Ωの心臓 ②
夜、帰る前に、少しだけ朝斗の様子を見てから帰ろうと、病室に向かう。今はもう、どうせ早く帰ったところで家で待つ人もいない。
ノックをしたが返事がないので、寝ているんだろうなと思い静かにドアを開ける。しかし、
「ぅ⋯⋯、あ⋯⋯っ」
「朝斗君!?」
小さく呻く朝斗の声が聞こえて、俺は慌ててベッドに駆け寄った。
「っ――!?」
朝斗は、身体を丸めて苦しそうに荒い呼吸を繰り返していた。頰が上気し、目が潤んでいる。そして、この匂い。
覚えのある甘い、蠱惑的な香り。真澄と同じ、Ωのフェロモンの匂いだった。
「っ⋯⋯、せ、んせ⋯⋯」
「――⋯⋯」
ふらふらと、吸い寄せられるようにベッドに足が向く。
そっと頰に触れると、それだけでたまらないと言うような、快感に震える吐息を吐き出した。
これは、まずい。
俺はすぐに手を離し、一歩ベッドから離れる。しかしその手を、朝斗が縋るように掴んできた。
「やっ、だ⋯⋯、行かないで⋯⋯」
「⋯⋯鍵、かけるだけだ」
安心させるように囁くと、ゆっくりと力が抜けていく。
俺はドアに向かうと、内側から鍵をかけた。
それから、白衣を脱いでソファの背にかけ、再び朝斗の元へ行く。
「先生⋯⋯」
熱く湿った吐息が鼻先を掠め、魅惑的な香りに脳が焼かれる。抗うことなど不可能だった。
俺は、まるで呼吸ごと奪うかのように、朝斗の口を自分のそれで塞いだ。
✦✦✦
衝動に任せて抱いてしまった後、ヒートの抑制剤の点滴を打ち、汚してしまった朝斗の寝間着やら何やらを洗濯して病室に戻って来ると、彼はぼんやりと窓の外を見ていた。
「寒くないか?」
「うん。平気」
空気を入れ替えるために窓は開けてある。あの理性を飛ばすような甘い匂いは、だいぶ薄まっていた。
「先生」
「なんだ?」
「⋯⋯俺、Ωになっちゃったの⋯⋯?」
「⋯⋯検査の結果では、第二性はβのままだった」
臓器移植で第二性が変わったという話は聞いたことがない。ただ、心臓移植はそもそも症例数が少ないのは事実だが。
「ヒートのような症状が出たのは、今日が初めてか?」
「先月も⋯⋯。ここまでじゃなかったけど、少し」
「そうか」
とにかく、再度検査結果を見直して、こういった症状がないか調べてみないと。
俺が今後の方針を考えていると、ふと、朝斗がじっとこっちを見つめていることに気が付いた。
「どうした?」
「⋯⋯俺に、心臓をくれた人って、先生の大事な人?」
「っ――、」
朝斗ももう、ドナーがΩだということはわかっているだろう。そして近いうちに、俺が他のαとは違うということも、わかってしまうかもしれない。
けれど、今はまだ、それを言う時ではない。
「ねえ先生」
「?」
「来月、また定期検診の時に、夜来てくれる?」
「⋯⋯いいのか?」
どういう意味なのか、それを理解出来ないほど子どもではない。
小さく頷く朝斗に、俺はわかったと返して立ち上がる。
顔色を確かめるようにそっと頬に触れ、一瞬悩んで、迷った末に触れるだけのキスをして、病室を後にした。




