第十七話 守るために
朝は、痛みで来た。
目を覚ました瞬間、無双は小さく息を詰めた。表面の傷は塞がっている。だが、肋も肩も脚も、身体の奥に残った鈍い痛みまでは消えていなかった。少し身じろぎしただけで、じわりと嫌な感覚が走る。
「っ……」
声にならない息を吐き、ゆっくりと身を起こす。
隣の寝台では、布武がまだ眠っていた。昨夜ようやく気を抜けたのか、寝顔は静かだった。細い肩が小さく上下していた。
起こさないように、無双はそっと足を下ろした。
床に体重を乗せた瞬間、脚の奥がまた軋む。思わず顔をしかめたが、布武は起きない。無双は少しだけ安堵して、静かに部屋を出た。
廊下は冷えていた。
朝なのに、外の気配はない。どこまでも整いすぎた壁と床が続いていて、足音だけが妙に響く。
先の作業室に明かりが見えた。
半開きの扉から覗くと、ヴァレンが機器の前に立っていた。机の上には端末、工具、開いたままの資料。片づける余裕もなく作業を続けていたらしい。寝た気配はなかった。
ヴァレンは視線だけで無双に気づいた。
「起きたのか」
「お前こそ寝てねえだろ」
「必要な準備が終わるまではな」
あっさり言って、ヴァレンは端末を閉じた。
「だが、今終わった」
それだけで、今日がその日だと分かる。
無双の喉が小さく動いた。
ヴァレンはそのまま扉へ向かう。
「来い」
短く言い残し、歩き出す。
無双は一拍遅れて、その背を追った。
向かった先は地下区画のさらに奥。
生命維持装置の並ぶ部屋だった。
扉が開く。
冷えた空気が流れ出す。
部屋の奥まで、整然とカプセルが並んでいた。低い機械音が絶えず続き、監視灯が淡く明滅している。その中で、ひとつだけ白い認証待機灯が点っていた。
無双は足を止めた。
昨夜、最後に見た灯だった。
ヴァレンは迷いなく制御盤の前に立つ。
無双はすぐに口を開いた。
「待てよ」
「何だ」
「布武がまだだろ」
「こちらは準備ができている」
「そうじゃねえよ。一緒に――」
ヴァレンはもう媒体を差し込んでいた。
法原から渡された、一人分だけ有効な鍵だ。
電子音が小さく鳴る。
「おい、ヴァレン」
「待っていても状態は変わらん」
「でも」
「準備が整ったなら動かす」
平然とした声だった。
無双は眉を寄せる。
「お前な……」
「後で文句を言え」
その言葉とほぼ同時に、制御盤の光が切り替わった。
無双が止める間もなく、白い線がカプセル群へ走る。
『認証開始』
平たい機械音声が、静かな部屋に響いた。
光が、一つずつカプセルをなぞっていく。
左へ。右へ。
迷うように、確かめるように。
無双は息を詰めて、その光を目で追った。
どれだ。
誰だ。
いや、まだ分からない。
光はやがて、一つのカプセルの前で止まった。
白い待機灯が、強く明滅する。
ヴァレンが操作を続ける。
「対応先を確認。解除に入る」
低い駆動音が響いた。
カプセル内部の光が少しずつ弱まり、ロックの縁に沿って白い線が走る。
冷気が、内側からじわりと漏れ始めた。
『生命維持、段階移行』
『封鎖解除まで、十……九……』
無双は拳を握る。
あと数秒。
それだけで、止まっていたものが動き出す。
『三……二……一』
重い解錠音。
カプセルの前面が、ゆっくりと上がった。
白い冷気が流れ出す。
眠っていた人影が、その向こうに現れる。
無双は思わず一歩前へ出た。
小さくなった身体。
揺れるまぶた。
指先が、ぴくりと動く。
それから、ゆっくりと目が開いた。
焦点の合わない視線が宙をさまよう。
浅い呼吸。
まだ覚醒しきっていない顔。
無双はその顔を見て、息を呑んだ。
「……継真」
自然に名が出た。
継真は何度か瞬きをして、まずヴァレンを見た。
一瞬の沈黙。
次の瞬間だった。
「ぎゃああああっ!! ここどこ!? なんで!? 誰!? あんた誰!!?」
飛び起きようとして失敗し、その場でがくんと身体を引いた。脚がもつれ、半分カプセルの中に尻もちをつく。両手で自分を庇うように縮こまり、目だけが大きく見開かれた。
ヴァレンは気にした様子もなく、一歩だけ前に出た。
「意識はあるな。視線も合っている。呼吸は――」
「来ないで来ないで来ないでー!!」
継真が反射みたいに叫ぶ。
「何する気!? いやまだ何もされてないけど怖いから来ないで!!」
「脈と瞳孔を確認したいだけだ」
「その言い方がもう完全に怖いんだって!!」
ヴァレンはそこでようやく眉を寄せた。
「……起床直後に騒がしいな」
「今さらそこ気にしたの!?」
無双は思わず額を押さえた。
「鶴羽見 継真」
「はっ!?」
「お前の名前だよ」
「それは知ってる!!」
会話になりそうでならない。
その時、廊下から足音がした。
駆けてくる音だ。
無双は振り返る。
継真には、灯影の名前が効くことを覚えていた。
「灯影! 起きたぞ!」
継真はびくりと肩を跳ねさせた。
目が見開かれる。
「……灯影?」
次の瞬間、継真の表情が変わった。
灯影が来るのだと思ったのだ。縮こまっていた背が伸び、怯えきっていた目に芯が戻る。
だが、入ってきたのはもう一人の小柄な影だった。
継真は固まる。
無双を見て、扉から来た相手を見て、また一気に混乱した。
「……待って。増えた!?」
布武はすぐには返さなかった。
起き上がった継真を見つめて、それから静かに口を開く。
「……久しぶりね」
「誰!? いやほんとに誰!?」
継真は身を引きながらも、無双と布武を何度も見比べた。
気配が妙に似ている。けれど、同じではない。
しかも、どちらも知っているはずの姿と違う。
「……どっちが無双なんだ」
無双が口を開きかける。
だが、その前に布武が静かに言った。
「良い話と悪い話、どっちから聞きたい?」
「……良い話から」
「そう。こっちが無双。私は妹」
「それ、良い話なのか?」
無双が眉をひそめる。
「悪い話は?」
「無双は当時の記憶と力を、ほぼ失ってる。あと、私は布武よ」
継真の顔から血の気が引いた。
「待って、ちょっと待ってくれ」
声が一段小さくなる。
「……灯影は、どこにいるんだ」
「眠ってるわ」
布武は静かに答えた。
「雲龍も?」
「ええ。まだ、眠ったまま」
継真は息を止めた。
それから、並んだカプセルの列へ目を向ける。
「……見せてくれ」
布武は何も言わず、少しだけ身体をずらした。
視線の先、ガラス越しに眠る二つの影が見える。
継真は一歩、また一歩と近づいた。
そして、そこで止まる。
「……灯影」
眠っている。
間違いなく、そこにいる。
けれど、知っている姿ではなかった。
「ち、小さい……」
掠れた声が漏れる。
隣のカプセルへ視線がずれる。
「雲龍も……」
どちらも、記憶の中の姿よりずっと幼い。
継真は目を見開いたまま、自分の手を見た。
腕を見て、足元を見て、ようやく自分の身体にも同じ変化が起きていることを理解する。
「……俺も、なのか」
短く息を吸って、継真は振り返った。
「二人はいつ起きる?」
ヴァレンが答える。
「起こすには鍵が要る。カプセルごとに違う」
継真は黙って聞いている。
「お前を起こす鍵は、その二人が持ち帰った」
継真はゆっくり振り返る。
布武を見る。
無双を見る。
「二人とも、ボロボロじゃないか……」
「……そこまでして」
声が掠れる。
「俺を、起こしてくれたのか」
継真の目から、涙がひと筋こぼれた。
それから、もう一度灯影の眠るカプセルを見た。
「灯影、待ってろよ」
ひどく静かな声だった。
「……二人を起こす鍵、俺が必ず見つけるからな」
さっきまでとは別人みたいに、その声は強かった。
継真はもともと臆病な性格だ。
怖さが消えたわけじゃない。
それでも、灯影のためなら立てる。
少しの沈黙のあと、継真は無双へ向き直った。
「……無双、その怪我、ちょっと見せてくれ」
無双が肩を動かしかけて、わずかに顔をしかめる。
継真の眉が寄った。
「……無茶しすぎだ」
無双は自分の肩に目を落とした。
「進むしかなかったからな」
「でも……きつかっただろ?」
無双は少しだけ黙った。
「……まあな」
ヴァレンが横から、継真の反応を観察している。
「治せるのか?」
「やる」
継真は迷わなかった。
左右の手に白炎が灯る。
圧が静かに釣り合い、合掌の瞬間に白炎はすっと消えた。
「番外――【深命の理】」
その直後、継真の指先にだけ細い青白い光が残った。
糸みたいなその光が、無双の肩口に触れた瞬間、内側をなぞるように淡く走る。
継真の表情が曇る。
「……やっぱり、ひどい」
もう一度、両手に白炎が灯る。
今度はさらに繊細に、静かに圧が釣り合っていく。
合掌。
白炎が消える。
「番外――【命癒の理】」
継真の掌に、淡い金白の光が宿った。
それは燃えるのではなく、傷へ静かに染み込むように広がっていく。
継真の手が、無双の肩から脇腹へ移る。
壊れていた場所が、内側から静かに噛み合っていく。
痛みを押し流すのではなく、ずれていたものを正しい位置へ戻していくような、繊細な感覚だった。
無双は息を呑む。
継真の額に汗が浮く。
起きたばかりの身体には重いはずなのに、手は止まらない。
やがて金白の光が薄れ、痛みがすっと軽くなった。
無双はゆっくり肩を回す。
さっきまで引っかかっていた痛みが、かなり薄れていた。
「……助かった」
継真は短く息を吐いた。
「ごめんよ。今の俺じゃ全部は治せなかった」
それでも十分だった。
継真の視線は、すぐカプセルの列へ向く。
まだ眠ったままの仲間たち。
その中に、灯影がいる。
「……次は、守る」
小さな声だったが、今度は揺れていなかった。
布武が頷く。
「ええ。そのために、先を決めるわ」
ヴァレンが端末を閉じる。
「続きは上でやる。お前は起床直後だ。まずは調整槽で体の状態を調べる」
「嫌だよ! その言い方も顔もやっぱり怖いんだけど……」
継真は弱々しく顔をしかめた。
それでも、自分から歩き出した。
止まっていた時間が、一つ動いた。
それだけで全部が終わるわけじゃない。
灯影はまだ眠っている。
法原もいる。
永遠も終わっていない。
それでも、次へ進める場所まで来たのだ。
扉の向こうへ歩き出す継真の背は、まだ少し頼りない。
けれど、その足はもう迷っていなかった。
(第十七話・終)
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