表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レッドオーガ  作者: うみぐま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/18

第十六話 眠りの扉

 脚が重い。拳もまだ痛む。傷は表面こそ塞がっていたが、痛みだけはまだ残っていた。


 それでも、無双は止まらなかった。


 木々の切れ間を抜けた先で、ようやく見覚えのある場所に出た。

 開けた地面の中央に、人工的に均された一角がある。岩と金属で組まれた低い入口だけが、地面に口を開けていた。


 ヴァレンの研究所だ。


 地上にあるのは入口だけ。

 本体は、その下に広がっている。


 法原の研究所みたいな嫌な気配はない。

 ただ、妙に静かだった。

 息を潜めているみたいに、人の気配が薄い。


「……着いた、か」


 声に出すと、喉が掠れた。


 ここへ戻ってくると、胸の奥がわずかに詰まる。

 安心なのか、居心地の悪さなのか、自分でもまだよくわからなかった。


 無双は入口脇の壁に手をつき、ひとつ息を整えてから地下への通路へ足を踏み入れた。

 廊下は静かだった。足音だけがやけに響く。

 作業机、棚、器具、閉じた扉。どれも位置が揃い、放置された場所の埃っぽさがない。


「ヴァレン!」


 返事はない。


 無双は眉をひそめて奥へ進んだ。

 作業室を覗く。いない。

 別の部屋も見る。いない。

 灯りはついているのに、主の姿だけが見えなかった。


「おい、ヴァレン!」


 もう一度呼んでも、静かなままだった。


「……どこ行ったんだよ、あいつ」


 研究所の奥にいないなら外かもしれない。

 そう思って引き返し、地上へ出た瞬間だった。


 閃光。


「っ――!」


 反射で身体が跳ねた。避け切れない。

 肩口をかすめた光が地面を抉り、衝撃だけで無双の身体が吹き飛んだ。


 背中から地を滑る。土が削れ、残っていた痛みがまとめて疼く。

 無双はすぐに身を起こし、拳を構えた。


「どんな時でも警戒心を持てと教えただろうに」


 木陰から現れた白衣の男を見て、無双は顔をしかめた。


「殺す気か!?」

「今ので死ぬなら、お前はそこまでだ」

「言い方ってもんがあんだろ……!」

「減らず口は叩けるらしいな」

「誰のせいだと思ってんだ」


 白髪。眼鏡。寝不足の隈。相変わらずやる気がなさそうな顔。

 ヴァレンだった。


 ヴァレンは答えず、無双の全身をざっと見た。傷、泥、乾いた血、破れた服。その視線は診察みたいに冷静だった。


「少しはましに鍛えたつもりだったんだがな」

「てめぇは鬼か!!」

「鬼はお前だろ」

「そういう話じゃねえ!」


 一拍、間があいた。


「戻ってきたということは、成果があったんだろう」


 無双は短く息を吐いた。

 法原に会ったこと。鍵を手に入れたこと。

 そして、布武がそのまま法原を追ったこと。

 そこだけを切り出して話した。


 ヴァレンは最後まで黙って聞き、短く頷く。


「そうか」


 そこで無双は、少しだけ言葉を切った。


「それと――永遠とわは、まだ生きてるらしい」


 その名を口にした瞬間、喉の奥がわずかに重くなった。

 体の奥のどこかが、ざらつく。


 ヴァレンは驚かなかった。


「……そうか」

「驚かねえのかよ」

「可能性としては見ていた」

「ほんと嫌なやつだなお前」


 その時だった。


 道の向こうから足音がした。


 振り向くと、木立の影から布武が現れる。

 服に血や泥は残っていない。けれど、裂けた布と浅い呼吸だけが、無理を隠し損ねていた。

 それでも足取りは止まっていない。


 無双は胸の奥で張っていたものが、少しだけ緩むのを感じた。


「布武――」


 無双が呼ぶより早く、布武は言った。


「鍵はある。早く仲間を救う準備をして」


 息を整える暇も惜しむみたいに、布武はそのまま言い切った。

 再会の言葉より本題が先だった。

 声は掠れているのに、焦りだけはまっすぐに通っている。


 ヴァレンは差し出された記憶媒体を見て、一拍置いた。

 その視線が、布武の裂けた服と、無双の傷の跡を一度だけなぞる。


「断る」


「……は?」

「何言ってるのよ」

「断ると言った」

「早くしなさい。時間が惜しいの」

「汚い」


 一瞬、布武の頬がかっと赤くなった。


「……は?」

「お前、今それ言う!?」と無双が叫ぶ。

「血、埃、汗。それに法原の研究所由来の汚染が付着している可能性がある。そのまま入れるのは困る」

「私は水浴びもしてきたし、服も気術で清めてる。無双と一緒にしないで」

「そこ強調すんな! あと、それ教えてくれ」

「とりあえず風呂に入ってこい。話はそれからだ」


 ヴァレンは本気だった。

 冗談の気配がまるでないのが、この男の面倒なところだった。


「風呂場は奥だ。湯は沸いている。終わったら来い」


 それだけ言って、ヴァレンは本当に踵を返した。


 残された沈黙の中で、布武が深く息を吐く。


「……あいつ、なんなのよ」

「潔癖症だ」

「先に言いなさいよ」

「言ってどうにかなる問題か」


 布武がじろりと睨む。

 無双も見返す。

 けれど、その緊張は長くは続かなかった。


「……無事だったのね」

「そっちもな」


 短い。

 でも、それで十分だった。


 ひと通り汚れを落として戻る頃には、湯気と一緒に張りつめていた息も少しだけほどけていた。


 もっとも、表面がましになっただけだ。

 痛みも疲労も、まだ身体の芯に残っている。


 二人が作業室へ戻ると、ヴァレンはすでに机の前に座っていた。

 灯りの下、例の鍵――法原から得た記憶媒体が、器具に接続されている。


「もう出てきたのか」

「十分入ってた」

「その十分は信用できない」


 無双が言い返しかける前に、布武が机へ歩み寄った。


「それで」


 声が低い。

 焦りを押し込めている声だった。


「使えるの」


 ヴァレンは画面を見たまま答えた。


「本物だ」

「……そう」

「解除コードも有効だ。ただし、一人分だけだ」

「わかってる」


 布武の返事は短かった。けれど、その一言に張り詰めたものがにじんでいた。


 ヴァレンは画面を切り替えた。

 研究所の地下区画、そのさらに奥。無双が目覚めた場所と同じ系統の施設図が浮かび上がる。


「今夜のうちに解除手順の最終確認を終える。実行は明日だ」

「今すぐは」

「無理だ。焦って失敗すれば、中の命を落とす」


 その一言で、布武は黙った。


 握られた手が白い。

 早く。少しでも早く。そう思っているのが、見なくてもわかった。


 無双はヴァレンを見た。


「……間に合うんだよな」


 ヴァレンが淡々と言った。


「俺を信じるかは勝手にしろ。期限はまだ生きている」


 布武はすぐには返事をしなかった。

 数秒だけ黙って、それから小さく息を吐く。


「……そう」


 ヴァレンが別の画面を立ち上げる。


「それと、法原の件だ」


 布武の目がすぐに鋭くなった。


「追跡は失敗した」

「ええ」

「だが、完全に空振りでもないんだろう」

「次に向かう先の見当はついてる」

「ほんとか」と無双が聞く。

「確証まではない。でも、追う価値はある場所よ」

「その話は後だ」とヴァレンが言う。「先に一人起こす」

「……そうする」


 布武は短く頷いた。


 作業室の空気が少しだけ締まる。

 問題は何も減っていない。

 それでも、次にやることだけは決まった。


 鍵は本物だった。

 準備は進められる。

 明日、一人を起こす。


 無双は静かに息を吐いた。

 ようやく、眠った仲間へ手が届くところまで来たのだと思った。


 ヴァレンが最後の器具を机へ置く。

 金属の乾いた音が、静かな部屋によく響いた。


「地下の調整槽を使う。だが、開ける相手はこちらでは選べない」

「……どういうこと?」

「今回の鍵で開けられるのは、一つだけだ」

「じゃあ、誰が起きるかは……」

「この鍵次第だ」


 曖昧さのない答えだった。


 布武が画面の先を見る。

 無双もつられて、その先を見た。


 地下へ続く表示の向こう。

 眠ったままの仲間たちがいる場所。

 あと一歩で届く場所。


 けれど、その一歩の先にいるのが誰なのかは、まだわからなかった。


「休め」とヴァレンが言う。「明日は集中力が要る」


 無双も布武も、すぐには動かなかった。


 机の上の鍵。

 点灯したままの画面。

 その奥にある地下区画の表示。

 さらにその端で、小さな認証待機灯がひとつだけ、白く点っていた。


 一つだけ。

 たった一つだけが、明日、開く。


 布武が小さく呟いた。


「……待ってなさい」


 無双は黙ったまま、その白い灯りを見ていた。

 胸の奥が、理由もわからず一度だけ強く鳴った。


(第十六話・終)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


今回の更新強化期間はここまでとなります。

次回からは、通常どおり毎週日曜20時更新に戻る予定です。


次回、第十七話は

6月14日(日)20時10分に更新予定です。


続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ