第16話 凍堂家
凍堂家の空気は、ある意味で「想像していた通り」だった。
今日は玄関の中で出迎えをしてくれる。
「いらっしゃい、メグちゃん」
笑顔だけど、ほんの少しだけ固いことに気付いてしまった。
でも知らん顔をして、手土産を渡すのも、三度目。
本日は、あえて、ヨックモックのシガールを選んだ。ごく薄の生地を葉巻上に、サラッと巻いたお菓子。
美味しいけど、すぐに崩れちゃって食べにくいんだよね。
まあ、私の持って来た手土産を食べるのかどうかは知ったことではない、と思える自分がいた。
リビングに通されると、同じようにパパもいた。
あれ?
ちょい悪イケオヤジ・パパの雰囲気は、全く同じ。というよりも、心がここにない感じ。
息子の結婚なんてどうでも良いと言うことなのか、それとも理由があるのか……
そこに触れてはいけないくらいのことは、私だってわかってる。
だから、今まで通りの笑顔で挨拶をする。
「お邪魔いたします」
「今日はわざわざありがとう」
挨拶をしてから「お茶を用意しなくちゃ」と、立ち上がってみせると、パパが少し狼狽えた。
案外良い人なのかも。
この間と同じことをしようとしただけなのに、さすがに、それは、と思ってくれるだけでも、この家ではなんだか、ありがたく感じてしまう。
今日はママが、お茶を出してくれた。
そして、すぐ本題に入った。
幸人さんが、軽い調子で言う。
「今日は、メグミが挨拶に来たんだ」
「まあ」
「本日は、幸人さんとの結婚をお許しいただきたく、参りました」
ママは目を丸くした。
「まあ、いきなりなの?」
彼氏の家に、三度目だ。それなのに「いきなり」と言われても……
だけど、顔には笑顔を貼り付けてある。
「この間、メグミの家には行って、喜んでOKしてもらったよ」
幸人さんは、軽い感じで、言った。
「それは、ユキ君だから当然よ。どこに出しても、恥ずかしくないんですもの」
まるで、目の前にいる女だと恥ずかしいと言いたげ――あ、言ってるんですね、はい、そうですか。
笑顔で「ユキ君」を見つめた後、尖らせた視線が私に突き刺さった。
それでも、声のトーンを上げてみせる程度には「上流夫人」のプライドがあったらしい。
「それで、メグちゃんは」
一拍おいて、右の口角を上げてから続けた。
「お仕事は、いつ辞めるつもり?」
――来た!
私は笑顔を崩さなかった。
「まだ、具体的には考えていません」
ママの眉が、ほんの少しだけ動く。
「結婚したら忙しくなるわよ? すぐに赤ちゃんだって」
「そうですね」
「家庭を守るのは、女にとって大事な仕事よ、わかってるの?」
「わかっているつもりです」
肯定はする。でも、決して約束はしない。
ママは、少し黙ってから、さすがにトーンを下げてきた。
「幸人の仕事は、かなり忙しいのよ」
「聞いています」
って言うか、同じ会社なんだけど。ついでに言うと、私の部署の方が、残業が多いんですけど。
「だから、家庭を支える人が必要なの」
「そうあると良いとは思いますね」
私は同じ言葉を使わずに、ママの言葉を肯定し続けた。けれども、絶対に約束をしないというワザ。
その程度の芸は社会人の一年目で覚えた技術だ。
言質を与えない私に、ママは、はっきりとため息をついた。
「……やっぱり」
小さく呟いた。
「凍堂家の家風に、染まらない人はねぇ」
語尾の「ダメ」を発音しないだけ。
部屋の空気が、少しだけ固まった。
「ちょっとママ」
幸人さんが困った声を出す。
「まだ決まったわけじゃないだろ」
「でも、考えていないんでしょう?」
ママは私を見たまま言う。
「それって、結婚の覚悟が足りないんじゃないかしら」
パパが慌てて口を挟んだ。
「まあまあ…… ほら、結婚も、チャンスがあったら、どんどんした方がいいよ。後になると何があるかわからないからね」
パパは、息子に結婚を急がせたいらしい。
気持ちはわかりますよって、言ってみたいけど、私は社会人の常識として「そんなこと」は、絶対に言わない。
「そうね。立派な社会人になったんですもの。早く結婚して、凍堂家の跡継ぎを産んでもらう。できるかぎり早い方が良いわね」
ママは言い切った。
取りなすようなパパの、腰の引けた援護射撃と、幸人さんの「なんで、話を合わせねーんだよ」という非難の目。
誰が味方なんだか少しもわからない一幕を演じた後、私は、お暇を告げる。
家を出ると、すっかり夕方になっていた。
「ごめん」
歩きながら、幸人さんが言った。
「ママ、ああいうとこあるんだよ」
「知ってます」
「悪気はないんだけどさ」
「悪気はないのはわかりますけど。でも……」
「でもっていうかさ、どうせ、後でなんとでもなるんだから、メグミが適当に合わせてくれれば良かったんじゃね」
「適当にですか? 絶対に、後で揉めると思いますけど」
「いや、結婚しちゃえば、なんとでもなるって」
私はそれ以上、何も言わなかった。
住宅街の道を通り抜けようとしたときだった。
ふと、視線を感じた。
辺りを見回した。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
……気のせい、なんだろうか?
幸人さんがタクシーを呼ぶためにスマホを取り出した。
その間、私はもう一度だけ後ろを見た。
やっぱり、誰もいなかった。
*
その日の夜、私は部屋に籠もった。
どこかに出かけていたノンが、いつ帰ってきたのかもわからない。
階段を上がってくるノンの足音が、とても軽いと感じた。
妙に機嫌が良さそうな雰囲気が、伝わってくる。
私の部屋の前で、足が止まった。
しばらくして。
くすっ。
小さな笑い声。
そのまま足音が遠ざかっていった。
私は、ベッドの上で天井を見上げた。
始まったのかもしれない。
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「 顔は平凡な婚約者なのに、浮気はするのかよ! 」




