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レッドオーガ ―不殺の鬼の名を継ぐ、白き鬼―  作者: うみぐま


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第二十二話 待つ者の名

「姉御!」


 朱里《しゅり》がぱっと顔を明るくして駆け出した。


 フィエルナはそちらを振り向いた瞬間、はっきりと顔を綻ばせる。


「朱里ちゃん。……久しぶり!」


 さっきまで男を転がしていたとは思えないほど、声が明るくなった。


「待って。ちょっと見ない間に大きくなってない?」


 そのまま朱里を抱き寄せ、頬を寄せる。


 髪まで撫でられているが、朱里は慣れた様子でされるがままだった。


「元気そうでよかったわ」


「姉御、一回帰ろうよ。オヤジが戻れって」


「そうなの?」


 フィエルナは少しだけ身体を離し、困ったように笑う。


「けど、すぐには帰れないわ」


「えー、なんで?」


 朱里が首を傾げた。


 そこで、フィエルナの視線が後ろの三人へ向く。


「……で、後ろの子たちは?」


「友だちだよ」


 朱里が振り返った。


「潮継《しおつぎ》の港で会ったの。こっちが無双《むそう》で、こっちが布武《ふぶ》」


「無双くんと、布武ちゃんね。よろしく」


「よろしく」


 無双が軽く手を上げる。


 布武も小さく会釈した。


「あ、俺は途中から合流したんですけど」


 継真《つぐま》も続ける。


「継真です。よろしくお願いします」


「継真くんね。よろしく」


 朱里は今度は三人へ向き直り、フィエルナを示した。


「で、この人が姉御。竹田《たけた》の里長、グランツ・バンブフィールドの娘。めちゃくちゃ強いよ」


「朱里ちゃん、そこまで言う?」


「本当のことじゃん」


 フィエルナは楽しそうに笑った。


「フィエルナ・バンブフィールドよ。よろしく」


 少しだけ肩をすくめる。


「ギルドの仕事じゃ《ヴァルキリー》なんて呼ばれることもあるけど、普通にフィエルナでいいわ」


「よろしくお願いします。フィエルナさん」


 継真が頭を下げた。


「よろしく、継真くん」


「ヴァルキリー……」


 無双が小さく呟いた。


 その時。


 酒場の中に残っていた男たちが三人、顔を赤くしてこちらへ向かってきた。


「懲りないなぁ」


 朱里が呆れた声を漏らす。


「てめぇ、調子に――!」


 一人がフィエルナへ掴みかかろうと腕を伸ばした。


 その瞬間。


 無双が一歩出た。


 伸びてきた手首を払い、その身体を二人目へぶつける。


 三人目が拳を振るう。


 上体をわずかにずらして外し、そのまま懐へ入った。


 腹へ短く一発。


「ぐっ……!」


 息を詰まらせた男の足を払う。


 数秒後。


 三人とも石畳へ転がっていた。


 無双はそこで手を止めた。


「……大丈夫か?」


 フィエルナは転がった男たちを見てから、無双へ顔を戻す。


「ありがと。手間が省けたわ」


「どういたしまして」


 無双も笑った。


 フィエルナは改めて三人を見る。


「それで、あなたたちはベルガンドに何しに来たの?」


 布武が答える。


「幻成学府会《げんせいがくふかい》について調べに来たの」


 フィエルナの表情が変わった。


「……その名前を出すのね」


「何か知ってる?」


 フィエルナは周囲へ目をやった。


 酒場の前では、さっきの騒ぎを遠巻きに眺める者もいる。


「ここでする話じゃないわね」


 踵を返す。


「場所を変えましょ。ついて来て」


     ◇


 酒場街を一本外れ、建物に挟まれた細い裏路地へ入る。


 喧騒が少し遠くなったところで、フィエルナは足を止めた。


「詳しいわけじゃないわ。でも、少し調べてる」


 声を落とす。


「まともな噂を聞かないのよ。ギルドの古い人たちも、警備隊の上の方も、その名前が出ると口が重くなる」


「知らないんじゃない。話したがらないの」


「だから普通は、近づかない。追わない。名前が出たら引く」


 布武は視線を逸らさなかった。


「引けないわ」


 短い言葉だった。


「仲間を助けるためには、あいつらの情報がいるの」


 フィエルナの表情が変わる。


「仲間?」


「ええ」


 布武は頷いた。


「時間が限られてるの。だから、お願い」


「俺からも頼む」


 無双が続ける。


 フィエルナは二人を順に見た。


 少し考えてから、小さく息を吐く。


「……分かった」


「知ってる範囲でよければ話すわ」


「お願いします」


 継真が少しだけ背筋を伸ばした。


「学府会で思い当たるのは、まず鴉羽真楼《からすばしんろう》ね」


「からすば、しんろう?」


 無双がその名を繰り返す。


「昔、ギルドの護衛仕事で一度だけ会ったわ」


 フィエルナは腕を組んだ。


「かなり強かった。でも、こっちは護衛中だったから、追うより守る方を優先したの。深追いしてたら、護衛対象を危険にさらしてた」


 継真が少し表情を変える。


「その人も、学府会と関係があるんですか?」


「少なくとも、無関係ではないと思う」


 フィエルナの表情から笑みが消えた。


「去り際に言われたのよ。幻成学府会に来る気はないかって」


「勧誘されたのか」


 無双が聞く。


「冗談みたいな言い方だったけどね」


 フィエルナは目を細める。


「冗談には聞こえなかったわ」


 布武がすぐに続けた。


「法原については?」


 フィエルナは少し間を置く。


「……追ってるわ」


「あなたが?」


「ええ。個人的にね」


 布武の目がわずかに細くなる。


「どうして法原を?」


 フィエルナはすぐには答えなかった。


 布武と視線を合わせたまま、少し考える。


「人から聞いた話があるの」


「どんな話?」


「それを確かめるために、法原を追ってる」


 布武は黙ったままフィエルナを見る。


「誰から聞いたの?」


 その問いに、フィエルナは少しだけ表情を曇らせた。


「……それも含めて、まだ話せないわ」


「どうして?」


「その人のことも、聞いた話も、あたし自身がまだ信用していいのか判断できてないから」


 フィエルナは布武から目を逸らさなかった。


「だからこそ、自分で確かめてるの」


 一拍。


「分かってないことまで、分かったように話したくないのよ」


 布武はしばらくフィエルナを見る。


「……話せる時が来たら?」


「ちゃんと話すわ」


 迷いのない返事だった。


 布武は小さく頷いた。


「分かった。今はそれでいいわ」


「ありがとう」


 フィエルナが小さく息を吐く。


「法原の足取りを追って、ベルガンドまでは来た。でも、今どこにいるかまでは掴めてない」


「じゃあ、ここで外れてはいなかったんだな」


 無双が言う。


「ええ。少なくとも、追う場所は間違ってないと思う」


 フィエルナはそこで一度言葉を切った。


 ふと、無双へ視線を移す。


「……そういえば、無双くん」


「ん?」


「名字、聞いてもいい?」


「名字?」


 無双が少し不思議そうに目を瞬かせた。


「天下《あました》。天下無双」


 フィエルナの表情が、ほんのわずかに止まった。


「……天下無双」


 小さく、その名を繰り返す。


 今度は布武がフィエルナを見る。


「その名前に心当たりがあるの?」


「ええ」


 フィエルナは短く答えた。


 無双が眉をひそめる。


「なんで俺の名前を知ってるんだ?」


「……それも、さっきの話と繋がってるの」


「法原と?」


「ええ」


「じゃあ、俺の名前がその話に出てきたのか?」


 フィエルナは一瞬だけ黙った。


「……ええ」


 小さく頷く。


「でも、どういう形であなたの名前が出てきたのかは、まだ話せないわ」


「またそれかよ」


 無双が少し困ったように頭を掻く。


「ごめんね」


 フィエルナは苦く笑った。


「でも、あなたの名前まで出てきたからこそ、余計に中途半端なことは言いたくないの」


「俺のことなのに?」


「だからよ」


 その返しに、無双が黙った。


「ちゃんと確かめる。話せるようになったら、全部話すわ」


 フィエルナの声に迷いはなかった。


 無双はしばらく彼女を見ていたが、やがて小さく息を吐く。


「……分かった」


 それ以上は聞かなかった。


 けれど。


 頭から離れない。


 法原を追っているフィエルナが、なぜ自分の名を知っていたのか。


 無双という名前は、自分のもののはずなのに。


 ときどき。


 自分の外側にあるものみたいに聞こえる。


 知らない場所に、自分の名前だけ先に置いてこられたようだった。


(第二十二話・終)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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