お節介なおばさんと、説教するおじさん
父のリクエストは歴史もの、再び西郷さんに登場してもらおう。西郷さんは多分、日本人に人気のある英雄なのだと思う。西郷さんの板挟みは、システム(組織)と人情の間で板挟みとなる日本人の心情に合致するものだからである。独身の頃アメリカ旅行に行った時のことだが、あのホテルの最上階にあるレストランからの夜景は最高、ラスベガスの街のネオンサインが宝石箱のように見える、と聞き、行ったが、定休日なのか、時間外なのか、そのレストランは閉まっていた。するとそこにいた警備員の若い男・バイト生が、僕が鍵を持ってますから、ちょっと見るだけでしたら見せてあげましょう、と言った。日本人の若い女の子たちだったので、サービスしてしてあげようそんな気になったのかしらね。私はちょっと心配でもあった、バイト生の分際で勝手なことしていいのか、そんなことして何かあったら上司になんて言うんだ、勝手に鍵を開けてくれると言う気のいい若者に対してそんなふうに思った。けど、何て話の分かる人だ、ラッキーと思ったのも事実。また、日本とアメリカって国の違いを見たような気がした。システムの中で、自分の考えや権限なんて持たないのが日本人だものね。自分の判断で余計なことをして、何かあっても責任を取れない、リスク回避したい、規則さえ守っていればその辺り安全なのである、保身を考えるんですね。規則を盾にすれば、面倒なことには取り合わないですむ、規則だからクラス替えは出来ない、やりたかったら自分でどうこうやってみろ、女先生を一人保護者たちの前に立たせて、自分はどんな意見も述べず、どんな援護もしなかった、校長先生みたいである。校長先生はそんな面倒なクラス替えはしなくていいと思っていたのだろう。職員室の他の先生方も、そんな面倒には関わり合いたくなかったのであろう。皆が同じ方向を向く、大きいもの・力のあるものになびく。自分が弱者になったときに、やっと分かるのだろう。自分たちが今までいた社会、自分たちが作ってきた社会は、こんなにも助けのないものだったのか、誰もが自分都合のものだったのか、と。いつか自分にもそのお鉢が回ってくる、自分の力が衰えた老後なんかにそんな思いをしないといいですけど。なあ、時間に5分遅れたからって、受付の者はもう受付をしてくれないんだ、おれは、病院の前の公衆電話から救急車呼ぶぞ、そしたら見てくれるんだろう、って言ってやったよ、前に叔父が言っていた。暫くしたら、そんな人たちがたくさん現れて来たのだろう、「救急車をタクシー代わりに使わないで」なんてポスターを見るようになったから。規則通りの病院と、規則をかいくぐろうという患者、更には規則やシステムを悪用しようとする不届き者、規則や法律の治める社会で、罪悪は法の目をかい潜る。規則・法律と悪弊・犯罪はイタチごっこ・絶えない追いかけっこである。網の目は細かくなる一方であるが、それ・厳しい規則・法律によって、悪を追放することは出来ない、と証明がつくところである。この世界の根幹をなすものがそれ(法とシステム社会)であるが、人の根源・根本はそこにはない。法やシステムが治める社会は、我々が洗練された文明人であることの証である、そんな教育を受けて来ただけではないか、教育は人をそんな不埒なところに閉じ込めたのである。聖書に出てくる「善悪の知識の木の実」とは、そのようなものかもしれない。人間の根源・根本に合致するもの、人を満たすものは別の場所にあるんです。
(2020年追記) 法律って何のためにあると思いますか。人を大人しくさせて、統治しやすくするためです。人に善悪を考えさせないためです、法律違反は悪いことだ、それで済めば簡単・楽ちんなんですよ。だけど善悪というのはそんなに簡単なものじゃない、人に善悪の判断を委ねさせない、人をそのような幼稚にものに見ているんです・幼稚な群れとして扱いたいんです。人が本当に成熟して、善悪を知るようになれば、人を縛り無知に閉じ込める法律など無用になる、それがサタンの心配していることです。昔の日本人は善悪を知っていたんですよ。田中正造は、日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した政治家。直訴しようと天皇の馬車の前に飛び出した、捕らえられ処刑されてもおかしくない行為である、正造自身そんな覚悟を持っていたのである。政治家である彼はどうにかこの公害問題を取り上げてもらおうと以前から活動していたわけですが、システム・権威はそれを許さなかった・阻害していた、自分たちにとって都合が悪いからである(自分たちの組織・システムを守る、もっと言えば自分たちの利益・権益なんですけどね、いつも彼らにはそんな大義名分があるんです)。天皇への直訴は彼にとっての最後の手段だったんですね。彼は自分の利害を無視して、死をも覚悟で、弱い者たちの側に立った。大塩平八郎、彼も、体制側の人間・自分は宮仕して俸給をもらう安泰な身分・官僚でしたが、飢饉に際し餓死者が出る現状を目の当たりに、弱者のために奔走します。やはり権威・体制は弱者に対して無慈悲であり、彼も最後の手段は、反乱・暴動となってしまった。罪人としての無残な結末を迎える。彼は優秀な役人で、陽明学者でもあった、罪人としての無残な末路を迎える必要もなかったのです、我が身我が家のことだけを考えれば。西郷さんにも相通じますが、彼ら元々はお上に忠義を尽くしていた・忠誠心を持っていた、その彼らがお上に楯突く、謀反者、反逆者になってしまう、システム社会の不埒さが証明されるであろう、それは今も昔も変わらない。古の民は彼らを罪人とだけしておかなかったのである、その名を記憶に留めたのである、日本人は負けの美学を知っていたのである。弱者の味方である、権威あるもの・大きなものに屈しない、負けを承知で大きなものに挑む、惨めな負け・悲劇的要素、ヒーローの要素はそこにあったのかも知れませんね。古来の日本人は、法律や体制・権威にあるものが善悪じゃない、と知っていたんですね。法を犯した反逆者は皆法によって処罰を受けたが、甘んじてそれを受けた、法によって罰せられることを潔しとした、そうして自分が法に従う者・法を尊重するものであることを証したが、愛や正義や真実や公正を求める、本当の自分自身はその法によっては裁かれない、と知っていた。不完全な法律や不完全な体制の外に自分を置くことで、自分自身が真に完全な者であることを証したのである。不完全な法や不完全な権威・システムが自分を治めるものではない、と証したのである。人が十分にシステム社会に取り込まれた現代では、お上に楯突く、システムに挑みをかける、レジスタンス、謀反者、反逆者もなくなったのではないか。いや、そんなこともあるまい、日々一人一人皆戦っているし(そんな内面の葛藤を抱えていると思うんです)、中には本当に必死に戦っている人だっている。だから西郷さんに人気が集まるんですよ。やっぱり幕末という時代は劇的舞台なんですよ。今時代のこの劇的変換期に望んで、私たちには歴史から学ぶべきところがあるのではないかと思います。
政府はまたも教育改革を行うようですが、父は教育がいかなるものであるべきか、日本政府とは別に、ガイダンスを与えたいと。歴史を学ぶとということは、「西郷隆盛、征韓論」じゃないんだ。大学受験ともなれば、そんな歴史の用語集をヤギみたいにムシャムシャ食べて。そんな紙屑うまくもあるまい。西郷隆盛ひとりを語るだけで、どれだけのものが見えてくるか、歴史上の重要人物は星の数ほどいる、そこにどれだけの知恵があるか、開いてみたことがあるか。星の数ほどあるものを、人名や出身地など覚えても仕方あるまい。自分が興味を抱いた人物を選んで、それについて調べ、深く知り、深く考え、情報や自分の考えをまとめあげたレーポートを作成、発表し合う。小さい子供のうちからそんなことをさせてみろ。グループで課題を決めて、みんなで、などというのはまだ早い。合わない意見をこすり合わせたような、中庸的な、表面仲良しの意見しか育たない。本当にこうしたいと思っていた子の意欲は削がれるし、もともと積極的な意見を持たなかった子は怠けた追随者の地位に甘んじる。まずは個人、個人が責任を持って、自分の発表をする。そうして個々人の力が十分身につけば、グループで取り組む大プロジェクトもいいだろうが、ずっと先の話だ。小学校、中学校、高校、それぞれの卒業の時にでもやらせてみたらいい。本番は卒業後、社会に出てからだ。個として十分に訓練された者・個の能力が高い者たちが集まれば最強集団としてのよい仕事も出来る、自分がどのプロジェクトに参加したいか・適しているか・貢献できるか、能力を磨いて来た者ならば自分の適所を正しく選べるはずだ。個としての能力も開発されていない、適材適所に置かれてもいない、そんな集団は烏合の衆、互いの足を引っ張り合う、自分が十分に用いらていない・自分の力が発揮されていると思えないから、他人を妬ましく思ったり、蹴落としたりする、仕事以外のことに関心がいき過ぎている、自分の仕事にもっと情熱を持て、情熱の持てる仕事を見つけられるような・自分の才能を知り開花させられるような、そんな教育が子供たちに施されるべきである。個としての自分の意見や才・実績・実体験に自信があれば、互いにどんな意見も言い合えるし、積極的な議論ができる。他人を上手く評価することもできるようになる。まずは自分の意見を余すことなく言い、そのための個人の発表だ、小学校の低学年から取り組んでいい、自分の発表のみならず、人の発表を聞く機会も多くなるのだから、違った見方や考え方に対する耐性もついてくる。情報や意見を人に分かりやすく伝える技能、日本語が上手く使えない子供たちが多い実情で言葉使いや文章の書き方の学びにもなるであろう、コミュニケーション能力が備わる。自分はこんなことをして来て、こんなことを知っていて、こんなことに詳しく、こんなことが出来、こんなことが得意で、と言えるようになれば、それは自分で自分を評価できる・自分に自信が持てることになるし、人からの評価も得られるようになる。互いを評価し、ふさわしい・リスペクト出来る、是非ともチームを組んで自分(の知識や才能、技術や経験)だけではできない大仕事に望みたい、個の活動からグループ活動へ、自然そんな流れ・方向になると思う。まずは子供の頃から、主体性のあるしっかりした個を育むことが大事である。現代人は個人主義だと言われるが、学校で皆仲良く足並み揃えてが押し付けられて来たことの反動ではないか、あれは仲良しごっこだった、その中での友達付き合いもうざったい、いじめにしたって、喧嘩することもいじめに取られてしまうのでとにかくぶつかり合いはご遠慮だ、表面波風たてるなよ、見えづらいところは見て見ぬ振りしろよ、不信感いっぱいの人間付き合いを強いられて来たのである、親も先生もはっきりした答えを示してくれない、うやむやに慣れている。その辺り、ある意味妙に大人っぽい、当たらず障らず、なのである、我が家の末っ子を見て思う次第。「世の中そうなんだから仕方ない」流れに逆らって泳いで体力消耗するのも馬鹿げてる、そうして50年余り生きて来た私の、息子・娘たちがこんな姿になるのも当たり前だったのかな。
「余計なこと言ったり、余計なお節介焼いたりしなくていいよ、私には関係ない、彼女は自分でどうにかするんだから」
そんな調子なんだよね、頼まれもしないことするのは失礼・礼儀に反する、余計なことして恨まれでもしたら大変だ、遊ぶときは楽しく遊んでいるんだからそれでいいんだよ、それ以外の変なところに関わり合わない方がいい、私は私、彼女は彼女。悩みのあるような顔してたら誰も楽しくないんだよ、いつも笑ってないと、いつも楽しそうな彼女たちだけれど・・・。
世の中で見なくなったものは、お節介なおばさんと、説教するおじさんだ。分かり切ったような話を得々とするんだよね。私、小説書くつもりが、お節介にも押し聞かせする、おばさんになってない? 父は説教するおじさんだ。分かり切ったことを言う人がいなくなったので、この分かり切ったことを知らない子供たちが増えた、常識が崩壊した、社会の中にあった共通認識がなくなった、人とどう接していいのか、分からない時代、そのよそよそしさが礼儀になった時代なのだろう。お節介なおばさんと、説教するおじさん、彼らにも担っていた役割があったのですね。やかましがられるような、煙たがられるような、嫌な役を引き受けてくれていたんですね。今回、その嫌な役のお鉢は私に回って来た。私にこんなことを言った友達もいたね、
「歩美ちゃん、そんなこと言っちゃだめじゃない」
「どうして?」
私はその頃、若く考えなしだったからね。
「どうしてって、本当は心の中でみんなそう思ってるのよ。だけどそれを口に出しては誰も言わないの」
彼女はそう言った。そう、私の話はそのくらい当たり前で、退屈だ。こんなつまんない話聞かせてどうするんだろう、そんなこと呟かずに、小説(?)の投稿も、ブログも、お客が一人でもいるうちは続けよう、決意しました。これまでの「見ざる、聞かざる、言わざる」人生の償いとして。
話も長くなったので、歴史物、西郷隆盛(続編)、父が私に書かせた下手なレポートは次回ですね。




