朝斗と真澄 ⑤
ふと、スマホのバイブ音が聞こえて、俺はベッドに寝転がったままサイドテーブルのスマホに手を伸ばした。
こんな時間に誰だと思って画面を見ると、病院からの電話だった。嫌な予感がする。
「はい」
電話口の相手の話を聞きながら、俺はゆっくりと半身を起こす。返事をする声が次第に固くなっていくのが、自分でもわかった。
「わかりました。すぐに向かいます」
通話を切ると、隣で寝ていた真澄が声をかけてくる。
「病院?」
「ああ。担当患者の容態が急変したみたいで」
「あの男の子?」
「⋯⋯」
俺は小さく頷く。朝斗のことは時々真澄にも話しているので、真澄も、俺の担当患者の中では彼が1番重い病気を抱えているくらいのことは知っていた。
「そっか。早く行ってあげて。タクシー呼ぶ?」
「あー自分で呼ぶよ。ごめんな」
「別に謝らなくていいよ。俺もうシャワー浴びて寝るし」
真澄はそう言って、軽く肩をすくめた。
俺はタクシーアプリで配車を頼み、サクッと身支度を整える。
「それじゃあ行ってくる」
「ん。気をつけてね」
唇に触れるだけのキスをして寝室を出た。
外に出るのと同時にタクシーがやって来る。病院の名前を告げると、深夜の暗い道を、車は静かに走り始めた。
✦✦✦
朝斗の容態が急変したと聞いて急いで病院に向かったが、俺が到着した時には、幸いだいぶ落ち着いていた。
朝斗の様子を見ながら、俺は明け方まで彼の病室で過ごす。
朝斗の両親にも連絡したようだが、朝になっても容態が落ち着かなければまた連絡してくれと言われ、電話を切られてしまったらしい。
青白い朝斗の顔を見ながら、俺は拳を握りしめる。
自分に出来ることがろくにないのが歯痒い。せいぜい親の代わりに、こうして側にいてやるくらいだ。
朝斗の病気は、心臓移植以外に治す方法がない。もうずっと順番待ちの状態。朝斗と同じように、何年も順番待ちしている患者が大勢いる。
移植する心臓さえあれば、俺が助けてやれるのに。
「⋯⋯せんせ?」
「起きたか」
ゆっくりと瞬きをした朝斗は、俺の姿を認めると小さく微笑んだ。
「まだ早いから、もう少し寝てろ」
「うん⋯⋯」
そう言って布団を掛け直してやると、朝斗は静かに目を閉じた。
✦✦✦
その後、数日間は朝斗の様子が気になってしまい、俺はいつも以上に、暇さえあれば彼の病室へ向かった。
今日も、仕事が終わり、帰る前に様子を見ていこうと病室に寄る。
朝斗は照明を落とした部屋で半身を起こし、窓の外を眺めていた。
「気分はどうだ?」
「いいよ」
「そうか。外に何かあるのか?」
珍しいなと思って俺も窓の外を見る。
「別に。月が綺麗だなと思って」
「そうか。ああ、満月だな」
普段のんびり空を見ることなんてあまりない。俺はしばらくの間、黙ってただ月を見つめていた。
「先生さ、」
「うん?」
「もし、明日世界が終わるってなったら、何したい?」
「なんだ突然」
いきなりな質問に面食らいつつも、まあこういう話は子どもを相手にしていれば度々訊かれることもある。
「そうだな。なんか、美味いもんいっぱい食いたいかな」
「へえ。なんか、普通だね」
「普通でいいだろ」
たった1日じゃ大したことは出来ないし、最後に求めることなんて、意外と普通の幸せなんじゃないかと思う。
「朝斗君は?」
「――セックス」
「⋯⋯」
俺は返事に詰まる。
男子高校生としてはまあわかるが、朝斗の口から出るとは意外だった。
「大人に話す時は、キスくらいに誤魔化しとけよ」
「先生、俺ってセックス出来るの?」
「っ、」
朝斗は、こっちを見ていない。
相変わらず窓の外を見つめるその表情は、何の感情も乗っていないように見える。
俺は、主治医として事務的に答える。
「医師としては、禁止せざるを得ない。心臓への負担が大きい」
「⋯⋯そっか」
答えを予想していたのか、僅かに瞼を伏せただけで、表情の変化はほとんど見られなかった。
誰か、好きな人でもいるのだろうか。高校生ならそれくらいいても全く不思議ではないが。
今は聞ける雰囲気ではないか、と口を噤んでいると、別の質問が来た。
「先生ってさ、α?」
「ああ、そうだが」
朝斗は、やっぱりそうだよね、と力なく呟いた。
医者はαが多い。故のやっぱりだろう。βやΩもいないわけではないが。
「うちの家族さ、俺以外みんなαなんだ。父さんも母さんも、兄貴も」
「⋯⋯」
「俺だけ、βだから」
だから、親もろくに見舞いにも来ない。
そう言外に感じ取れて、胸が痛んだ。
そんなことはない、とか根拠のない慰めの言葉を言うわけにもいかず、沈黙が降りる。朝斗も別にそんなものは求めていないだろう。
しばらくして、朝斗が溜息でその沈黙を破った。
「なんか、疲れちゃったから今日はもう寝るね」
「⋯⋯ああ。カーテン閉めるか?」
「ううん。開けといて」
「わかった。おやすみ」
小さく微笑む朝斗に俺も笑みを返すと、そっと部屋を後にした。
病院の外に出てもう1度空を見上げると、満月は雲の中に隠れてしまっていた。




