第二十一話 大都市ベルガンド
ベルガンドは、もう町ではなかった。
背の高い建物が何列も並び、通りには人と荷車が切れ目なく流れている。
頭上には看板と張り出し屋根が重なり、見上げても空が細い。
煙の匂い。
鉄の音。
売り声。
怒鳴り声。
人も物も金も、全部が近すぎる。
無双の記憶にある、土の匂いが近い田舎町は、もうどこにも残っていなかった。
「……すげぇな」
無双が足を止めた。
驚いてはいる。
けれど、嫌そうではない。
むしろ少し面白がっている。
「記憶にあるのと違うの?」
布武が横目で聞く。
「違う。もっと田舎だった気がする」
無双は人波の向こうを見た。
「でも、こういうの嫌いじゃない」
布武がふっと笑った。
以前より、その笑みが少しだけ自然になっている。
「……子ども三人でこんな大きな街歩いてたら、普通に目立たない?」
継真が不安そうに周囲を見回した。
門をくぐった途端、空気まで近くなったように感じる。
荷を担いだ男たちが肩をぶつけるように行き交い、通りの端では商人同士が声を張り上げて値を競っている。
大きな荷車が何台も流れ、その脇を使い走りや帳簿を抱えた商人がすり抜けていく。
人が多いだけではない。
誰も止まらない。
むしろ、立ち止まっている方が目立つ。
無双はあっさり言った。
「大丈夫だろ」
しかも笑顔だった。
布武が間を置かず返す。
「いや、目立つわね」
「ほらぁ……!」
継真が情けない声を漏らした。
「しかも二人とも顔がいいから、余計目立つんだよ……」
「継真も十分整ってるじゃない」
布武がさらりと言う。
「そういう慰め方やめてくれよ。今の身体で言われても複雑なんだって……」
無双が小さく笑った。
「何笑ってるんだよ」
「いや。継真って忙しいなと思って」
「誰のせいだと思ってるんだ」
布武の口元も、また少しだけ緩んだ。
◇
通りを進むほど、ベルガンドの顔は変わっていった。
派手な店が並ぶ表通り。
そのすぐ脇には、陽の届かない細い路地が口を開けている。
香辛料と焼いた肉の匂い。
数歩先では、湿った木箱と古い酒の臭い。
綺麗に飾られた店先の向こうで、目つきの悪い男たちが壁にもたれている。
広がったというより。
いろんなものを呑み込みながら、膨らみ続けた街だった。
「こんな大きな街まで三日走って来るのって、俺たちぐらいじゃない……?」
継真がぼそりと呟いた。
その一言で。
無双は少し前のやり取りを思い出した。
◇
リハビリ四日目の終わりだった。
継真たちが身体を休めているところへ、ヴァレンがやってきた。
手元の資料から視線も上げない。
「ここからベルガンドまで、走って三日だ。明日のために今日は早めに休んでおけ」
「……待ってください」
継真がさすがに口を挟んだ。
「リハビリの期間は、一週間のはずでは?」
「そうだ」
ヴァレンは平然と答えた。
「移動を含めて一週間だ」
「…………」
「残りは長距離を走りながら、今の身体に慣れればいい」
紙を一枚めくる。
「研究記録を見る限り、お前の身体能力値は高い。ここに留まり続けるより、先へ進みながら慣らした方が効率がいい」
「……あんた、無茶苦茶ね」
布武が先に言った。
継真は真顔でヴァレンを見る。
「……ヴァレンさん、やっぱり怖いです」
「これはまだましな方だぞ」
無双が横から言った。
「ましでこれなの?」
「前なんか、十日くらい食わずに組み手させられたからな」
「それ、組み手じゃなくて拷問だろ……」
「よく生きてたわね」
布武が本気の顔で言った。
無双は肩をすくめる。
「下手に倒れると止め刺しに来るからな。あんまり倒れない方がいいぞ」
「何その対処法……」
継真が無双の腕を掴んだ。
「そうですよ、ヴァレンさん! それもう鬼ですよ!」
ヴァレンがちらりと顔を上げた。
「鬼はお前たちだろ」
一拍。
無双が吹き出した。
「このやり取り、前もしたな」
「笑い事じゃないよ!」
継真はまだ無双の腕を掴んでいる。
だが。
ふと表情を改めた。
「でも、この前の二人の組み手も、あのままぶつかってたら洒落にならなかったよ」
無双と布武を見る。
「今の俺じゃ、治すのにも時間がかかっただろうし。出発も遅れてたと思う」
「……悪かった」
無双が頭を掻く。
「ごめんなさい。少し本気になりすぎたわ」
布武も苦く笑った。
ヴァレンは何も言わない。
ただ、手元の資料をもう一枚めくった。
そして本当に。
翌朝には、三人はベルガンドへ向けて走らされることになった。
◇
そのベルガンドを。
今、三人は歩いている。
「でも、来れたじゃない」
布武が前を向いたまま言った。
「短い調整期間だった割には、ちゃんとついて来れてるわ」
「それは……二人が合わせてくれたからだよ」
「それでもよ」
継真は少しだけ黙った。
それから周囲を見回す。
「で、まずどこから行く?」
布武も足を止めた。
ベルガンドまでは来た。
問題はここからだ。
「本命は法原の手掛かり」
布武は短く言う。
「でも、この街で正面から探しても時間がかかるわ」
「だよな……」
継真も周囲を見る。
「広すぎるし、人も多いし。隠れようと思えばいくらでも隠れられそうだ」
「行き先なら決まってるぞ」
無双があっさり言った。
布武が眉を寄せる。
「どういうこと?」
「ヴァレンが言ってた。ベルガンドで人とか裏の流れを探すなら、まず酒場街に行ってみろって」
「酒場街?」
継真が聞き返す。
「人と噂が集まるから、だとさ」
「行き先が決まっているなら先に言いなさいよ」
「聞かれなかったから」
「そういう問題じゃないわ」
「でも、他に当てもないだろ?」
「それはそうだけど……」
継真が少し考え。
「酒場街まで行くのはいいと思う」
そこで、真顔になった。
「でもさ」
「ん?」
「子ども三人だけで、酒場に入れてもらえるの?」
無双の足が止まった。
「あっ」
布武も黙る。
「……確かに」
継真が額を押さえた。
「今さら気づいたの?」
「じゃあ、酒場街まで行ってみようぜ」
無双はすぐに立て直した。
「中に入れなくても、周りで何か分かるかもしれないだろ」
布武はまだ呆れた顔だったが。
「まあ……何もしないよりはマシね」
三人は再び歩き出した。
◇
市場の脇を抜ける。
人の密度は、さらに増した。
積み上がった木箱。
吊るされた乾き肉。
異国の布を抱えた商人。
果物の甘い香りに、鼻を刺す香辛料。
湿った木箱の臭い。
その間を、さまざまな姿の人々が行き交っていた。
獣の顔を持つ者。
背に翼を畳んだ者。
長い耳を揺らしながら客を呼び込む者。
角のある者もいれば、見た目だけなら人族とほとんど変わらない者もいる。
一見しただけでは、何の種族なのか分からない者の方が多いくらいだった。
それでも、誰も気に留めない。
商人は客を呼び。
荷運びは道を急ぎ。
旅人は人波をかき分けて進んでいく。
七つの種族が入り混じるこの街では、姿の違いより、立ち止まっていることの方がよほど目立った。
「うわ……」
継真が目を丸くする。
「本当に何でもあるな」
無双は果物の山の向こうへ目をやった。
「なんかワクワクするな」
「遊びに来たわけじゃないのよ」
布武が言う。
けれど、声はそれほどきつくなかった。
その時。
「あっ」
三人が同時に振り返った。
人波の向こう。
小柄な影が、ぴょんと跳ねながら手を振っている。
「朱里?」
無双が目を丸くした。
「匂いがすると思ったら、やっぱり無双たちだ!」
朱里は人を避けながら駆け寄ってきた。
相変わらず軽い足取りだ。
「なんでここにいるんだ?」
無双が聞く。
「姉御に伝言! バンブーのオヤジが、一回里に戻れって」
「姉御?」
布武が聞き返す。
「うん。オヤジの娘」
継真が首を傾げる。
「布武、この子は?」
「竹田の里の子よ」
「竹田?」
話がつながらず、継真は首を傾げたままだった。
無双は朱里の後ろを見る。
「今回はバルスターは一緒じゃないのか?」
「うん。今回はあたし一人」
朱里が自分の鼻を指す。
「あたし、鼻きくし。こういう伝達はあたしの方が早いんだよね」
「無双たちは?」
「まあ、いろいろあってな」
無双は軽く答える。
「今は酒場街に向かってるところ」
「そっか」
朱里はあっさり頷いた。
「じゃあ、ちょうどいいや。一緒に来なよ」
「酒場街に、その姉御がいるの?」
布武が聞く。
「たぶん酒場」
朱里はけろりと言った。
「だいたいあそこにいるし」
「だいたい酒場ってどうなのよ……」
布武が少し呆れる。
「まあ、当てもなく探すよりいいだろ。行こう」
継真も頷いた。
三人は朱里の後について歩き出した。
◇
市場を抜ける途中。
無双が朱里へ聞いた。
「その姉御って、どんな奴なんだ?」
「えー?」
朱里が振り返る。
「美人で、おっぱいが大きいお姉さん探せば、たぶんすぐ分かるよ」
無双は真顔で聞き返した。
「どれぐらいだ?」
朱里は自分の胸の前で、両手を大きく広げた。
無双はそれを見る。
そして。
隣の布武を見る。
「布武より大きいな」
「当たり前じゃん」
「なんで私を基準にするの!?」
布武が珍しく声を上げた。
「これから大きくなるのよ!」
「会う前から何の話してるんだよ……」
継真が心底疲れたように呟く。
「でも、ほんと強いよ」
朱里は気にせず前を向く。
「姉御、めちゃくちゃ強いし、綺麗だし、酒も強いし」
「最後の情報いる?」
布武が聞く。
「いるでしょ。酒場にいること多いし」
市場の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。
代わりに。
笑い声。
乱暴な足音。
何かが卓へ叩きつけられる音。
そして。
酒の匂い。
昼間だというのに、酒場街だけは夜の続きを引きずっているようだった。
「ここ、昼から元気すぎない?」
継真がぼそりと漏らす。
「夜になったらもっとひどいわよ、たぶん」
布武が言う。
「楽しそうだな」
無双が素直に言った。
「無双って、たぶんどこ行っても楽しめるよな……」
継真が半分呆れたように言う。
朱里が足を止めた。
「この先」
その直後。
酒場の中から、何人もの怒鳴り声が響いた。
「ふざけんな!」
「待てって言ってんだろ!」
「話ぐらい――」
バンッ!!
扉が勢いよく開いた。
一人の男が外へ転がり出る。
背中から石畳を滑り。
何度か身体を跳ねさせ。
通りの真ん中で止まった。
「うわ」
無双が思わず漏らす。
開いた扉の向こう。
ゆっくりと一人の女が姿を現した。
長い髪。
陽を受けるたび、明るく揺れる。
整った顔立ち。
口元には、薄い笑み。
けれど。
目だけは強い。
女が一歩外へ出た瞬間。
酒場のざわめきが、ほんのわずかに引いた。
男を見下ろす。
「あたしの酒がまずくなるだろ」
怒鳴ってはいない。
なのに。
よく通る声だった。
女は口元だけで笑う。
「あたしを口説くなら、せめて最後まで立ってな」
男は答えられない。
無双は思わず息を呑んだ。
布武が目を細める。
継真が小さく漏らした。
「……うわぁ」
朱里が得意げに胸を張った。
「いたでしょ。姉御」
ベルガンドの喧騒の真ん中。
そこに立っているだけで、周囲の視線をさらっていく。
フィエルナ・バンブフィールド。
朱里が言っていた人物が、そこにいた。
(第二十一話・終)
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