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タイムカプセル  作者: 御霊ちゃん
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システムと西郷隆盛

 システムというと、理路整然としているゆえ、どこか機械的で、融通が効かない、型で押したような処理をする、そんなふうにイメージするが、だからそれが人に当てはめられた時、しっくりこない、違和感を感じる、大組織の中で人は居心地悪く感じる。自分の体の一部が痒いのに、掻けない・自分の手が届かない。自分の意思伝達で自分の体を動かせない、そんな機能不全を起こしている。マイナスイメージがつきまとうのである。それではシステムの本旨「理・利」が生かされていない、システムは合理・効率・利益を生むものであり理知であるはずである、本来益を生むものなのである。その本来よいものによって、人が不利益を感じるのなら、それを用いる人が「愚」なのである、道理(人の道)に外れた、間違った使い方をしているのである。システムとは本来人に仕えるものであり、人がそれに仕えるものとは違う、逆転している・思い違いしているのである。私は、あなた方の理念・理想とする新しい国造りに・近代国家建設事業には大賛成です、が、そのためにあなた方(の組織)が、弱者・不要となった者・自分たちに不要と思える者を切り捨てるようなことをするのなら、それは頂けません。それが西郷の主張である、近代統一国家という構想・その枠組み(システム)はすばらしいもの・賛成すべきものですが、そのよいものが人を切り捨てるなら、それを用いる人が愚かなのですーー西郷により新政府の人たちの顔・面目は潰れたのである。彼は古いシステム(武家制度)を崩壊させたが、そこにあった精神を捨てなかった、自分たちの培って来たものーー忠義・忠誠心、愛郷・愛国心、同胞愛、文武両道、質素倹約、自分たちが美徳として来たものーーに価値を見出していた。制度・システムというのは器である、古い器(武家制度という旧システム)は砕いても、その中身(その制度の中にあった人々)は大事に取っておかれ、新しい器に移し替えられるべきである。新しい器・新しいシステムのもとに始まる新しい社会、そこで生かされる・役に立つのが彼らだからである。器にひびが入ったので、器ごと中身も捨ててしまおう、それが君たちのやり方か、だったら君たちは愚かだ。大事なのは器ではなく中身の方だ。システム(組織)・社会が人を切り捨てるなら、既にそれは腐っている。君たちはもう出だしからつまづいている、器に腐敗の種を入れている。パン種(ふくらし粉・酵母)を入れたパンのようにその組織は膨らむ・膨張する(酵母は繁殖力が強い)が、パン種の入ったパンは腐敗しやすいーー腐敗が横行する大組織の種は既に仕込まれていたんですね。大財閥も政治家も、こんなところに遡って、その腐敗の種は仕込まれていた。西郷は、人が第一、システムはそこに仕えるべき道具(二義的なもの)である、としたのである。


(2020年追記)日本がどこへ進んで行くのか、西郷さんは見抜いていたんですね。先見の明とはこういうのを言うんでしょうね、人は自分の目の前にあることすら見えない、上手く処理できない、西郷さんが将来のことを危惧したって、馬耳東風だったでしょうね。国家、企業、組織の繁栄は、人・人材である、先見の明のある西郷さんは最初から言っていたんですよ、人を大事にし、人を育てる、それが国や企業の生き残りの道だ、って。子供たちが大事にされ、子供たちにふさわしい教育が施されること、私たちの命運はそこにかかっている。「欲に目が眩む」って言うでしょう、目の前の欲にしか目が行かない・目先のことしか見えない、盲人は多いんですよ。聖書には、盲人が盲人を手引きして、両者穴に落ち込む、って話があります。目を曇らせないで欲しい。

 

 武家政治に代わる新しいシステムを立てるということは、西郷にとって、それまで自身が身を置いてきた武家社会・封建制度を、自ら打ち壊すことであった。古いものを取り壊さずして、その上に新しいものを建てることは出来ないのである。彼の郷里・薩摩藩の武士たちはそれを知っていただろうか、理解できたであろうか。話が違うじゃないか、自分たちにとってもっとよい世の中が来るはずだったんじゃないかーー幕府が倒れるということは、自分たちの会社・自分たちの生活基盤・自分たちの根底が崩れるということであった、彼らはそのために出兵した・自ら働いたのである、矛盾のようであるが。つまり、自分たちの社会を自分たちの手で壊したのである、それが新しい国造り(の始まり)だったのである。彼らは、新しい国・もっとよい世の中の解釈を誤っていたのである。新しい国・もっとよい世の中を造るためには今自分たちの持っているもの(特権・武士という身分階層や刀、自分たちの領地など)を手放さなくてはならない、とは思っていなかったのである。西郷は彼らにそれを納得させなければならなかった。西郷には新政府・中央で官僚に居座ろうという野心はなかった。江戸城開場後に、自分の仕事はここまでと郷里の薩摩藩に引き揚げている。彼は郷里に帰っているところを呼び出されたのである。幕府が倒れたと言っても、地方では大名(殿様)が領地や領民を持って、自国を治めていた、地方はそれぞれが小さな国家のようで、言わば独立性・独自性のある地方自治を行っていたんですね。新しい政府は、それを一つにまとめて近代的な統一国家としよう、日本という一つの国として結束しよう、その方がまとまりがある・一つの国として足並みが揃う、そうすれば国としても強いだろう、中央集権化を進めたわけです。ここに新政府の下心が見えます、自国を強くしたい、他の進んだ国々と肩を並べたい。新政府は、殿様が持っている領地や人民を国のものとする「版籍奉還」や「藩」を廃止して「県」とする「廃藩置県」などの政策を打ち立てる。大名は大人しく土地を手放してくれますかね、「藩」というシステムの解体(藩の経済や軍事も国の管理下におこう)にうなづいてくれますかね。そこで新政府は郷里に帰っていた西郷を呼び出し、われわれ新政府の考えを藩主らに取り次いでくれないか、仲立ちを頼む、と言うわけです。西郷が薩摩の人々にも士族にも信望のある存在だ、と新政府の方々も認めていたのです。そして薩摩・西郷は他を圧する軍事力を持っていましたからね、西郷を抱え込むことで、新政府はその軍事力を盾にしたかったのでしょう。背広の紳士たちが、暴力団をお抱えに持つ、そんな構図もここに種があったのかもしれません。暴力団を背後に置いた彼らが差し出す、何だかよくわけの分からない契約書に殿様たちはサインをしてしまった、よく理解できないままに持ち物を巻き上げられてしまった、その後の士族の姿を見るに、不利な契約だったことは間違いない。自分がここまで労したものに対する報いがこれなのか、新政府に対する西郷の立腹も分かります。西郷は、自分に信望を置いてくれた士族にも、最後自分にできるやり方で報いよう・責任をとろうと思ったのでしょう。西郷が新政府に対して礼を尽くしたのとは裏腹に、新政府のやり方は悪い言い方をすれば詐欺まがい、どんな手段を使っても、無理を通してでも、改革を「断行」したかった。強引だったんですよ。相手に寄り添ったものじゃなかった。西郷がどのように最後まで民に寄り添ったか、新政府のしたことの穴埋めをしたのが西郷ですよ。士族の反乱と言いますけどね、リーダーが立ち上がってくれなかたら、彼らは報われなかった・救われなかったんです、反乱軍のリーダーたちは皆それを知っていたんですよ。彼らの花道は、負けの美学にあった。

 立場の違う者や、相反する二つものの間に立って「仲立ち・取次ぎ・取り持ち屋」をする、生涯に渡って、それが西郷の役どころであったろう。それは彼が中立、公正な立場から物事を見ることが出来たからである。彼は身内贔屓(びいき)ではなかったのである、相手に道理があると思えば、そちら側に立つことが出来たのである、私利ではなく公益、正しいとはそういうことである。彼は身内や上司を決して裏切らなかったが、交渉の相手が思うこと・考えていることを身内や上司に正しく伝え(彼自身が相手の意見をよく聞いたからである)、その上で進言することが出来た・それについての自分の意見を述べることが出来たのである。彼は相手に対し自分の考えや立場を明確にし、その上で交渉に当たった、相手を説得するだけでなく、自分が説得されることも多々であった、彼は相手を説得しよう、自分の側に引き入れようとするのではなく、相手の話をよく聞いたのである。彼が、坂本龍馬の説得で、それまで薩摩藩とは敵対関係にあった長州藩と同盟関係を結んだ「薩長連合」などもそうである。幕府により長州征伐の御触れが出されると、兵を出すにはお金がかかるし、どの藩も乗り気ではないようだ、それに四国艦隊との戦いで長州での攘夷派(外国人排斥)の力も弱まっていると聞く、上手くやれば戦わずに和平ができるかもしれない、と西郷は言っている。武力行使の前にはまずは話し合い、その仲立ち役・交渉役に奔走する。彼は武士であるから武器を持って戦うのが仕事であるが、武士とは、血を流すだけの無益な戦いをしないのである、血の犠牲に値する大義がなければ戦わない・大義(人がふみ行うべき最高の道義。特に、国家・君主に対して尽くすべき道)のためには命をかける、戦いは命がけである、その命を軽々しいものと引き換えることは出来ないのである。多くの命を犠牲にしても得なければならないものがある、それ以外に自分は自分の部下を戦場に連れて行くことは出来ない。人の命が奪われるばかりか、金もかかる、周辺諸国・「どの藩」も乗り気でないようだ。外国との戦いで圧倒的な力の差を見せつけられた長州は、外国と仲良くしその進んだ文明を取り入れようという向きにもあった、それは政策的にもわれわれ(薩摩藩)と同じ向きである、戦うよりは両者が協力し合い・強い薩長がリーダーとなり、外国にも攻め入られない強く新しい国造りを進める方が得策だろう。西郷は幕府から長州征討の参謀長に任ぜられている、上・幕府からの命が下ったからといって、それだけで何も考えずに長州に攻め込んだりはしない、長州征討そんな手柄を立てて上に取り入る・取り立ててもらう気もない。今外国に攻められるかもしれないと心配しているときに、身内・国内で戦いを起こして自国の国力を弱めても仕方ない、内輪もめ・兄弟争い(西郷の大きな視野から見ればそうなのである)では出兵する藩(の兵士たち)の士気も上がらないだろう、国を廃れさせるだけ・国の体力を奪うだけの、無益な戦いはお控えなさるがよろしいかと思いますが。仇が仇を生み、戦いが戦いを生むようになるだけです。和平・和睦の道がないわけでもないのですーー自分にきちんとした考えがあれば、上司に対しても進言できる、媚びへつらいなどしなくても、上からの信望も得て、おのず出世する。

 幕府から取り立てられていた・幕府のために働いていた西郷が、なぜ倒幕の主役・主導者になったのか、学校で歴史の上っ面を学んできた私には、『西郷さんは最後、裏切っちゃったのかな』分からない思いであった。幕府について働いていながら、倒幕に回る、維新の立役者・新政府の要人でありながら、最後はそれを敵に戦う、とにかく理解しがたかった。が、知れば、偽りのない、一番シンプル、分かりやすい人だったのである。人間は物事を難しく考えすぎる、邪念に囚われすぎている、物事はもっとシンプルだ、惑わされた考えをするな、西郷さんが教えてくれたことである。幕府衰退の原因は、内憂外患、国内に問題を抱え、開国など外国からも圧力をかけられる、幕府はそれにうまく対処できなかった。西郷さんの勤める大企業・親会社が幕府で、大企業の本社の社長が将軍、地方の支所・子会社の長が殿様、社員である西郷さんは疲弊した大企業、将来の見通しも暗いという会社を辞めて、ヘッドハンティングで遣り甲斐、将来性が共にありそうな新設会社に転職した、同じ志の者たちで新会社を立ち上げることにした。特に裏切ったわけではない。激変する社会の波の中で、身の振り方を考えなければならなかったのである。西郷さんは地方の下級役人の頃から、貧困で苦しむ農民から年貢を搾り賄賂まで取る腐敗した役人の腐敗や、組織の中の権力闘争、組織の中で我が身を守る上司の姿など見てきたのである。それを一新する機会が訪れれば、動くのである。大企業存続の道を模索し、力を尽くして来たが、トップにはその才覚がないし、どうやら立て直しの見込みはない、一生懸命働く者としては魅力のない会社だったのである、大企業もついに見切りをつけられたのである。ちょっと今風な言い方になりましたが。『武士の忠義心・忠誠心とはそのようなものだったのか』いや、西郷さんたちが忠義・忠誠を尽くしていたのは第一に「天皇(治める、つまりは)自分たちの国」だったのである。力の強い幕府が事実上国の政治を執っていましたが・幕府は政治の執行機関でしたが、地位としては将軍は士族の親分にすぎません、本来幕府・将軍の上にある権威が天皇です、天皇を立てずに国を動かせない・天皇の承認・許可を得なければならないことがあった。幕府の力が強いので、下からつついて承認を得ようとすることはあったのでしょうが。私が今まで当たり前のように思っていた天皇制ですが、それについて何かを考えようとしたこともなかったですが、日本に天皇が存在したことは、特別なこと、日本以外の外国から見ても特異なことだったんですね、天皇制についてここで述べるのは控えますが。天皇に忠義を尽くし、国を守りたい、国益・公益を行いたい、それが国民・下々の者が潤う方策だと思えば、それを損なうかもしれない組織や企業で働く意味を見出さない。自分の大義はどこにあるか、自分が第1にするものは何か、それを知っていれば、あっちに行ったりこっちに行ったりする必要がないのである。何を中心にものを考えるか、西郷はブレない視点でものを見ていたのである。自分と同じ理念・理想・ヴィジョンを持っていると知れば、そちらにつくのである。組織(幕府・大企業)や人(身内や自分にとって都合の良い人間、得になる人間)を見るわけではない、理念・志・行き先を見るのである。彼が実行力・推進力のある人間だったわけである。西郷さんは組織の中に身を置いていたが、絶えず自身をオブザーバーとしている、部外者の目で見ている、物事からちょっと離れた上空から見ることが出来た、両方のものが見える、全体がよく見える。全体・皆・公にとって何が一番良い策か、全体の中でどこか困っているところ・弱いところ・救済が必要なところがないか。西郷さんが何に・誰に忠義・忠誠を持って尽くしていたか自ずと見えてきますねーー「敬天愛人」。

 もう一方、そうして上から見ている存在があるんですよ。自分の思うように駒を動かそう、この駒は使える、この駒が上手く動かなければ、こっちの駒も動かせる。目障りになったこの駒を、こっちの駒を使って弾き出そう・潰そう。雑魚(ざこ)い駒も使いようだ、ちょっと餌を撒いてやれば寄ってくる。組織の中にどっぷり浸かっていれば、上には上がいるんだから、いつまでも操り人形、自分の思う仕事なんてできない・思い描くものなど実現できない。最後は捨てられる駒ですよ。ただはお払い箱にはしてくれませんからね、最後にそこの床拭いて行ってくれ・そこのゴミ拾って行ってくれ、不名誉や濡れ衣着せられるかも知れません、そのくらい朝飯前の悪党ですからね。皆分かっているから、それが怖くて、大人しい犬になるんでしょうね。自分が上から見たかったら、西郷さんみたいに、自分から離れて・私利を離れて、天の神様にはどう見えるのかな、天なる存在の望むところ・御心はなんであろう、と考えるでしょうね。自分のいる場所を変える勇気を持つことですよ。そこだけがあなたの居場所じゃありませんから、捨てる神あれば拾う神あり、っても言いますしね。自分の居心地の良い場所に行く、見つからなければ、仲間を見つけ自分たちで居心地のいい場所を作る、居心地のいい場所には人が集まってくる、反して上から眺めて駒の右往左往、踊らされる駒たちに笑いを禁じ得なかった大ボスの周りには誰もいなくなる。そうなるといいんだけどな。

 

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