その39「幼女鉄道の夜」
「部屋割りを決めるよ!」
日がすっかり落ちた頃、クオンが言った。寝台部屋などはないため、座椅子をソファーのように利用して寝ることになったのである。
「2ボックスに別れよう! 櫻宮先生と幼女ガイドさんのボックス、私とトキワくんのボックスでどう?」
「待ってください! そこは普通男性と女性で別れるのでは?! トキワさんと幼女ガイド! 私とクオンさん!」
「やだよ! それぜったいちょっかい出してくる気でしょう?!」
「出しませんよ! 私の目を見てください! これが嘘をついている目に見えますか?!」
クオンが櫻宮薫子の目をじっと見つめる。とたんに息を荒げ始める薫子。
「やだ……そんな見つめないでください……はぁはぁ……」
「で、なんで最終的にこうなるんだ?」
俺の対面の席に、櫻宮薫子がいた。
「しかたありません。クオンたんには信用されなかったですし、クオンたん以外の幼女と二人きりの空間は怖いですし……」
さりげなくクオンの呼び方が『クオンたん』に変わっているのを俺は聞き逃さなかった。
薫子がおもむろに白衣を脱ぎ始めた。
「何はじめてんだ?!」
「これじゃ眠れないじゃないですか」
「別のボックスで着替えてくればいいだろ!」
慌てて窓の外に目をそらす。満天の星が目に入った。
「はい、もういいですよ」
「お…………おおう?!」
向き直ると、全裸の女がそこに座っていた。局所を隠しもしていなかった。
「は? いや……は?!」
適切なコメントを失ってしまった。青ざめてまた窓の外に目をそらす。
何が起きているんだ? ターゲットをクオンから俺に変えた?! 薫子のターゲットは人間の幼女……つまり俺は幼女だったのか?!
頭が正常に働いていないのが自分でもわかった。
「例のコンテストで……水に溶ける水着を下に着用していたのですが(27話参照)……脱ぐタイミングがないまま騒動に巻き込まれまして、水に潜って……今にいたるわけです」
着ていたな、そういえばそんなものを。
「と、遠い昔の話に聞こえるな。服着てくれ」
「……そうですね。つまらないからそうしましょう……」
車輪の音にまじって音が聞こえてくる。考えるな……何も考えるな……。
「トキワさんは、人の集落に行ってどうするつもりですか?」
「……わからない。でもトゥインクルと約束した。何かしら……できることを探すつもりだよ。櫻宮先生は……」
見ると、全裸のままだった。物憂げに窓の外を見ていた。油断した。慌てて目をそらし直す。
「服着てくれ! 頼むから!」
「私はまだ……どうしたらいいのかわからないんです」
「その格好で真面目な話は無理があるだろ?!」
「私! さっきから大真面目ですよ!」
俺の肩を掴んで、強引に薫子が振り向かせた。
「……コンテストの日の続きですよ、これは。ちゃんと私を見てください、聞いてください。私は……トキワさんの人間らしいところが見たいんです……トキワさんの欲望を……じっくりと見たい……」
「……見て……見てどうするんだ?! 見るとどうなるんだ?!」
「トキワさんのこと、好きになれます」
「今は……違うのか」
「そういうの、意地悪っていうんですよ」
俺の肩に触れていた手が、ゆっくりと頬に上がってくる。月明かりに、薫子の肢体が白く浮かび上がっていた。
綺麗だった。怖いくらいに。
「……キスしても、いいですか」
俺はゆっくりと、だが明確に、頭を振った。
「ダメですか……?」
「櫻宮先生、俺だって……人間だし、これでも男なんだ。今キスしたら……それだけじゃすまないことくらい、俺でもわかる」
「……私はそれでも」
「ダメだ! わかってるだろ?! もしそれで妊娠でもしたら……君の腹に宿るのは、君の子じゃない。俺の子でもない。人間の子供じゃないんだ!」
薫子がうつむいた。力なく、自席に戻った。
「……そういうの……意地悪っていうんですよ」
いたたまれず、俺は立ち上がった。
「クオンの様子……見てくる」
「……勝手にしてください。この部屋にいたくないだけでしょう?」
その通りだった。俺は無言で部屋を出た。
車両の後ろの方へ、静かに歩いて行く。行きがけ、ちらりとクオンのいるボックスを見た。幼女がたくさん押し寄せて寝ていて、姿が見えなかった。
デッキは外にあった。扉を出ると、クオンがいた。手すりにもたれかかっていた。
「さっきはお楽しみだったね」
「聞いてたのか」
「途中までね」
俺も手すりにもたれかかった。車両の明かりに照らされた線路が、夜の奥へと消えて行く。あるいは、見えなくなった線路は本当に消えて行っているのかもしれない。そんな風にも思えた。
「別にどうにもなってないよ。逃げてきてしまったから」
「……そうなんだ」
「逃げてばっかりだ、俺は」
思えば、最初からそうだったのかもしれない。故郷から都会に逃げ、何の目標もない人生から重労働に逃避し、それすらも立ち行かなくなると、今度は人生から逃げ出そうとした。
さっきだってそうだ。逃げ出したくてたまらなくなってしまった。だから衝動的に逃げてしまった。薫子のためでも何でもない。
「私もだよ。大切なことを伝えなかった。トキワくんに言いにくかったからじゃない。トキワくんのことはずっと信用してた。私が……向かい合いたくなかっただけなんだ。それにまだ……」
クオンが俺の顔を見上げた。そのまま空を見上げた。
「……ああ、今日は新月なんだね。どおりで星がよく見えると思ったんだ」
俺も空をあおった。白くぼんやりとしたもやが、空を大きく横断していた。
「星だけでもこれだけ明るいのか……ちょっと意外だな」
「目が慣れてきたんだよ。ほら、線路だってよく見える」
不意に、気動車がぼろぼろになった駅を通った。コンクリートでできたホームが、闇夜の中に遠ざかって行く。
「止まらないんだな。昼間はあんなに頻繁に止まってたのに」
「電車に乗る人がいないんだもの、止まるわけないよ。幼女さんだって、この時間には起きてない」
「誰かがあそこにいた気がしたんだ」
「……奇遇だね、私もだよ」
クオンが頭を振った。
「消えるわけじゃないんだよね、暗闇の中のものは。私たちは目が悪いから、見えないだけなんだと思うよ」
俺はまた、消えて行くレールに目をやる。ふと身を乗り出し、車両の進行方向を見た。こちらもこちらで、何も見えなかった。
「今……ひとつ決めた」
俺が言った。クオンが俺を見た。
「決めた?」
「過去の自分に対する……まあ……けじめというか、なんというか……今更向かい合ったって、もう遅いのかもしれないけれど、でも……向かい合ってからじゃないと、何も選べない気がするんだ。誰とも向かい合えない気がするだ」
握りしめた俺の手に、クオンがそっと手を重ねた。
「……じゃあ私も、頑張って見るね、私自身のこと。二人の約束にしよう。クオンくんに私の勇気を少しだけ貸すよ。だからクオンくんの勇気も、少しだけちょうだい」
俺は拳を少しだけゆるめて、少しだけ握り返した。




