グランド・コンディション
日本は「サッカー大国」となり、誰もがサッカーを楽しむ、子供たちの習い事はサッカーだし、週末には我が子の試合を観に来る家族連れでグランドが賑わう。長男の頃は、2学年集めて1チーム作っていたのが、次男の時代には1学年で2チームも3チームも作れるまでになった。こんなに人数が増えてくれば、なかなか試合に出してもらえない子も多数出て来る。うちの妹の子は四年生、うちの次男(三年生)と同じ大会に行っていたが、1日3試合、そのうち出れたのは1試合のハーフ(12分)だけ。この大会で、我がクラブはAチームとBチームの2チームが出ていたが、四年生の母親たちが問題提起したように、Bチームのメンバーは三年生、Aチームのメンバーは四年生なのであるが、選ばれた子しか来ていない三年生と違って、全員が来ている四年生は人数が多くて試合の前・後半で選手の入れ替えがえる。
「三年生より四年生の方が出番が少ないなんて、なんかおかしくない?」
駐車場の立て札は「四年生大会」となっていたが、コーチは優秀な三年生により活躍の場を与えてみたかったのだろう。そしてまた、四年生チームの前・後半の選手の入れ替えであるが、コーチは前半に強い選手を出すことにした。その結果により・その様子を見てーー例えば前半大量得点で勝ちが見えた時、あるいは前半ボロ負けで負けが見えた時、つまり勝敗が決まったような場合に後半のチームを出した。勝てるかも知れない試合の勝ちをみすみす逃すわけには行かない、そんな場合は後半チームの出番はなかった。そんなわけで、妹の子は、朝から夕方まで一日中あの場にいて、たった12分(1試合の半分)試合に出ただけである。そんなのが毎回続けば、僕たちにとってあの場所はサッカーなんてやれる状態ではない、サッカーなんてやりたくもない、彼らはそう呟かないだろうか。息子を応援・後押しする母親だって、母と息子は一心同体、同じような体感をするであろう。長男の親たちはいい意味でそれを体感した、あたかも自分自身がフィールドに立っているようである。うちの妹はそのうち、ここは自分たちの活躍の場ではない、息子を連れ去るのではないかと心配である。先駆者たちが一粒も無駄に出来ないと思った種であったが、種が増え広がった結果、それが無駄にされることも出て来た。芽を出す間もなく、害虫に食われたり鳥に啄まれてしまう、育たないのである。お父さんはサッカーをやってたけど、あれは面白いぞ、お前もやってみろ、そんなサッカー愛好家の子供たちがサッカーをやっていた、そうして種が増えて来た、それが長男たちの時代。今後は、お父さんもサッカーはやったことあったけど、お前はサッカーでなく別のスポーツをやった方がいいんじゃないか、父は子にそう言うかも知れない。農夫は、まだ芽を出したばかり、そんな弱い芽を気遣って、守り、育ててやらなければならない。農夫は、よく育ちそうな強い芽だけを間引いて広いグランド(畑・フィールド)に持って行くが、出来の悪そうなのは放っておく、それではサッカー大国も尻つぼみなのである。国が末広がりになるには、やはり種の多さなのである。君たちは今日選ばれてここに来ています、サッカーはある意味実力勝負です、コーチは言ったのだが、国・組織というのは強い者だけで成り立つものではない。うちの母が以前にこんなことを言っていた、ほかの人が自分と同じだけ出来ないからって、苛々したり、責めたりしてはだめよ、みんなが自分と同じくらい出来たら、自分は社長じゃいられなくなっちゃうんんだからね。社員あっての社長、臣民あっての王様、国民あっての国、下々の者たちのありがたみが分かるでしょう。この畑じゃ芽が出ない、とやめて行く子が多くなれば、クラブの指導者・運営者の俸給も出なくなる、ってことにもなるんだから。父兄たちの話は月謝のことにも言い及び、同じ月謝払ってるのに・・・。今のところ父兄たちは、まあ(ここはよそより)月謝安いからいいけど、月謝が安い分多めに見てます、と言ってくれていますが。そんな彼らがやめてしまえば、残りの者たちの月謝だって値上がりするだろう。
次男の同級生の母親と話をする、
「春希くんはサッカー上手だよね。うちの拓海は・・・」。
次男のグランドに行くんで私が下の子たちのおやつを準備していると、三男が
「拓海くんの弟が来るかも知れないから、その分も持って行ってね」
と言った。持ってくけど、拓海くんの弟は来ないかもよ、拓海くん今日は試合に出ないかも知れないから、私は言った。やっはり、拓海くんは「選ばれた子たち」の中には入らなかったらしく、拓海くんの家族は来ていなかった。先回冬にあった練習試合のとき、拓海くんは来ていた、三年生の初めての練習試合で三年生の全員が来ていた。拓海、昨日の夜なんか、「どうすっかな、ぼく行かないとだめなの」って言うのよ、拓海くんの母が言った。うちの春希などは試合って言うと楽しみで仕方ない、まるで反対なのだ。その辺りからもう違うのよね、拓海くんの母は言う。試合中も、「ああ、拓海遠慮しちゃうんだ。みんな集まって来るから、ほかの人のボールだと思って」と拓海くんの母は言う。サッカーが上手い下手の以前に、性格がある。拓海くんは優しく、大人しい性格なのだ。
妹の子たちもそう。例えば、近所に野球の上手いお兄ちゃんがいる、キャッチボールをした時のことだ。妹の家の次男は、お兄ちゃん相手してよ、おれお兄ちゃん以外とはやりたくない、ほかの子供たちもみんな上手いお兄ちゃんとやりたいはずであるが、彼は順番を無視しても、お兄ちゃんを独占したいと言う。一方の長男は、私が「賄哉、今度はお兄ちゃんとやってみたら、朋哉はさっきからずっとやってるから」と私が言うと、「おれはいい。おれとやるとお兄ちゃんつまんないから」と、下手な自分とやるお兄ちゃんが気の毒だ、という遠慮があるのである。弟の朋哉は、自分が下手だから上手なお兄ちゃん相手でないと続かない、お兄ちゃん以外とやりたくないのである。弟と違って、兄は気遣いの出来る、優しい性格である。そんな優しい性格が、自分が上手くなるチャンスを逃している。「春希、やれば、使っていいよ」自分のグローブでも何でも気持ちよく貸してくれるのも兄である。このボールやりにくい、おれそっちがいい、そっちでないとやだよ、そんなことを言うのが弟である。見ていれば、キャッチボールなど、賄哉も朋哉も共に下手くそである、ただ弟の朋哉には遠慮してやらない賄哉より上手くなるチャンスがあるのである。拓海くんと春希、春希はすごく上手くなる素質・才能がある、けれど、拓海くんにチャンスが与えられれば、拓海くんはすごく上手にはならなくても、「十分」上手くなるのである。それはうちの長男たちを見て、よく分かることである。うちの長男たち(輝も、晃太も、秀俊も)は、今時代ここに置かれたら、多分ずっとベンチである。私は次男のチームの俊也のことを言ったが、剣ちゃんはどんな試合でもハットトリックなんて決められなかった、俊也は剣ちゃんよりもずっと上手なのである、と言うことで、剣ちゃんもベンチである。キーパーの駿も出だしで見れば、下級生の舜一郎に負けている、優秀キーパーに選ばれたことなどない。「汐菊メンバー」は全員ベンチである、はずであったが、今彼らは「ドリーム・チーム」の一員として立派に活躍している。彼らを大事に育て、彼らに場を与えてくれた方々のお陰である。彼らは良い地に植えられたのである、グランドコンディションが良かったので、良いものとして育ったのである。植物がその生育を環境により左右されるように、人も環境が作り上げるものと思う。私は拓海くんの母に、「大丈夫よ。うちの長男たちだってそうだったんだから。続けて行けば大丈夫」と冬の試合で言ったが、それから半年後、それが安易な考え・発言であったと思うのだった。かつてと今、グランドコンディションがまるで違うことに気づいた。長男と次男、年の差はたった六つである、時の潮流は凄まじく早く、激しいのである。まさに「激動の時代」である。しっかりとしたものにつかまっていなければ、押し流されてしまう。
サッカー畑にいる者たちがこのことを知らないわけではない。「日産カップ」でも、どのクラブチームもがAチーム、Bチーム、更にはCチームと出しているところを見れば、彼らは子供たちにフィールド・活躍の場を与えたい、多くの子供たちを試合に出させてやりたい、と思っているのである。だけど、この四つ切りフィールドは進化したサッカー少年たちには手狭である。いっそのこと、少年サッカーチームも一軍、二軍、メジャーリーグ、マイナーリーグに分けて、それぞれ試合・大会をしたらどうだ、グランドももう少し広く使えるだろう。二軍選手の活躍の場も広がるだろう、とそれも一つの手だろう。そのために企業はもっとバックアップしてくれ、メディチ家(豪商)のバックアップでルネサンスの文化・芸能は花開いたのだから。
(2020年追記) やっぱり景色は気づかぬ間にすっかり変わっている、大企業にだってそんな優雅さ・懐の深さ(懐の温かさ、つまり懐具合ですかね)はない。私が若い独身の頃は、職場に仕事のできない人が一人くらいいても、会社は黙って面倒を見ていた、そんな部分を抱えるのも社会貢献の一部だくらいの鷹揚さで。私も大した仕事も与えられずに呑気に事務員などやっていた。今企業は自分のところの社員に給料を払うのも難しく、リストラしますものね、余分に一人抱えておく余裕なんてありませんよ。障害のある人を雇うと雇い主に補助金が出るとか、障害者の方に広く働く機会を与えるよい方策なんだけど、母子家庭の母親を雇うと補助金が出るとか、国の様々な方策があるけど、本当に理想的な社会は、そのような負の部分を自然に受け入れる・抱える、罰則や補助金などという法律や規則がなくても、と思う。表面ソフィスティケート(洗練)された社会は、善の心が育つ社会というよりは、全てがお金で換算される社会に移行してきた、そんな気がする。誰も損を引き受けたくない社会。
私よく仕事で法務局に行きましたけど、
「お茶の時間だから、一緒にお茶飲んで行ったら」
なんて言われて、仕事中によく茶飲みをしてましたよ、優雅でした。役所の人間は市民の税金を使って大した仕事もせずに茶飲みをしている、そんなのが指されて、今では見なくなった光景ですがね。みんなが一生懸命仕事するようになって、会社のお茶の時間もなくなったのか、長らく専業主婦していた私が社会に出てみると景色が一変していた、上司に「お茶を入れましょか?」と言うと、「自分で入れますから」と戸惑ったような返事がき、女性社員にお茶を入れさせるものセクハラとなるのかもしれない、などと思った。お茶の時間がなくなった分、人の行儀は悪くなったのではないか、自分で好きな時に好きなものを飲み食いする、パソコンの画面を見ながらジュースなどを飲む、パソコン教室に通い感じたことだが、若い方たちは皆パソコンの画面を見ながら食事をしていた。一つのことだけしていたのでは時間がもったいない、そんな若い方たちの価値観を育てたものは、やはり社会が効率主義に傾いたためではないか、彼らは寝食削って活動している・働いている・勉強しているのか、処理しきれない情報の処理に追われているのか、日本はいつからこんなコマネズミ社会になったのだろう、違った世の中・見慣れない景色を見た私は、色々と考えてしまうのでした。知らなくちゃならないこと、やらなくちゃならないことは、実はほんの少し、それだけ知れば・やればいい、年取った、と言うか人生経験を積んだ私は思っている。その大事なほんの少しを知らされずに・情報入手できずに、無駄とも言える膨大な情報処理をさせられているのが、哀れな子供たちか。
若い時のレストランでのアルバイトも、お昼時の忙しさが過ぎると、食堂のおばちゃんがバイト生たちにパフェを作って食べることを許してくれた。忙しい時はすごく忙しいんだから、暇な時は少し息抜きしなさいよ、パフェ作っていいよ、って。そんな休憩中に社長が入ってきても特に問題なかった、一緒にみんなでおしゃべりするくらいだった。今は忙しい時間が過ぎると、「はいもういいよ、早く上がって(タイムカード押して)」ってバイト生たちは帰されてしまう、タイムカードも分刻みだからのんびり居残ってなどいられない。何か飲み食べしたかったら、表から入って自分でお金払って食べて行ってね、と無情だ。価格競争を生き抜く大きな外食チェーン店など皆そのようなのだろう。若いバイト生などが、店の風評も考えずにおかしな動画を出したり、雑な接客をしたり、店がが逆襲に合うのも分からないでもない、自分の仕事や職場を愛する、彼らはとてもそんな気になれないのだろう。弱者は切り捨てられる一方、搾り取られる一方、アルバイトなんていう社会に出た一歩から、彼らは知ってしまう・感じてしまうのだ。
バイトの学生にだって、恵方巻やクリスマスケーキのノルマがあったりする。どうしてそんなに営業しなくちゃ売れないものを、そんなに作るのか。本当によいものを作れば、大した営業をしなくても売れるだろう、殊日本人はよいものを作る職人だったではないか、大量に作り大量に売りさばく商人ばかりの世の中になってしまった、職人は割りに合わない。物は豊富でも誰も買わない、安くても買わない、そんなものを量産してどうするのだろう、資源も電源も労働力も無駄遣いだ。多く売れるから多く作るんじゃなくて、多く売りたいから多く作る、無理無理押し売りするしかない、セールスマンも病みますよ。セールスマン以外の違った部署で働く社員もそれを負わされるんでしょう、本業に身が入らない・専念できないではないか。
「売らないと、ボーナス減るから」
大手製薬会社の薬剤師の息子が何を売ると言うのか、健康器具か? その手の営業のない仕事と思って職業選ばせたつもりが、医者相手の薬の売り込みはいくら給料高くてもやめた方がいいよと店舗勤務を勧めたが、それでもやっぱりあるのか、
「大手じゃなくて、小さいところにしたら」
と彼の妹がアドバイス。大きいから小さいへ、今後そうなるかもしれませんね。私も最近、地元の小さな店を見直した件がいくつかあって、話すとまた時間を取るので、今はやめときます。
大企業も今や危うい、日本の社会自体にネコ1っ匹飼う余裕がないのだと思う。節約することと心に余裕を持つことは違う・別次元のことなのだ、節約と勤労は本来心にゆとりを与えるものなのだが、今は違っているのだろう、そう言うのを「世知辛い」と言うのか。このような素養にルネサンスは花開きませんよね。
(2008年少年たちに戻ります)
少年サッカーの一軍、二軍の能力別編成ですがね、これもどうだろう。少年サッカーチームのAチーム、Bチームというのも、実質、能力別編成の向きであるが。植田中サッカー部という我が「ドリームチーム」の誕生を見ると、個性、才能が入り乱れているのである、能力にしても彼らは均一でない。よい選手を集めた次男のチームは、どこか気が抜けている。「春希、もっと走れ」私が言いたくなるくらい、それも彼らの敗因であろう。チームの中に弱い部分を抱えると言うのは、チームの強みなのである、弱い部分は強い部分と共に引き上げられ、強い部分はさらに自身の強さを発揮できる・見せつけられるようになる、どちらの選手も自分のベストを尽くせるのである、それがドリームチームである。次男のチームには気の緩みがある、気合が入っていない、狭いフィールドの中で彼らの気の挫かれるようなプレーが連発である。おれがかっこいいとこ見せようと思ったのに、それが適わない、彼らの心であろう。気の抜けた炭酸水、本来弾けるように刺激的であるはずの彼らから、気が抜けている、見ていて気まずいのである、母親たちの声援にそれが反映される。「日産カップ」最後の試合が始まる前、大洋の母が、どの子が誰か、チームのみんなの名前を聞いていた、私もそばに行って教えてもらった。大洋の母は、「これで名前を呼んで応援できるね」と言ったが。が、試合中誰も声を出さなかった。大洋にボールは回らず、名前を呼ぶとすれば、春希か俊也、それ以外に出て来ないのである。勝ち試合であったが、何となく面白くない。試合後の感想を母たちで言い合う、そんなことはとても出来なかった、私はただその場を離れた。息子が活躍すれば嬉しいはずなのに、そうでなかった。長男と違って活発な次男、これでは次男の時は私は左団扇で観戦か、なんて思ってたけど違ってた。息子が活躍しない、長男の試合の方が、面白いのである。炭酸水のように甘く刺激的、「弾ける美味さ(上手さ)」(生ビールのコマーシャルにあったんじゃないか)なのである。喉越しよく、爽快なのは、長男のチームなのである。これで真夏の暑さも凌げるな(夏の大会は母たちの化粧も剥げ落ちるとか)、と思った。「ドリームチーム」が私の机上の空論でない、ということが証明されるのは、君たちの快進撃にかかっているのだよ。
貫太(植中エース)がどんなに活躍しても、負けてしまった「新人戦」、貫太は悔しい思いをするのである。自分はこんなに上手いのに、ほかがだめだから、それがチームプレー、貫太は学ぶのである、チームプレーのいかなるものかを。それが学べなければ、彼は社会に出て上手く行かないのである。下手なみんなと一緒に頂点に立ったから、貫太は嬉しいのである、貫太はまた学ぶのである。下手だと思ったみんなが自分を次のステージに連れて行ってくれた(怪我の貫太はベンチに座っていた)、サッカーも、人生も、そのようである、貫太は学ぶのである。仲間、チームメイトとは何と素晴らしいものであろう、学ぶのである。長男のチームと次男のチームを見比べながら、少年サッカーとは何ぞや、その担うべき役割とは、私は考えるのである。彼らを追いかけていく中で、最後に、答えにたどり着くだろう。きっと、彼らが答えを出してくれるはず。
貫太と翔は、「トレセン」という「選ばれた子たち」の練習にも参加している。そのチームで試合に出ることもある。そんな二重の枠組みがあることはよいことだろう、サッカー畑の方々の模索であろう、彼らも「子供たちによりよいものを」と考えて下さっているのだと分かる。上手い子は、やはり上手い子同士で磨き合い、そうして自身の才能をどんどん伸ばしていくべきである、「トレセン」はそんな場であろう。彼らは中学校の部活動で「同じ屋根の下の者同士、放課後サッカー」をし、「トレセン」で才能のある者同士の競い合い、磨き合いをする。両方の場で、それぞれ別のものを学べるであろう。素晴らしいサッカー選手が生まれるだろう。どんなフィールド(分野)でも、まずは人間性なのである、確かな人間性の育成が望まれる、それが少年サッカーに望まれるものであることは間違いない。遠慮しちゃう晃太くんは、相手を肩で突く晃太になった。人を肘で押し退ける(先を争って人の前に出ようとする)剣ちゃんは、自分のポジションでチャンスが来るのをじっと待つ剣人になった。彼らはいずれも、「サッカー」というスポーツを通してそうなったのである。始めはそうじゃなかったけど、みんなそうなったのだ、そのように育った・育てられた。そんな環境を後世代・子孫に残してやりたいものである。
中体連の応援席で、「植中がんばれー」と大声。私は思わず振り向いて見た、声の主は女子体育の先生であった、彼女も私も顔を見合わせて笑った。彼女は今年の三月で植中を最後に定年退職を迎えたが、植中サッカー部準決勝、決勝そんな場に応援に来たのだった。私は以前に彼女に、先生、私のこと覚えていますか?と聞いた、私も彼女の教え子だった。彼女は、覚えている、と答えた。先生まるで変わりませんね、あの頃と同じ若さを保ってますよ、頭がパッパラパーだからだよ、そんな会話をしたのだ。私が、もう一人、私のことを覚えたますか?と聞いた人がいた。中学校時代の教頭先生がうちの実家の前の土建会社に定年退職後就職していた、彼は、覚えていない、と答えた。何年度の卒業生だい、と聞かれ、私が答えると、ははー、あの学年にはあんなのがいたろう、こんなのがいたろう、と名前を出した。みんな悪い者たちばかりだろう、おれが覚えているのは警察にお世話になったような生徒たちだよ、あんたは優等生だったな、だからおれは覚えていないんだよ、と彼は言った。女子体育の先生が私を覚えているのは、きっと、私が「出来ない子」だったからだ、バレーボールをやるなんて言うと、どうしてあんなふうに脚開いてボール受けなくちゃならないの、やだよ(母は以前はお上品だったんだよ)。ドッチボールでもないのにボールが来ると逃げていた。隣に活発な子がいると、彼女はやる気満々、自分がやって外しちゃうより、彼女にやってもらった方がいいよね、と思ってしまう、だから私は遠慮しちゃう子の気持ちが分かる。だけどね、これはバレーボールの話、バレーボールのコートは狭いから、隣の子にやってもらえる。それが私が、彼らは「サッカー」を通してそう「なった」って言ったわけ。サッカーのグランドは広い、いくら雅也(華麗なるディフェンダー)が必死で走ったて間に合わないくらい広い、そんな時、晃太は一人で戦わなければならない、自分のポジションは自分で守らなくてはならない・自分以外に守る者がいない、晃太はもとは人と肩が触れることも苦手だった、その晃太が自分から相手に体当たりする、チームの大切なボールを守るためである。その場には自分以外にいないのである、自分だけが頼りである、晃太は体当たりするようになる、それができるようになるのである。相手フォワードがボールを持って走って来る、晃太は迎え撃つ、ゴール前1対1の場面、晃太は脚を開き体勢を落とし、両腕も斜め下に開く、左右にフットワーク、そうして視界を遮り阻止しつつ、自分がボールをカットするタイミングを計る、これは雅也のスタイルである、晃太は同じことをやっている、秀俊もやる、皆が雅也の上手いやり方を学んだのである。晃太は本来自分が出来ないことをやるようになった、上手いやり方を学ぶことも出来た、優勝チームのディフェンダーにふさわしく「十分に」上手くなったのである。公式戦というプレッシャーのある舞台に立つことで、晃太は自信と貫禄を持ったプレーをするようになった。私は最初広いグランドに立つ晃太を見て、『晃太、このプレッシャーの中で戦うのか』と心配したのである。晃太がこんなに強い精神力を持っているとは知らなかった、スポーツはやはり体だけでなく、精神をも鍛えるものだったのだ。私は遠慮しちゃう拓海くんにも、こんな経験をしてもらいたいと、願うのだった。いつも試合の勝敗が決まったようなゲームにしか出してもらえない妹の子・賄哉にも、こんな緊張感や責任感の中で戦って欲しかった。彼らにそんな場が与えられれば、彼らは成るのである。彼らはそのように引き上げられるべきである。自信と気持ち良い成功体験、長男たちはラッキーだった。
女子体育の先生は、何の時だったか二年生の父兄が体育館に集まったときに、話をした。私は今一つ校長先生に頼んでいることがあるんです、この二年生が三年生になるときクラス替えをして欲しい、と言うのは、不登校の生徒、学校に来ても自分のクラスに入れない子たちがいるからです、その子たちは私と一緒に別の教室で勉強しています、私はその子たちをもう一度クラスの中に入れてやりたいんです、みんなと一緒に中学校生活を送らせてやりたい、そのためにもう一度シャッフルして下さい・クラス替えして下さい、校長先生に頼んでいるわけです、本来なら二年生から三年生はクラス替えがありません、ですから校長先生は保護者の方々の意見を聞いて、と仰いました(ここにもシステムがあるんだよね)、私はこの三月に定年退職します、クラスに入れないその子たちのことを思うと、このまま去って行けない気持ちです、と涙ながらに訴えた。父兄の方は、たった何人かのために、うちの子は上手くいっているし、このまま仲良し組で行けたらいいよね、今のクラスは雰囲気いいんだよね、まとまりあるし、クラス替えなんかしてもそういう子はそういう子でまた同じになっちゃうんじゃない、そんなひそひそ声、女先生の涙にも白けた様子。結局クラス替えはされずに、三年生になった。そう言えば、出来ない私はこの女先生に結構かわいがられていた気がする、教頭先生が「おれが覚えているのはな」と嬉しそうに話すのも厄介者たち、女先生も、教頭先生も、野中氏も、なんか似てるんだよね。出来ない者がかわいい、弱者を大事にする、少数の者を切り捨てない、だけどそんな彼らはこぞって現役を退いていく。教育現場は今後、グランド・コンディション悪化の一途をたどっていくのだろうか。
(2020年追記) あれから12年、言わずもがな・・・




