第8話 終焉の聖女エリシア
黒い雲が空を覆っていた。
第七世界の空はすでに正常な色を失い、まるで終末そのものが降りてきたかのようだった。
その中心に立つ少女――エリシア。
銀色の髪を風になびかせ、静かに佇むその姿は美しく、そして恐ろしくもあった。
かつてレオンが愛した女性。
今は終焉神ネメシス直属の第一眷属。
誰よりも強く、誰よりも危険な存在。
ユイは目を丸くしたままレオンを見る。
「ちょ、ちょっと待って! 元恋人って本当なの!」
「今それ聞くか?」
レオンが呆れた顔をする。
だがエリシアはくすりと笑った。
「本当よ。昔はね。この人、意外と優しかったんだから」
レンは少し想像してみる。
村人達と笑っていた若い頃のレオン――確かに不可能ではない。
今のひねくれたレオンからは想像しにくいが。
「余計な話は終わりだ」
レオンが剣を構えた瞬間、空気が変わった。
エリシアの笑みが消える。
赤い瞳が静かに細められる。
「そうね。今は敵同士だもの」
轟ッ――!!
凄まじい魔力が放出された。
空間そのものが悲鳴を上げ、周囲の終焉眷属達が吹き飛ぶほどの圧力。
ユイの顔が青ざめる。
「な、何よこの魔力……!」
レオンと同格。
いや、一部ではそれ以上。
レンは直感した。
――この女は危険だ。
エリシアは黒い剣を出現させる。
刀身には無数の呪文が刻まれ、見るだけで精神が揺らぐ禍々しさ。
「来なさい、管理者」
視線がレンへ向いた瞬間――姿が消えた。
「っ!?」
レンの反応速度を超えていた。
視界から完全に消失。
そして――背後。
ガギィィン!!
咄嗟に振り向いた黒竜王剣が衝突する。
凄まじい衝撃で、レンの身体が数百メートル吹き飛んだ。
「レン!」
ユイが叫ぶ。
だがレンは空中で体勢を立て直し、着地した地面が陥没する。
強い。
アザト=ゼルより速い。
エリシアは空中に浮かんだまま微笑んでいた。
「なるほど。管理者になったばかりにしては悪くないわ」
「だが余裕だな」
レンが剣を構えると、エリシアは首を傾げる。
「だって本気じゃないもの」
その瞬間――。
巨大な黒い翼が六枚、背中から生えた。
空が闇に覆われる。
世界が震える。
レオンが目を見開く。
「その姿は……」
エリシアは静かに言う。
「ネメシス様から授かった力。終焉天使形態」
ユイが顔を引きつらせる。
「名前からして絶対強いじゃない!」
その言葉が終わる前に、エリシアが剣を振った。
黒い斬撃。
たった一撃。
遠方の山脈が――消滅した。
爆発ではない。
存在そのものが消された。
レンは寒気を覚える。
ネメシスと同じ力。
終焉の権能。
レオンが前へ出た。
「レン。こいつは俺がやる」
「だが――」
「時間がない」
管理端末には残酷な数字が表示され続けている。
【全世界消滅まで】
【67時間18分】
刻一刻と時間が失われていた。
「お前達は創世領域へ向かえ。俺が足止めする」
レンは迷う。
レオン一人を残すのか。
だがレオンは鼻で笑った。
「心配するな。元恋人との話し合いだ」
エリシアが冷たく言う。
「殺し合いの間違いでしょう?」
「似たようなものだ」
レオンは肩をすくめる。
そのやり取りを見て、レンは小さく息を吐いた。
「……死ぬなよ」
レオンが笑う。
「それはこっちの台詞だ」
次の瞬間、レン達の足元に転移陣が展開された。
創世領域へのゲート。
レオンが最後に言う。
「創世神に会え。そして答えを聞け。俺が知りたかった答えを」
光が弾ける。
レン。
ユイ。
ヴァルゼル。
三人の姿が消えた。
残されたのはレオンとエリシア。
そして静寂。
エリシアが小さく笑う。
「二人きりね。何千年ぶりだろう」
レオンは黒い空を見上げる。
「そうだな。最悪の再会だ」
エリシアの瞳が揺れた。
ほんの一瞬だけ、昔の感情が戻る。
だがすぐに消える。
「私はネメシス様に救われた。だから従う。世界が終わっても構わない」
レオンは眉をひそめる。
「本気で言っているのか」
「本気よ」
エリシアは微笑む。
その笑顔が逆に悲しかった。
「だって世界は何度も私達を裏切った。違う?」
レオンは答えない。
答えられなかった。
彼自身も同じ絶望を味わったからだ。
しかし。
「だからといって全部壊していい理由にはならない」
エリシアは静かに剣を構える。
「やっぱり変わらないね、レオン」
空気が張り詰める。
そして――二人が同時に踏み込んだ。
轟音。
空が割れる。
世界最強クラス同士の激突。
その戦いが始まる。
***
一方。
レン達は光の回廊を進んでいた。
無限に続く白い空間――世界と世界の狭間。
ユイが辺りを見回す。
「ここが創世領域への道?」
ヴァルゼルが頷く。
「普通の存在では辿り着けん場所だ」
その時だった。
前方に巨大な扉が現れる。
果てが見えないほど巨大な黄金の門。
まるで神話の入り口。
管理端末が反応する。
【創世領域到達】
【最終封印確認】
【開門権限不足】
レンが顔をしかめる。
「またか……」
しかし次の瞬間。
門の向こうから声が聞こえた。
低く。
静かで。
どこか懐かしい声。
『来たか』
レン達が息を呑む。
門がひとりでに開き始める。
轟音。
眩い光。
そして――門の奥に立つ人影。
長い銀髪。
白い衣。
黄金の瞳。
見た目は若い青年。
だが放つ存在感はネメシスに匹敵していた。
世界の法則そのものが人の姿を取ったかのような圧力。
レンは理解する。
この存在こそ――創世神。
全ての世界を創った者。
そしてレオンが最も憎み続けた存在。
創世神は静かにレン達を見つめる。
そして――驚くべき言葉を口にした。
『レオンは来ていないのか』
レンは目を見開く。
創世神の表情には、わずかな寂しさが浮かんでいた――。




