その40「おしまいの街①星の海へようこそ」
目がさめると、街灯の光が目に飛び込んで来た。背中が痛い。起き上がると、俺は路上にいた。さっきまでの列車はどこにもなくなっていた。遠くに煌々と輝く摩天楼が見えた。
パトカーのけたたましい音。痛む身体をさすりながら、俺は起き上がった。携帯を見ると、時刻は深夜1時を回っていた。
眠っていたのか、俺は。何か夢を見ていた気がする。列車……そうだ、列車に乗っていた。
と、そこまで考えて俺はふと思った。もう終電がない時間だ。舌打ちをする。タクシーか、ネカフェか。どちらにせよ憂鬱だった。
少し歩くと、橋のあたりにちょっとした人だかりができていた。普段の俺なら素通りしていたはずだ。気にはなったが、聞くほどじゃない。それでも、嫌な胸のざわつきを抑えられず、俺は近くにいた男に声をかけた。
「何かあったんですか」
「さっきここで、男が水に落ちたんだ」
「あっ、目を覚ましましたね!」
気がつくと、幼女が俺を覗き込んでいた。俺は気動車の客室にいた。幼女ガイドがにこやかな顔で窓の外を示した。変な動悸がした。
「じゃあん! 海ですよ、海!」
窓の外は一面の海原だった。反対側の窓を見ると、こちらも見渡す限り海だった。気動車は、本当に海の上を走っていた。
「夢でも見ているみたいだ」
先ほど見た夢の中の光景が、まだ鮮烈に残っていた。どちらが夢なのか、自信がなくなってしまうほどに。
いつの間にか滲んでいた汗を、冷たい手が拭った。
「すごい汗だよ」
クオンだった。
「ああ。いや、なんでもない。……本当に海の上を走れたんだな」
「当然です! 気動車ですから」
幼女ガイドが言う。この子は気動車に夢を見過ぎなのではないだろうか。今さらだが。
「……おはようございます」
ボックスに櫻宮薫子が入って来た。おはよう、と返した気がする。自信はない。
「長かった旅も、もうそろそろおしまいです。もうすぐ着きますよ。それでは引き続きよい旅を! ぼんぼやーじゅ」
気動車にあるまじき速度が出ているのだろう。海の彼方、水平線にそれは現れた。海上都市。増築と改築を繰り返したらしい異形の船、洋上の城、そういうものが忽然と存在していたのだ。
「あそこに、人の生き残りがいるのか?」
「長かった旅も、もうそろそろおしまいです。もうすぐ着きますよ。それでは引き続きよい旅を! ぼんぼやーじゅ」
「あの……」
「長かった旅も、もうそろそろおしまいです。もうすぐ着きますよ。それでは引き続きよい旅を! ぼんぼやーじゅ」
洋上のプラットフォームに列車が着岸した。幼女ガイドが外まで見送りに来てくれた。
「次の駅は『重力井戸の底』です! しゅっぱつ、しんこー!」
列車はどこか彼方へ去っていった。
プラットフォームの奥はそのまま鬱蒼としたビルの樹林へと続いている。向こうの方から、背の高い女性が歩いて来た。俺たちの姿を認めると、しとやかに笑った。
「ようこそ、『星の海』へ!」
ビルの樹林の入り口にゲートがあって、そこにくすんだ白色の看板が掲げられていた。『星の海』。それがこの海上都市の名前のようだ。
「まずは伺ってもよろしいでしょうか。皆様は……『最後の世代』よりも、お若いですよねっ?」
長身の女が言った。
「『最後の世代』……?」
「この異変が起きる前……最後に生まれた人類のことですよっ」
「いや、違うと思うな……俺と彼女はずっとコールドスリープだったんだ。その世代じゃないと思う」
「コールドスリープ! そこから目覚めたと! そうなのですね!」
女がにわかに目を輝かせた。
「おほん、失礼、取り乱しました。さっそくですが、管理局までご同行願えますか」
「役所……ですか?」
俺たちは目配せした。クオンが不安げに俺を見た。
「あいにく……身分証明できるようなものは何も……」
「あはは、必要ありませんよ、そういうものは」
女は笑って、きびすをかえした。すたすたと歩き始めてしまった。
少し歩いて、俺たちに手招きをした。
「どうする……?」
「ここに滞在するなら……ついていくしかない、のでは?」
「そもそもとして、3次大戦以前の情報自体、失われて久しいのですねー」
からりと女が言った。
「だから戸籍なんてものはとうの昔に効力がないんです。だからといって無名の人間ばかりかかえているわけにもいけませんから……便宜上の通名などの情報を私たちで……都市管理局で預かっていると、そういうわけです」
俺たちが歩く道は、ゆったりと揺れる浮き橋のような道だった。路肩に船がいくつも浮かんでいて、船の上には小さなビルが互いを支え合うように立っていた。
「申し遅れましたね。私は都市管理局の渚です。皆さんと同じ元日本人ですよ。このあたりには元日本人も多いですから、安心してくださいね」
「元……?」
「ああ……もうないんです、日本。ただまあ島国らしいといいますか何と言いますか、だいたい元日本人は元日本人で固まっていますねー」
俺は辺りを見回した。日本人が多いというが、日本人どころか街には人っ子一人いやしなかった。
「さあ、着きましたよ。さあさ中へ」
船の中でもとりわけ大きい船が何艘か合わさって、小高いビルを支えていた。4、5階はあるのだろうか。もっとも、上の方は窓が欠落しているなど明らかに使われている痕跡がなかった。
「帰りましたよ」
「あ、おかえりぃ、灯ちゃん」
茶髪くせ毛で背の低い女性が、がらりとしたカウンターに座っていた。
「あらぁ、お客さん? 珍しいわね」
「転居者ですよっ。皆さん、こちら同じ都市管理局の春日です」
「あらぁ、ようこそぉ」
「もう一人いるはずなんですけどねー。今ちょっといないのかな? まあ手続きを開始しましょうか」
「こころちゃんならぁ、仕事に行ったよぉ」
「ああ、仕事に。さあ、手続きをはじめしょう」
渚と名乗った女性はカウンターの向こう側に回り込んだ。俺たちをその前に手招きする。
「あの、そのこころさんは何の仕事を? 見た所人口も少ないようでしたけど」
櫻宮薫子が訪ねた。
渚と春日が顔を見合わせた。
「……隠しても、しょうがないですかね」
渚が言う。
「つまりはまあ……社会福祉、ですよ。さきほども伝えました通り、私たちの主な仕事というのは『誰が住んでいるのか』を把握することなんですね。つまり『誰が生きているのか』を私たちは知っていたいわけです。ですから……」




