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タイムカプセル  作者: 御霊ちゃん
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12/16

縦の糸と横の糸

 「トレセン」のチームが試合をするとなると、近くに力の比するチームがないわけだから、彼らは遠征に行かなければならない。国内は勿論、翔も韓国、貫太などフランスまで行っている、その費用は誰が出しているのか? お金のことだけに聞きづらい・聞いたことがないが、親はかなり大変であろう。地元には成功した実業家や、サッカー少年たちのために少しなりともカンパをしたいというサッカー愛好家たちがいるはずである、サッカーに限らずとも地域ぐるみで人材育成をしていってはどうか。自分たちの地域からどんな逸材・秀才・著名人が出た、自分たちの地域が育て、送り出した人材である、それは地域の知名度ともなる、地域の活性化ともなる、自分の故郷を愛し誇りに思う「愛郷心」ともなる、失われた「地域性」の回復ともなる、「地域」というそれぞれ特色や個性のあるチームができ、チームワークが育つのではないか。優れた人材を多く生む、送り出す地域、そんな環境の整えられた地域、その地のグランドコンディションを誇るものとなるであろう。各地域がそれを競い、優秀な人材を次々に世に送り出して行く、そんな構想である。地域性の回復ーー私たちが小学校の頃は、運動会の種目に、紅白対抗リレーの外に、「地区対抗リレー」というのがあった、子供はさることながら、地区のお父さんお母さんが競って走っていた、のを思い出した。そんなところから見ても、地域性は失われているのだ。自分たちの地域・身近なところから、例えばサッカー選手が出れば、うちの三軒先のあの息子が活躍しているとなれば、おじいちゃんだってプロサッカーを見るだろう。おじいちゃんは今まで興味を持たなかったようなものに興味を持って、楽しみができるかもしれない。隣のあの子がテレビで歌っている、おばあちゃんは若者の歌番組を見て、それを歌うかもしれない。今のサッカーグランドの賑わいはそれなのである、自分の息子がやっている、家族は興味を持つのである。息子たちのサッカーは、プロサッカーより親しみやすく、面白いのである。サッカー入門」「サッカーの手引き」のように、サッカーを知らない者にサッカーを紐解いてくれる、その楽しさを教えてくれる、私自身そうであった。そのうちもっと高度な試合を見たい、テレビでプロサッカーがやっていれば、見るようになるのである。


(2020年追記) 父は、人がどんな方向に進んでいくのか、知っていたんですね。身近な大人が子供たちに積極的に関わることで、その日々の生活の中で子供が大人から自然に物事を学んで行く、そんな場面が減った、大人と子供との間に隔たりができたーー大人は大人で仕事に忙しく、子供は子供で学校や塾のような専門的なところで学ぶ、大人と子供の接する時間や機会が激減した、子供は子供だけで集められまたは集まり、自分たちの勉強や楽しみに勤しみ、大人が首を突っ込むことや自分たちの世界を覗かれることを疎ましく思う、子供たちは自分たちで好きなことやってるのがよくなっちゃったんですよ、大人や大人の世界には無関心、どちらかというと覗きたくない、係わり合いたくない、お年寄りとなど話してみようとも思わない。疎ましいというよりは、戸惑いを感じちゃうんでしょうね、どう接したらいいのか分からない、相手が透明なバリアを張っているようで踏み込めない、ある意味人の顔色を見れる・無理なわがままを言わないってところでは大人なんだろうけど、自分たちの未熟な知識・経験でどうにか処理しちゃおう、大人が気づかない・大人に気づかれない処理の仕方をしている向きもあるーーそれが賢明なことなのか心配である。彼らの中の不文律や暗黙の了解、私たちは皆こうしている、そこに浸っているうち安全なのだ。子供の世界だけではなく、大人の世界にも、どこの世界にも不文律はある、子供たちは自分たちのルールが通用しない世界を恐れている、居心地の悪いものだと思う、大人も子供も同じルールで動いていた、両者に共通認識があった時代は、子供はもっと大人の近く(物理的距離ではない)にいた。大人が子供にルール(などと固いものではなくマナーと言うべきか)を教えることをやめたので、ルールやマナーの違う場所では寛げない、我が家と違うテーブルマナーだと思えば高級レストランでの食事も躊躇(ためら)われる、大勢で押し掛ければルールもマナーもなくなるだろう、そうしてオレたちがルールになればいい、うるさい年寄りなんか追い出すのは簡単だ。今は年長者が年少者に媚びへつらう時代ですよ、大人が子供のルールを認めてしまうんです。うちの可愛い娘がそう言うんだからそれが通らない世の中はおかしい、学校に文句を言いに行こう、学校の先生にどうにか自分の娘の肩を持ってもらい、教室を自分の娘にとって居心地のいいものにしてもらおう。学校の先生も骨がない・信念がないと言うか、サービス業のお客様クレームを受ける窓口みたいな対応をしますよ。先生も何が真実なのか、何が正しいことなのか、自分の目で見て、自分の考えで実行するってことに怯えている、自分の見る目や考えに自信がないから、なんだか知らない不文律や空気のようなものに支配され、流されてしまう。ルールにあるのは冷淡さだがマナーにあるのは温もりや親和だ、マナーとは相手に不快な思いをさせないための気配りや思いやりだ、食事の仕方や会話など、その場にふさわしい振る舞いができることで、それは相手への配慮や思いやりから出ている。相手が仲間外れにならないような会話を選ぶとか、時にはナイフとフォークを捨てて相手と同じく手掴みで食べるとか、気まずい思いをしている相手を救うユーモアだとか、上品さや決まった形式がマナーなのではない。子供たちはマナーを学ぶ機会がなかったから、不本意にもルールに従うしかなかった。マニュアル通りのきちんとした挨拶はできますが、それ以上のことはできませんよ、相手と会話を楽しむ、コミュニケーションをとるなんてことは厄介なんです。ルールは洗練された人・人の外面を取り繕いますが、彼ら早くこの窮屈なスーツを脱ぎたい、仕事だから仕方ないからいい顔するか、退屈な会話だななど、考えてるのは自分のことだけで、相手のことになんてまるで関心がありませんよ。それが彼らが学んだこと、教えられてきたことですよ。そんな世界の中で、私たちは自分たちが居心地の悪い、嫌な思いをするのは当たり前です。

 家で大人の中にいるばかりでなく、外で同じ年齢の子たちと学んだり遊んだりするのはいいことだ、集団行動も学べる、学校は子供たちにとっていいところのはずだったんです。子供は子供だけで集められまたは集まり、自分たちの勉強や楽しみに勤しみ、と先ほど言いましたけどね、それも仕事で忙しい大人都合になってきた、生まれて数ヶ月の乳飲み子が保育園に預けられる、何も知らないままに集団の中に放り込まれる、子供にとっては災難以外の何者ものでもない。わがままいっぱい、自由に子供時代を育った私は、そう思ってしまうんでしょうね。裏の家の幼児は、朝まだ目も開かないうちに・半分寝ぼけたままにチャイルドシートにくくりつけられ、手にご飯茶碗を持たせられる、そうして出勤する母親と共に家を出る。保育園までの車の中で食べるのがその幼児の朝ごはんである。あったかいストーブの前で、のんびり好きなだけ時間をかけて朝ごはんを食べていたのが私であるから。朝ごはんの後はテレビ見て、お絵描き、着せ替え人形、リカちゃんハウス、嫌なことなんて何にもしないで過ごしていた。だから5歳くらいでようやく保育園に入った時には、カルチャーショックでしたよ、嫌いな給食を強要されて吐いちゃう子がいたり、活発で人のおもちゃを取っちゃう子がいたり、活発だけど親切で仲間に入るように誘ってくれる子がいたり。そんなカルチャーショックがないように、何も分からない早いうちに保育園入れちゃう方が子供にはいいのよ、そうかな、カルチャーショックも成長の過程、必要なものだと思うけど。うちの子供たちは皆、最初は幼稚園が嫌だと泣きましたけどね、始めはやっぱりストレスのかかる場だったんでしょうね。私の従姉妹(いとこ)も1歳の息子を預けて職場復帰しましたが、今は保育園にビデオカメラが設置されていて、携帯からリアルタイムで子供がどうしてるか見られるんだって、口も聞けない幼子が保育士にいじめられでもしたら大変だからね。だけどそんな心配までして子供を預けなくちゃならないなんて、そうして共働きしないと生活が成り立たないって言うんだから、どんな社会になっちゃったんだろう。子育ての期間中だけでも女性が働かなくていい社会にしてもらいたいものだ、似非フェミニストたちは女性を国の生産力を上げるために利用しているだけだ、そんなこと思うのは私だけだろうか。子供の教育・成長の場であるはずが、今や大人にとって都合のよいものになった。一番の皺寄せは、一番の弱者・子供たちに来ているのではないか。どうしてこんなこと言うかというと、子供を五人育てて、長男と三男の歳の差は8才、長男と末娘(次女)の年の差は11才、子供の質や姿が変わって来たんだよね、たったこの10年の間で。こんな姿の子供たちはこの国の歴史上かつて今までいなかったのではないか。私たちもかつては「新人類」なんて呼ばれて、理解し難い、ジェネレーション・ギャップだ、なんて言われたものだけれど、私も年をとったのかな、子供たちをこんな渋い目で見るなんて。子供たちは私にとって甘いスイーツのはずだったんだけど、ケーキの箱を落としたみたいにグダグダな子供たちだ。

 大人と子供・世代間の関係という縦の糸が切れている、ご近所・「地域」という横の糸が切れている。父が「地域」ってキーワードを出したのは、明治維新で日本が中央集権国家になる前は、それぞれの地方に殿様がいて、言わば地方自治を行っていた。地方色豊かで、郷土愛が育まれる土壌があった。父はまた歴史の話をしたいのよ。「西郷隆盛、征韓論」そんなのを答えてまるがもらえる・試験に合格する、そんな歴史の授業を父は愚・つまらなく思っているのよ。大学受験をする高校生が忘れて行った日本史の参考書を見たけど、どれだけの人名やその他固有名詞を覚えなければいけないのか、『こんなの全部覚えてたら、頭良くなるどころか、頭悪くなるんじゃない』心密かに思っちゃいましたよ。予備校の先生はどうやったら試験にパスするか・望みの大学に合格するかっていうテクニックをたくさん教えてくれるけど、それを教えるのが先生なら、なんか虚しい。答えのある問題を上手に解くテクニックを学んでるんだ、くだらない詰め込みだ、そんなに簡単に答えを教えてはダメだ、答えのない問題の答えを探す、その探究心と粘り強さ、それが勉強するってことだ、と父は言う。次回はどうやら歴史物になりそですね。古きに逆戻りしろってことではなくて、昔のことをたずね求めて、そこから新しい見地・見識を見出す、「温故知新」。様々な思想や体制が出揃い、あらゆるのものが具象化し、人類史という人の経験値を手に入れ、それら全てから答えを導き出す時が来たのだ。



第8部「われわれ」書き直しました。一番大事な部分なのに適当すぎだ、と父からのクレームがついたので。だって、あれをうまく説明するのは難しい。

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