第3話 初めて、恋を盗られた日
高校時代は、正直、しんどかった。
部活と勉強で毎日が埋まっていった。それは、苦しくない。
家に帰ると、相変わらずの「いつものこと」が待っているのが地味にキツい。
部活は、男バスのマネージャー。
友だちに誘われてやってみたら、マジで楽しかった。
高校の男子バスケはすごかった。
大きな身体が、途轍もないスピードで走り、飛ぶ。ボールが、ポン、ポン、ポンと軽々とパスされたと思ったら、すぐさまシュート。
ボールの弾む音と、バッシュのキュ、キュ、キュという摩擦音を、すぐに心地よく感じるようになった。
迫力あるプレーを間近で見て、応援するのは思っていた以上に楽しい。
そして、水の入ったスクイズボトルをコートのあっちこちに置いていくと、みんなが「ありがとう」って言ってくれる。嬉しいって、素直に思えた。
「ベンチは六人目の選手だ」
そんな言葉の意味を初めて知った。みんなで声を出して、チームとして戦うことが、こんなに胸に来るなんて、初めて知った。
そして、先輩のこと……
キャプテンの白根颯太先輩は、センターだった。
背が高くて、よく通る低い声で、みんなを励まし、指示をする。
とっても頼れる人だ。
コートの中でも外でも、自然と視線を集めるのは自然なこと。
私は、マネージャーとして、必要な仕事をしていただけ。キャプテンのために、何か特別なことをしたことはなかった。
私は、単なる後輩で、ひとりのマネージャー。先輩はキャプテンで、ひとりのプレイヤー。
ただ、それだけの関係だ。
部活が終わっての帰り道。いつになく、先輩が「オレこっちに用があって」と同じ道になった。
いや、同じ道に「なった」のではなく、先輩が「した」んだ。
途中の公園の前で、先輩は「マネさん、ちょっと良い?」と初めは部活の時と同じ呼び方だった。
テーピングを取って、とか言うときと完全に同じだった。だから、油断した…… ということにしておこう。実際「はい」と足を止めたとき、私は、何も考えてなかったのだから。
「前から、君に、ちゃんとお礼を言いたかった……」
先輩は、そこで少し照れたように笑って「じゃなくて……」と、大きく息を吸い込んでから、一気に言った。
「好きなんだ」
今でも覚えてる。あの時「何が好きなんだろ?」って、本気で考えたことを。
それは、生まれて初めての告白だった。
驚いたし、正直、戸惑った。
「なんで?」
困った時って、つい「す」が出るんだと思う。私は、素直に、聞いていた。
「いっつも、嫌な顔をしないで、自分から動いてくれるだろ? 感謝していたんだ。それはホントなんだ。でも、見ているウチに、いつの間にか君を好きになってた」
正直に言えば、自分が男の人と「お付き合いする」というイメージを全く持っていなかった。そりゃ、小説とかアニメに出てくる「恋」には憧れるけど、まったくの他人事だった。
多分、あの時、私の頭上に「?」だけが浮かんでいたと思う。
でも、男の人として「好き」って思う前に、もっともっと素直な嬉しさがあった。
「私のことを、ちゃんと見てくれていた」
それが、心の中で弾けた気持ちだった。
私たちは、付き合うことになった。ただし、マネージャーとプレイヤーのお付き合いは、部活としては御法度。
少なくとも、先輩が引退するまでは、大っぴらにデートはできない。
でも、楽しかった。
派手なことは、な~んにもしなかったけど、一緒に帰って、少し話して、ウチに帰って、メッセージをやりとり。
それでも、誰かの特別っていい。その人が、私だけを見てくれるって思えるのは、十分に幸せなことだった。
まして、キャプテンは優しくて、頼もしくて、面倒見が良くて。それに、けっこう、顔も良いからモテていたらしい。
そんな人の「特別な人」っていうのは、高校生だもん、嬉しくないはずがない。
でも、家では何も言わなかった。その気配すら見せないように努力した。
理由は、言うまでもない。
『ノンに知られたら、ヤバい』
絶対に良くないことが起きるって、嫌な予感――確信があった。
その予感は、外れなかった。
お付き合いを始めてからしばらくして、ノンが試合を見に来るようになった。
「へえ、体育館って、こうなんだ?」
興味深そうに、コートを見渡していた。
そして、ノンを試合で見かけてからしばらくすると、先輩からのメッセージが減っていった。
返信が遅くなり、内容も、そっけなくなる。たまーに部活が休みの時でも、デートの約束をしなくなっていった。
何が起きているのか、分からないわけじゃなかった。
確かめる勇気がなかっただけ。
卒業式の日。
校舎の外は、やけに明るかった。
式が終わって、部活の「送り出し」も終わった後だ。
人の流れが落ち着いてから、先輩に呼び止められた。
「話がある」
その声で、もう、全部、分かってしまった。
「ごめん」
先に、頭を下げられた。
「お姉さんと、真面目に交際させてもらっている」
一瞬、何を言われたのか、理解できなかった。
真面目に? 交際?
言葉の意味が、頭の中で、ゆっくり組み合わさる。
二股しておいて「真面目に交際」って……
乾いた笑いが漏れそうになった。
「あ、そうなんですね」
だから、出てきた声は、すごく落ち着いたモノだったはずだ。
「今まで、ありがとう」
そう言われて、話は終わった。
足早に帰っていく先輩を目で追うと、校門の外でノンが待っていた。
ふたりが並んで帰る姿を見送りながら、息を吐き出したっけ。
私の存在なんて、最初から、なかったみたいに、ふたりは笑い合って歩いていた。
その光景を見た時、胸が痛むよりも先に、呟いてしまった。
「ああ、これも、同じなんだ」
物だけじゃない。
人も――恋も、例外じゃないってこと。
私が大事にしていたものは、ノンが欲しいと思った瞬間、ノンのものになるんだ。
そういう世界で、私は、ずっと、生きるんだって思ってしまった。
家に帰っても、何も言わなかった――言えなかった。
言ったところで、どうなるか、分かっていたから。
「白根君。ホントに素敵な人ね」
後日、ノンは、何でもないことのように言って、私は、ただ、うなずいただけだった。
それが、私が初めて、恋を盗られた日のこと。
そして、この時、はっきりと刻み込まれた。
――大事なものは、隠すだけじゃ守れない。
あの時、私は初めて、守り方を考え始めた。




