第8話 お気に入り
家を出る前に、そんなやりとりがあったからか、私は言葉も出なかった。
ノンはノンで、ひたすら上機嫌で、スマホを弄ってた。
そして……
凍堂家の門をくぐった瞬間の、ノンの表情……いや、その目が凄かった。
獲物を狙う猛禽類の目だ。
「ヤバッ。玉のこ……」
小さな声だったけど、確かに聞こえた。
迎えに出てきたのは、もちろん、あのお母さま――いや、ママ、だ。
「ようこそ、来てくれたわね」
その顔はノンの方を向いていた。
私は、顔を引き攣らせて、お辞儀だけを合わせるのがやっと。
「あらぁ、こちらが、お姉さま? とても、お綺麗で、清楚な方なのですね」
その声の温度が、前回よりも、さらに高いことを思い知る。
「はじめまして。花村望未です」
ノンは、少し首を傾げて、にこっと笑った。いつもよりも半オクターブは高いんじゃないだろうか。
「ユキ君から、いつもお話、聞いてますわぁ」
ママの目が、はっきりと輝いている。
いや、仮にも結婚を意識してる彼女の前で、他の女の話を「いつもしてる」ってバラしちゃって良いのだろうか?
怒るよりも、心配の方が勝ってしまうほど。
私の「社交辞令の笑み」は、硬く見えているはずだ。
幸人さんは、慌てて「いや、メグミの話をしているときに、ちょっと出ただけだから」とフォローに廻った。
でも、全然フォローになってないというのは、さすがに幸人さん自身がわかっているらしい。
その目は、ママにジロリと向けられて「あらあら、ユキ君ったら心配しすぎよぉ」と言って、オホホと笑った。
そんなに長く生きてるわけじゃないけど、リアルで「オホホ」と笑う人がいるんだって、初めて知った。
私のご機嫌はともかく「可愛いユキ君」のジロリは、さすがに気にしたのか「ね、メグミさんもそう思うでしょ」と話を振ってくる、ママ。
いや、実際のところ、何が「そう思う」のか、聞いてみたいほどだけど、ここで気にしたら負け。
私は「うふふ」と笑って受け流す。
いつか読んだラノベにも出てきた。「オホホ」に対抗するならこれしかないやつ。
――わからんけど。
とりあえず、私が笑顔を見せたことで、ママは、良しとしたらしい。
「さあさぁ、いらっしゃい。あ、メグミさんは前回でお分かりよね。キッチンにお茶の用意がしてあるの。持って来てくださらない?」
「はい」
私がお茶を運べ? まあ、そのくらい、いいけど……
用意されたティーセットを運ぶ。
応接室(ホントに、テレビドラマに出てくるみたいなセットがあるのが、この家のスゴさだと思う)では、私のことなんて忘れたみたいに、和やかな会話が始まっていた。
「望未さん、失礼ですけど、お仕事をなさっていらっしゃるのだとか」
「信販会社で、オペレーターをしています。でも……」
ノンは、少しだけ困ったように笑ってみせる。計算された首の角度に、口の開き方。
そして、口調……
「素敵な結婚さえできたら、夫に尽くす方が向いているかなって思います」
堂々の「腰掛け宣言」だ。でも、これは驚くことでは無い。、結婚したら寿退社は、ノンの本音だ。
今時、始めからそれを狙う人がいるのかは知らないけど。
けれども「そうよねぇ!」と、テンションを上げたママは、嬉しそうに頷いた。
「女の人は家庭が一番だもの。その気持ち、わかるわ~」
「ですよね」
ノンは、素直に同調した。
わかり合える二人、という感じの空間に、私は入っていけそうにないので、黙って、紅茶をカップに注いで、全員の前にセットする。
ノンは、完全に「メインは私」と思ってるっていうのが、露骨すぎる。
「私も、結婚したら、ちゃんと家庭を守りたいなって思ってるんです」
その言葉を聞いた途端、ママは、グググッと身を乗り出した。
その表情には「それを聞きたかった」と書いてある。
「まあ!」
ママは、胸の前でポンと手を打った。
「なんて素敵なお考えなの。ねえ、ユキ君?」
「う、うん……」
「やはり、お嫁さんは、家庭を大切にしてくれる人をもらうのが、男性も幸せだと思うわ。ねぇ、あなた」
突然話を振られた、お父様――ちょい悪風イケオヤジ――は、いくぶん引き気味だけど「おかげで幸せだぞ」と言って、ハハハと笑った。
すごい。
オホホに、うふふに、ハハハ、か。
次は何が出てくるんだろう、と思わず、話の本筋とは関係なく、考えてしまいそう。
いや、逃避だなって、自分でも思うけど。
幸人さんは幸人さんで、さすがに居心地悪そうな感じになっている。
座を持て余すように黙って紅茶に手を伸ばした。でも、私の方に視線は向けてこなかった。




