第2話 いつものこと
車窓から流れる風景を見ながら、私は苦笑交じりに思い出してしまった。
あのバッグを見たのは、あれが最初で最後だったなぁ。
去年の誕生日の話だった。
あの頃には、既に幸人さんを家で紹介していた。父も母も「初めての彼氏が、こんなに立派な人だなんて」とニコニコ。
初めての彼氏……
幸人さんが、その瞬間、目をギラッとさせたのを覚えてる。そして、笑顔を作るノンは、ギラリとした目で、幸人さんを見てたっけ。
そして、あの日。
ノックもなく、私の部屋に入ってきたのはノン。
その目が、真っ先に私の机を見たのは、帰ってくるときの私を窓から見ていたのかもしれない。
それとも「誕生日に会うんだから、それなりのプレゼントをもらってるでしょ」と嗅ぎつけたのか……
だとしたら、相変わらず、良いカンしてると思う。
「メグ、このバッグ、いいじゃん! すてき」
机の上に置いた、まだ開けてないギフトボックスから、勝手に取り出すノンの目がギラっと光る。
バッグか……
ギフトボックスにも、袋にも、私ですら知っているロゴがキラリと光ってた。
正直、少し戸惑った。誕生日プレゼントという名目がなければ、受け取れなかったはずだ。
第一、こんなに効果な物をいただいても困る。高級すぎて、入社一年目の私の身の丈にはとても合わないから。
「ちょっと、使わせてもらっていい?」
質問の形をしているけれど、答えを待つつもりがないことは、最初から分かっている。
ノンは、私が何か言う前に、バッグを持ち上げていた。ネイルをした指が、革の表面に引っかかる。
一瞬、胸の奥がヒヤッとした。それでも、何も言わずにいるわけにはいかなかった。
それがいつものことだから。
「あの、それ……幸人さんがプレゼントしてくれたばかりで……」
口を開いたところで、意味がないのは分かっていた。これは、もう、決まっている流れだから。
私が絶句したのを、ノンは勝手に「承認」と決めつけるのはいつものこと。
満面の笑みで、獲物を抱きかかえた。
「大丈夫よ。大事に使うから」
ノンはそう言ったけど、もちろん、そういう問題ではない。
彼氏からもらった誕生日プレゼントのバッグを「ちょっと使う」って言い出す意味がわかる人なんて、いないと思う。
けれども、ノンの得意そうな笑顔を見た瞬間、私は、それ以上、何も言えなくなった。
――いつものことだ。
小さい頃から、ずっと、そうだった。
お気に入りのおもちゃに、素敵な文房具。そして、可愛いと思った服。
私が大事にしようとしたものは、気づくとノンの部屋にある。
それに気付いた私に、ノンが言うセリフは決まってる。
「ちょっと借りただけ」
最初は、そう言う。だけど、さらに「それ、私のだよ」と言うと、これもまた、セリフが決まってる。
「一緒に使お?」
それで、次は、こう言う。
「交替でね」
そんな言葉の繰り返し。でも、返ってきたことは一度もなかった。
親は、それを、ただ、見ていただけ…… ではなかった。
「姉妹なんだから、仲良くしなさい」
母は、決まってそう言った。
「一緒に使えば良いだろ。メグは、今、使ってないんだったら、お姉ちゃんに貸してあげなさい」
父も母も、姉がうるさいのを知っているから、揉めそうになったら、必ず私に譲らせてきた。
仲良くしろ、一緒に使え、今はお姉ちゃんに。
両親にとってそれは、便利な言葉だったと思う。だから、いつの間にか、我が家のルールが決まってしまった。
小学生の頃、誕生日にもらったぬいぐるみ。
中学生の時、初めて自分で選んだペンケース。
高校に上がる前、祖母が買ってくれたカーディガン。
どれも、最初は、私のものだった。でも、最後は、全部、ノンのものになった。
気に入るものはノンのもの。
気に入らない時だけ私のもの。
悲しいけど、それが私の現実なんだよね。
諦める――いつしか、それが私のルールのように思われたのだろう。
「メグは、どうせ、気にしないでしょ?」
ある時、ノンは、そんなふうに言った。
とっさに否定できなかった。
気にしない、のではなく、気にしても、どうにもならないことを、もう知っていたから。
そういえば、スカーフの話もあったっけ……
部活と受験勉強一色だった私が、大学に入ってアルバイトをした。初めて自分で稼いだお金で、自分に何か買おうと思った。
初めて選んだ、ちょっとお高い、ブランドもののスカーフ。
少し背伸びをした。だって、初めて自分の手で稼いだ記念だ。どうしても、何か形になるものが欲しかった。
もちろん、ノンを警戒した。
だから大事にしまっていたはずなのに、ある日、見つからなかった。
発見したのは姉の部屋。
「メイクして着替えるのに、ちょっと借りたの。ほら、ファンデが服に付いちゃうでしょ? あ、もう、良いから返すね」
手に取ってみれば、ファンデーションがべったり付いていた。
もちろん、洗っても落ちるわけがない。
――そりゃ悲しかった。怒りたかった。
でも、どこかで「ああ、やっぱり」と思っちゃう私がいた。
泣きたいけど、泣けない自分が、嫌。
怒りたいのに、諦めてしまう自分が、嫌。
盗られたこともそうだけど、そうなってしまう自分が、一番嫌だった。
バッグも、結局、同じだ。
きっと、返ってこないし、返ってきたとしても、もう、私のものだとは思えない姿になっているだろうって思った。
バッグの時は、消極的な抗議をして見せただけ。だって、ノンは「それが当然だ」と思っているから。
仮に、バッグの話を母にしたとしても、その返事は目に見えるようだ。
きっと、母は言う。
「いいじゃない。貸してあげなさい」
そんな未来が、簡単に想像できた。
だったら、最初から、何も言わない方が楽だ。
――そうやって、私は、諦めることを覚えてきたんだなぁ。
そんなことを、心の中で呟いてる私は、電車の揺れに身を任せる。
まもなく駅。
スピードが緩んだ車窓の景色を見ながら、ふと思う。
もし、私が声を上げてきたら、何か変わっていただろうか?
――きっと、変わらなかった。
今まで、ずっと、そうだったように。
ドアが開いて、駅に降り立つ。
生温かい空気を吸い込みながら、私は、これから待つ「仕事」で、頭が動き始める。
――これでいい。
終わり方は、私が決める。




