第14話 告白
ずっと考えてきたことだった。
だけど、いざ「結婚の約束」をしてしまうと、思った以上に、自分にダメージが入ってしまったらしい。
ここ数日、頭を占めるのは後悔とは違うけど、でも、スッキリと自分を認められない気持ちが続いてる。
なんて言ったら良いのか自分でもわからない。心の中で 「宙ぶらりん」が続いていた。
寝る前の一時も、起きた直後も、食事の間も、ずっと同じ言葉が浮かんでる。
「ホントに、良いのかな? だけど、ずっと決めてきたことだよ。今さら変えられない。でも、わかっているのに……」
頭の中が、ぐーるぐる。
仕事に集中しているつもりだけど、たぶん、外からは、私が悩んでいるように見えていたらしい。
出張から戻った桜木さんは、私がやっておいた仕事を褒めて、感謝してくれた。
でも、その合間に、何か言いたそうな表情を何度も見せていた。
私は、あえて気付かないふりをした。だって、今、話したら、きっと全てを打ち明けたくなってしまうから。
個人的な私のあれこれに、あんなに誠実な先輩を巻き込むわけにはいかない。
多分、私の「そういうところ」を見抜かれていたんだと思う。
午後に別の仕事の打ち合わせに出た後で、桜木さんに「ちょっと」と、ミーティングスペースへと呼び出された。
通りがかる人だって、日中は、けして少なくない。けれども、日常的に使われている場所だけに、わざわざ覗き込んでいく人もいない。
ガラス張りのそこでするのは、衆人環視の中での、ナイショ話だ。
口調に視線、そして慣れない笑顔まで動員して雰囲気を軽くしようとしてくれているのが手に取るようにわかる。私が話しやすいように、と気を遣ってくれてる。不器用だけど、優しい先輩だ。
そして、無理やり喋らせようとすることも、ダイレクトに切り込んでくることもしなかった。
ため息が出ちゃいそうなほど、誠実な人だと思う。
私は、その優しさに応えられない心苦しさを感じつつ、桜木さんの誠意と心配りに感謝――感動していた。
そして、仕事のことを二つ、三つと話した後、とうとう「耐えられない」という表情で切り出してきた。
「もしも、困ったことがあるなら、相談に乗る…… これは社交辞令だとか、会社の先輩がって話じゃなくて、オレの意志としてだ、と思ってほしい」
桜木さんの真摯な目を見てしまったら、ダメだった。黙っているのは、もっと卑怯な気がした。
いや、私は、きっと誰かに打ち明けたかった、というよりも、桜木さんに話したかったんだと思う。
気が付いたら、ダイレクトな言葉を出していた。
「結婚、すると……約束しました」
「え?」
絶句、と言うのはこのことなんだろう。
桜木さんは何度も口を開いては閉じ、閉じては私の方に向かって言葉を出そうとして、声を出すのを失敗した。
そして、大きく一つ息を吸ってから、押し出すような声で言った。
「お相手を…… 聞いても良いかな?」
もう、決めたことだ。答えることへのためらいはなかった。
だけど、答えてしまえば、桜木さんも巻き込むことになりそうな気がして、私は返事をためらった。
その姿をどう思ったのかはわからない。
ただ、押し出すように、桜木さんは言葉を継いだ。
「いつもの彼?」
「はい」
視線を外した桜木さんは、何度も目を瞬かせてから、頭を下げた。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
不思議だった。どちらにも気持ちのこもってない、祝福と謝意の言葉だと思えたからだ。
でも、桜木さんは、そこでやめなかった。
「こんなのフェアじゃないって知っているけど」
「え?」
手に持ったままの資料を私の前に押しやってから、身を乗り出してきた。でも、目を上げなかった。
こんな風に迷っている桜木さんの顔を初めて見て、驚いていた。だから、とっさに次の言葉を予想し忘れていた。
「この間、女性がエントランスに迎えに来てた。知っていると思うけど、ヤツに女の身内はいない」
そうだよ。ママが「可愛い、可愛い」で育ててきた一人っ子だ。オマケに、迎えに来てた女性に、思いっきり心当たりがあります……
束の間、そんなことを考えてしまう私に、桜木さんは目を合わせてこない。
私の前に置いた資料をジッと見つめたまま、声だけが聞こえた。
「あの感じだと、たぶん…… 連絡が付かない日とか、あるんじゃないの?」
――最近増えている。
でも、それを言ってはダメ。私は黙って、机に目を落としたら、今度は、視線を顔に感じた。たぶん、私を見たまま、言葉を続けてくる。
「あいつが、ウチに入って以来、何人かと話があった。その子もたぶん関係が……」
「知ってます」
思わず、顔を上げたら、まともに視線がぶつかった。どっちも逸らさなかった。
「知ってるのか? それで、いいのか?」
「はい」
そこからの沈黙に、桜木さんは、キュッと唇を噛んでからポツリと言った。
「オレが口を出すことじゃないのはわかってる」
自嘲を含んでいるのだとわかる程度に、桜木さんの顔が歪んだ。
「だが、これは言わせてほしい」
「はい」
「結婚したら落ち着く、なんて都合のいい話は、あまりない。それに、いくらなんでも…… 君だって薄々わかってるはずだ」
「はい」
「影響がないわけがない。それも、わかってて決めた?」
私は、何も言わなかった――言えなかった、の方が近い。
桜木さんの言ったとおりだと思う。それに、私も完全に同意だ。
恐らく、幸人さんのそういう所は、ずっと変わらない。
だけど、ここで「それなら結婚をやめる」と言ってしまえば、全部が変わる。それを言ってしまえば、ここまで積み上げてきたものが全部、終わってしまうから――できない。
桜木さんが、真剣に私のことを気遣ってくれていることだけは伝わっている。なんで、私なんかのためにと思えるほどに、温かい心を感じた。
「……花村さんは」
低い声を絞り出すように、黙ったままの私を見て言った。
「もっと、自分の判断を信じてもいい人だと思う」
「ありがとうございます」
それしか、今の私には言いようがない。でも、こんなに真摯に、心配してくれる人に、通り一遍の感謝の言葉は、吐き出す方が心が痛かった。
「仕事もそうだし、人生だって」
人生、という言葉が、胸の奥に迫る。人生を大切にするためには、こうしないと、ダメと言うのが結論だった。
私は、視線を落としたまま、答えた。
「心配してくださって、ありがとうございます。でも……」
違う、違う、こんな言葉じゃない。桜木さんに返して良い言葉は、こんな言葉じゃない!
心が叫んでた。
でも、私は今、何かを言ってはダメなんだ。
そんな葛藤を、どう思ったんだろう? ふっと目を落とした、桜木さんは「ゴメン」と言った。
「え?」
なんで、謝るの?
パッと目を上げた桜木さんは、すぐに立ち上がって、言った。
「好きでした」
「え? あ、あの!」
そのまま、立ち去る桜木さん。
追いかけることができなかった。
ただ一つ。
桜木さんが置いていった資料を、どうしたらいいのか、そんな卑怯な心配をしている私がいた。




