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第9話 侵入者

ズン……。


重い足音が廊下の奥から響いた。医療室にいた全員の動きが止まる。


「今の音は……」


若い局員が青ざめた声を漏らす。


ズン……。


再び床が震えた。まるで巨大な何かが、ゆっくりとこちらへ近づいてくるようだった。空気が重く、呼吸がしづらい。


「ありえない」ユイが立ち上がる。「地下二階は封鎖中のはず」


短髪の監視局員も険しい表情になる。「警備班は何をしている」


その瞬間――。


ドゴォォン!!


建物全体が揺れ、天井の照明が軋んだ。廊下の先で爆発音が響き、警報がさらに激しく鳴り響く。


『警告、警告。封鎖区域より高濃度魔力反応を確認。職員は直ちに退避してください』


「くそっ!」局員が通信機に怒鳴る。「現場状況を報告しろ!」


しかし返答はない。ザー……という雑音だけが虚しく響いた。


レンの背中を嫌な汗が伝う。胸の奥がざわつき、心臓が早鐘を打つ。レッドオーガと戦った時とは違う。理由もなく、本能が警鐘を鳴らしていた。


――ここにいてはいけない。


近づいてくる“何か”は、自分が今まで見てきた魔物とは別格だ。


その時――。


ドクン。


召喚書が反応した。


《ユニーク個体接近》

《脅威判定:高》

《カード化推奨対象》


(カード化……?)


レッドオーガの時と同じだ。倒した瞬間にカード化できた。ならば今回も――。


だが、相手は推定C級。今の自分が勝てる相手ではない。


「レン」ユイの声で我に返る。「絶対にここから動かないで」


「ですが……」


「いいから!」


珍しく強い口調だった。普段は冷静な彼女が焦っている。それだけ状況が危険なのだ。


ユイは腰の短剣を抜き、監視局員たちも武器を構える。


「対象を確認する」「生存者の救助を優先だ」


全員が医療室を出ようとした――その瞬間。


ガン!!


扉の向こうで何かがぶつかる音がした。全員が硬直する。


ガン!!

ガン!!


扉が大きく揺れ、金属が悲鳴を上げる。分厚い鋼鉄製の扉が、外側から押し潰されるようにへこんでいく。


「おい……」局員の顔から血の気が引いた。「あの扉は対魔物仕様だぞ……」


本来ならD級魔物程度では破壊できない。それが今、紙細工のように変形している。


ガン!!

さらに大きくへこむ。蝶番が悲鳴を上げた。


そして――。


ドゴォォォォン!!


扉が吹き飛んだ。金属片が室内へ降り注ぎ、レンは咄嗟に腕で顔を庇う。


舞い上がる煙。その向こうから、巨大な影が姿を現した。


二メートルを超える体躯。黒い外殻。四本の腕。赤く輝く単眼。


まるで昆虫と人間を無理やり融合させたような異形だった。


誰も言葉を発しない。いや、発することができなかった。存在そのものが異様で、まるで周囲の空気まで支配しているような圧迫感があった。


レンの呼吸が浅くなる。心臓が嫌なほど早鐘を打つ。


その魔物は静かに室内を見回し――単眼がレンを捉えた。


ゾクリ。全身に悪寒が走る。獲物を見つけた捕食者の目だった。


召喚書に黒い文字が浮かぶ。


《個体名:ジェノアビートル》

《ランク:推定C》

《ユニーク個体》


(C級……!?)


レッドオーガより上。新人探索者が遭遇していい相手ではない。まして医療室という狭い空間では、逃げ場すらない。


「総員戦闘態勢!!」


監視局員が叫んだ瞬間――。


ジェノアビートルが消えた。いや、速すぎて見えなかった。


ドン!!


局員の一人が壁へ叩きつけられる。「がっ……!」骨が折れる嫌な音。男はそのまま動かなくなった。


一撃。たった一撃だった。


「速い!」ユイが飛び出し、短剣を振るう。


キィィィン!!

刃が外殻に弾かれた。傷一つ付かない。


「硬い……!」


ジェノアビートルの腕が振り下ろされる。ユイは辛うじて回避。床が砕け、コンクリートが粉々に散った。破片がレンの頬をかすめる。


ただ避けただけでこの威力。まともに受ければ即死だ。


「撤退だ!」局員が叫ぶ。


だが遅い。ジェノアビートルが進路を塞ぎ、出口が完全に封鎖される。逃げ場がない。絶望的だった。


単眼が再びレンを捉える。まるで最初から狙いが決まっているように。


《適合対象を確認》

《捕食行動を開始します》


(適合対象……俺?)


なぜ自分なのか分からない。だが、確実に狙われている。


ジェノアビートルがレンへ向かって踏み出す。


ユイが割って入る。「させない!」


短剣が閃く。しかし外殻を削るだけ。逆に腕の一撃で吹き飛ばされる。


「ユイ!!」


壁へ叩きつけられたユイの身体が床へ崩れ落ちる。動かない。返事もない。


レンの頭が真っ白になった。ほんの少し前まで普通に話していた。自分を助けてくれた相手だった。そのユイが倒れている。


周囲を見る。局員も負傷。誰も立ち上がれない。戦える者がいない。


逃げたい。怖い。足が震える。今すぐこの場から逃げ出したい。


だが――。


誰かが戦わなければ全員死ぬ。


その瞬間。


召喚書が眩く光った。


《条件達成》

《新規召喚枠解放》

《召喚可能数:2》


「え……?」


レンの前に黒い魔法陣が浮かぶ。ページが勝手に開かれ、レッドオーガのカードが現れる。


さらに、空白だった二枚目の枠が光り始めた。


《緊急召喚を実行しますか?》


ジェノアビートルは目前まで迫っている。時間はない。


逃げるか。戦うか。


答えは決まっていた。


レンは震える手で召喚書を握りしめる。恐怖で足は震えている。それでも目だけは逸らさなかった。


「俺は……」


誰にも聞こえないほど小さく呟く。


そして叫んだ。


「召喚!!」


黒い魔法陣が医療室全体を包み込んだ。


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