第22話 最終話 信じられる距離
時間軸は、第2話の後へと飛びます。
ノンの結婚式を見届けてから、会社にやって来た。
さすがに休日出勤組は少ない。
いよいよ「破綻」は秒読み。明後日には発表されるはずだから、本格的な仕事は週明けだ。
本来なら、休めと言われていた。
――でも、あの人が待っているから、私は喜んで出勤した。
IDカードで開けると、すぐに中から声が掛かった。
「早かったな」
「お待たせしました!」
桜木さんは、もう、いつものお部屋で仕事をしていた。
「今日は、ゆっくりしてて良かったんだぞ」
「私が来たかったんです」
「そ、そうか」
右手で口元を押さえる桜木さん。
照れてるのかも。
ネクタイを外し、いつもより少しラフな格好。袖をまくり上げた腕を見て、ドキッとする。
意外とたくましいんだよね。
「式、どうだった?」
話題を変えたのはわざとなのか。それであっても、こちらを見ずに聞いてきたのは、私を気遣ってのこと。ぶっきらぼうな優しさを見せてくれるのを、よく知っている。
私は、鍵を開けて、資料をドサドサと机に取り出しながら答えた。
「想像通りでした」
それ以上は言う必要はないよね。
「シアワセ の ゼッチョーだよな」
カタカナになってますよと、小さくツッコミを入れると「まぁな」と笑顔が返ってくる。
「あの二人、きっと『まさか』って思うだろうなぁ」
「二人だけじゃないとは思いますけどね」
この後の、今までの生活がひっくり返るのを知るだろう。
「やっぱり、気付いてなかった?」
「ええ。もちろん、私は言ってませんしね」
「父親も?」
「お父様だって、息子が結婚するって時に、自分の会社が破綻するというトップシークレットは、言えなかったんでしょう」
それどころか、雀の涙だったけど「慰謝料」としていくらか振り込んでくれた。案外、良い人だった――「案外」はつけなくてもいいかな。ふふっ。
ともかく、ノンはおろか、幸人さんもママも知らない明後日の爆弾――パパの会社が破綻する――は、秒読み段階。
桜木さんと私は、できる限りの事前対応を任されていたのが、誰にも言えない「プロジェクト」の中身だった。
今日は「最終確認」という名前の、だらだらした出勤。
一枚一枚、資料を基に連絡先や指示すべき場所と内容を仕分けしてきたリストを最終確認。
逆に言えば「点検作業」以外、今となっては、やるべきことなど無かった。
桜木さんは…… ううん、二人っきりだし、いつも通りで良いよね。
桜木健太――二人だけの時は「ケンちゃん」と呼ぶ――は、自分にだけ許された距離に踏み込んで、私の画面を覗き込んでくる。
けっして触れることはないけれど、触れられる距離。でも、私に拒否感が生まれない。
その距離、ズルいです。
ノンが最後にあがいた「妊娠」騒動。あの日、ホテルから報告したのはケンちゃんだった――まだ「桜木さん」って呼んでいたけれど。
ずっと心配してくれた人にできる、それが、目一杯の誠意だと思ったから。
そして、彼は、即座に駆けつけてきた。
ちょっと鈍感で、不器用なナイト様は、私を抱きしめた。
それは私を慰めるためだった。それを疑うつもりなど少しも無い。
大人の階段を上ってしまったのは、私が求めちゃったからだもの。
終わった後で、ベッドを見たケンちゃんは顔色を変えて「責任を取る」と言った。
だけど「もうちょっと、今の距離でいたい」と言ったのは私の方だ。
だから、会社では先輩と、その人を信頼する後輩の距離でいられると思ったのに……
この頃は、容赦なく距離を詰めてくる。
でも、それがちっとも不快ではない…… ズルいです。
私の視線に気付いたのか、急に顔を赤くして、それを隠すみたいに、またシブい声を出してきた。
「今までの例で行くと、縁故入社組は地方の子会社か退職の二択だ」
「わぁ~ ママが、絶対に家から出してくれないと思う」
私は、つい、口調を崩してしまったのは、心が緩んでいるからだろう。
私は、表情を作るコトもできなくなる。それなのに、あの「すごい家」を思い出して肩をすくめたりして。
いい歳をした息子を、人前で「ユキ君」などと甘ったるく呼ぶ母親だ。「たかだか仕事」で手放すはずがない。
「地方が嫌なら退職。となると無職かぁ。あいつだと、再就職は簡単じゃないぞ」
ふっと首を捻ってから、確か、と言葉を繋いだ。
「ヤツの家は、世田谷の豪邸って言ってたね」
「はい。固定資産税を考えると、すごいことになると思います」
「じゃあ、何年、モツかだねぇ~」
私は、資料に視線を落とした。
「ママも、働くんでしょうか?」
「まあ、主婦でいるのも自由だけど、旦那が、その分だけ稼げるかって話だよ。息子だって――あいつアルバイトもしたことがないらしいじゃん」
イイトコロの奥様、お坊ちゃまの余裕、なのだろうな。
「確かに、余裕はなくなりますよね」
そんな中で「専業主婦オシ」の気持ちをずっと保っていられるのかだけど、きっと無理だと思う。
ふっと、あの「ちょい悪イケオヤジ」のお父さまを思い出した。
「でも、パパさんは、会社でそれなりの立場だったのなら、どこかで再就職くらいは」
「無理だろうね~」
ニヤリと笑って私を覗き込む。だから、その距離ズルいです。ちっとも不快になれないどころか、もっと近づきたくなるから。
「そうか。メグミちゃんには言ったことがなかったな。ま、言えなかったんだけどさ」
「何がですか?」
「お父さん、有名なんだよ。ゴリ押し縁故入社で」
「え?」
「凍堂の祖父が政商として有名でさ。昭和の妖怪みたいな男だったんだ。それが、不出来な息子を終身雇うという約束までさせて押し込んだんだ」
「あの、ちょいワル、イケオヤジのパパさんって、そうだったんですか」
「ハハハ ちょい悪、イケオヤジ? ハハハ いや~ オレ、実物は見たことがなかったけど、一度見ておけば良かったなぁ」
クルンとイスで回転してみせる。たまに、こういう少年ぽいことをするのは、良いのか悪いのか。
私は好きだけどさ。
「それにしても、この情報を、結局誰にも言わなかったな」
社内でも限られた人しか知らない情報だった。
「言えませんでした。職業上の秘密ですから。たとえ、姉にも、元婚約者にも。匂わせることもしていません」
笑顔の即答。
「そうだよなぁ。オレも、あの時、どれだけ言いたかったか」
「あれ、実はけっこう、困っちゃいましたよぉ」
自分でも、甘えている声を出してる。困ったと言っているのに「嬉しかった」と伝わっちゃってるはずだ。
幸人さんとの結婚を初めて伝えた時、桜木さんがミーティングルームに「置き忘れていった」資料は「パパの会社」の経営情報だった。
私は、それが機密情報だって気付いて、あとで、そっと桜木さんに返した。ただ、それだけ。
そして、一緒に仕事をしている間、結局、ギリまで、桜木さんは、ただ「仕事」として接してくれた。
だから、幸人さん――凍堂さんとノンが、結婚式へと突き進むのを、私は、ただ、黙って見ていれば良かっただけ。
それはもう「復讐」ですらない。
「まあ、ここまできちゃったら、キマリだしな。どうせなら、オレも結婚式を見れば良かったかな。こっちは何もしてないのに、破滅に突っ走る、不思議な結婚式を」
「そうですね、私はな~んにも、しませんでした」
――ただ、見ていただけ。
二人は、いや、凍堂家の家族も含めて、勝手に破滅へと突進していったのを、私は、本当に見ていただけだった。
「それでいいのさ」
肩を、ちょっとすくめてから、桜木さんが言った。
「あの後、ノンからの連絡は?」
「ありません」
きっぱりと答えた。
「約束しました。妊娠が嘘だって――間違いだって言ってましたけど――わかって、父も母も本気で絶縁するって決めましたから」
そう。あの日の「妊娠」は、ノンにとって、幸人さんを奪う最後の決め手。
でも、それがウソだろうと、間違いだろうと、私は一切関係ない。
両親が「絶縁」を決めてくれた分は、オマケみたいなものだった。
「おかげで、私に二度と近づかない約束になりましたから」
「……そうか」
ノンは「絶対に家に戻るな」と両親に言われて、父と母から結婚が許された。
正直言って、あの両親があそこまで怒ってくれるとは思ってなかっただけに、嬉しかった。
「ね、メグミちゃん」
ケンちゃんが、静かに言った。
「オレは、あの時の言葉を変えるつもりはない」
私は、真っ直ぐに目を見つめた。
「分かってます」
少しだけ、間を置く。
「もしも、また、君から何かを奪おうとしたら、今度こそ……」
私は両方の手のひらを顔に突き出して、言葉を遮った。
「え?」
「もう、大丈夫です」
だって、信じられる人はそばにいる。
――奪う人は、もう、ここまで来られない。
私は、ただ見ているだけで、この場所に立てたのだから。




