裂いた。


 乾いた破断音が響く。


「損傷検知」


 セントリーの声が、わずかに途切れた。


 姿勢補正が間に合わない。


 巨体が傾く。


 片膝が、石床へ落ちた。


 旧水路が、鈍く震える。


 無双が息を呑んだ。


「……膝を、つかせた」


 布武も、ほんのわずかに目を見開いていた。


 離れた場所で斬り結んでいたフィエルナの視線が、一瞬だけ動く。

 自分が正面から渡り合っていたΔ2を、継真の一撃が明確に崩した。


 その事実が、フィエルナの目に確かな驚きを浮かべる。


 鴉羽も刀を構えたまま、口元を少し上げた。


「へえ。あれ、膝つかせるんや」


 セントリーの姿勢制御は乱れている。


 損傷した脚を立て直そうとする駆動音が、低く響いた。


 その前へ、無双が出る。


 右腕は使えない。

 それでも左腕だけを構え、セントリーと継真の間へ身体を入れた。


 無双はセントリーから目を逸らさない。


 すぐに立て直すだろう。


 けれど、その数秒だけは継真が後ろを向ける。


 継真は一度だけ無双を見た。


 それから――。


「灯影……!」


 布武へ駆け寄る。


 無双が声をかけるより早く、継真は“灯影”の肩を掴んでいた。


「目を覚ましていたのか……!」


 返事を待つこともなく、その身体を強く抱きしめる。


 布武の体が、わずかに強張った。


 継真は抱きしめたまま、眉を寄せる。


 違う。


 腕の中の感触が、記憶の中の灯影と少し違う。


「……灯影?」


 その問いに答える代わりに、布武が小さく息を吐いた。


「……ごめんなさい、継真」


 聞こえたのは、もう灯影の声ではなかった。


 継真の目が揺れる。


 視界にあった灯影の輪郭が、少しずつほどけていく。


 抱きしめていたのは、灯影ではない。


 布武だった。


「……布武」


 継真の声が、かすかに掠れた。


 布武は抱きしめられたまま、もう一度言った。


「ごめんなさい」


 継真は、すぐには腕をほどけなかった。


 ほんの少し前まで、そこにいたはずの灯影。


 その温もりだけが、まだ腕の中に残っている気がした。


 やがて継真は、ゆっくりと布武から離れた。


 何かを言おうとして、唇が動く。


 けれど、言葉にはならなかった。


 布武も何も言わない。


 二人の間に、短い沈黙だけが残った。


 その沈黙を破るように、旧水路に場違いな音が鳴り響いた。


 穏やかで、落ち着いた旋律。


 命のやり取りの最中に紛れ込むには、あまりにも呑気な着信音だった。


 無双たちの意識が、一瞬だけそちらへ引かれる。


 フィエルナも鴉羽から目を離さないまま、わずかに眉を寄せた。


「あ」


 鴉羽が、何かを思い出したように声を漏らす。


「すまんすまん。ちょっとたんま」


 抜き身の刀を持ったまま、あっさり間合いを外した。


 フィエルナは追わない。


 追えなかったのではない。

 鴉羽が懐から取り出したものを警戒した。


 掌に収まるほどの、小さな機械。


 見たことがない。


 武器か。

 何かを起動する道具か。


 フィエルナは構えを解かず、その動きを見た。


 鴉羽は機械を耳元へ当てる。


「はいはい。今ちょっと忙しいねん。あとで――」


 鴉羽の声が、途中で止まった。


「……え? 会長、着いたん?」


 さっきまでの軽さが、わずかに変わる。


「いや、あとちょっとだけ待ってぇな。今ええとこで――」


 通信機の向こうから何か返されたのか、鴉羽の眉が跳ねた。


「は? 俺だけおらんの!?」


 鴉羽は思わずセントリーの方を見る。


「法原、ずるいやろ!」


 セントリーは答えない。


「もう着いとるんかい……。

 俺だけ遊んどったみたいやんか」


 フィエルナの目が細くなる。


 会長。


 その言葉だけで、鴉羽の空気が変わった。


 先ほどまで、命のやり取りを楽しむように刀を振っていた男が、今は本気で急いでいる。


 それほどの相手なのだと、嫌でも伝わった。


「悪いな、《ヴァルキリー》」


 鴉羽は通信機を懐へ戻しながら、刀を軽く振った。


「残念やけど、今日はここまでやな」


「逃げるの?」


「戻るだけやで。呼ばれたんやから」


 悪びれもせず、鴉羽は笑う。


「続きはまた今度にしよか。せっかくの魂、焦って傷めるんも勿体ないしなぁ」


 フィエルナの拳が、わずかに強く握られた。


 その横で、セントリーの動きも止まる。


「緊急招集命令を受領」


 片膝をついたまま、赤い核の明滅が変わった。


「現行任務を中断。撤収へ移行」


「待て!」


 無双が一歩踏み出す。


 ここで退かせるわけにはいかない。

 セントリーも、法原も、ようやく掴んだ手がかりだ。


 だが、セントリーは攻撃へ移らない。


 代わりに、内部で何かが切り替わるような駆動音がした。


「外部音声回線、接続」


 次の瞬間。


 旧水路に、別の声が響いた。


『よくここまで来たね』


 法原だった。


 無双の表情が固まる。

 布武の目が鋭くなる。

 継真は息を呑んだ。


『継真を起こした。

 そして、ベルガンドまで追ってきた。

 予想よりは早い』


「法原……!」


 無双が低く呼ぶ。


『無双。君も、あの時よりは随分まともに動けるようになった』


 その呼び方に、布武の目がほんのわずかに細くなった。


 法原は今、あえてその名で呼んだ。

 フィエルナの前で、“闘戦鬼《とうせんき》”とは言わなかった。


 隠している。

 何を、どこまでかは分からない。

 だが、意図して言葉を選んでいる。


「……俺たちを見てたのか」


『見ていたよ。

 見る価値があったからね』


 無双の左拳が握られる。

 折れた右腕が痛み、顔がわずかに歪んだ。


「残りの仲間を救う鍵について、あなたは何を知っているんですか」


 継真が、前へ出た。


 口元には、まだ血が残っている。

 それでも声は、もう震えていなかった。


 セントリーを通じて聞こえる法原の声へ、まっすぐ問いを投げる。


「法原。あなたは、残る解除キーに繋がる情報を持っているんですか」


 短い沈黙。


 それから、法原がわずかに笑ったように聞こえた。


『少なくとも、次の解除キーへ辿り着く道は、私が握っている』


 継真の表情が変わる。


 布武も、息を詰めた。


 確証が欲しかった。


 法原が、眠る仲間たちへ繋がる手がかりを持っているのか。


 今、その答えの一端が、目の前に落とされた。


「なら、教えろ」


 無双が言った。


「次の鍵がどこにある」


『簡単に渡すと思うかい?』


 法原の声は淡々としていた。


『まだ私はベルガンドにいる。

 会長との用が済むまでに、私を見つけられたなら――』


 一拍。


『次の解除キーについて、教えてあげよう』


「……っ」


 布武の視線が、静かに鋭くなる。


『追っておいで。

 君たちが、そこまで辿り着けるならね』


「通信終了」


 セントリーが告げる。


 法原の声は、そこで途切れた。


 次の瞬間、セントリーの脚部装甲が低く唸る。


 損傷した片脚をわずかに引きずりながら、巨体がゆっくりと後退する。


 鴉羽もまた、軽く刀を収めた。


「ほな、またな」


 鴉羽はフィエルナへ笑いかける。


「次は、もうちょいゆっくりやろうや。《ヴァルキリー》」


 フィエルナは答えなかった。


 鴉羽が身を翻す。


 セントリーも、傷めた脚を庇いながら旧水路の奥へ退いていく。


 追おうとした無双を、布武の声が止めた。


「待って。今は深追いしない」


「でも――」


「法原はまだ、この街にいる」


 布武は、消えていく敵の背を見据えたまま言った。


「追うわよ。今度こそ、手が届くところまで」


 旧水路に残ったのは、戦いの痕と、法原の声が落とした新しい手がかりだった。


(第二十七話・終)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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