それぞれの気持ち ④
「ただいま」
真澄の荷物を回収してから戻ると、朝斗がキッチンから顔を出した。
「おかえり~。聖一さん、いいところに来た。どっちがいい?」
朝斗は、パスタソースの箱を2種類掲げて言う。
「んー、ペペロンチーノ」
「ペペロンチーノね。俺もそうしよう」
朝斗は楽しそうに鼻歌を歌いながら、パスタを茹でている。
「料理出来るんだな」
「ええ? パスタ茹でるくらい出来るよ」
「⋯⋯そうか」
ずっと入院していて、カップラーメンのお湯すら入れたことがないんじゃないかと思っていた。
「あーでも、カップラーメンは、確かに食べたことなかった」
「そう、だよな。身体には良くないし」
「聖一さんはカップラーメン好き?」
「好きだよ。けど、あれはお湯を入れた瞬間に、話が長い上司に呼び出されるっていうジンクスがあるから」
「なにそれ」
朝斗はくすくすと笑う。パスタが茹で上がったので、テーブルに持っていく。
食事をしながら、俺は朝斗に、スマホのパスワードの話をした。
「パスワード?」
「具体的に番号を教えてほしいわけじゃなくて、一般論として、何の番号を使うんだろうなと思って」
真澄のスマホは、直前まで使っていた方は誕生日で簡単に開いたのに、古い方はパスワードがわからず、中身を見れていない。
「やっぱり日付が多いんじゃない? なんかの記念日とか。推しの誕生日とか」
「推し⋯⋯。恋人とかじゃなくてか?」
「それだと別れた時に面倒だから使わないって、友達が言ってた」
高校生のくせに淡白だな。
その点推しなら、気持ちが冷めてしまっても嫌いになるほどではないことが多いし、記念のような感じでパスワードとして使うにはちょうどいいらしい。恋人だと、別れた後は記念も何もない、と。
「なるほどな」
「参考になった?」
「うーん」
「あんまなってないんじゃん」
朝斗はムッとした様子で唇を尖らせる。
真澄にそういった推し的なものは思いつかず、正直参考になったかと言われれば微妙だが、まあでも、やはり何かしらの日付を使うのが多いのかもしれない。
「うそうそ。参考になったよ。ありがとう」
「!」
ちょんっと頬を突くと、朝斗は僅かに顔を赤く染めて、黙々とパスタを口に運んだ。
✦✦✦
「やっぱダメか⋯⋯」
色々試してみたが、やはりパスワードはわからないままだ。
多分、探偵をやっている高梨の友人に頼めば、解析してもらえるんだろうなと思う。けれどこれについては、俺が自分でなんとかしたい気持ちがあった。
「聖一さん、まだ寝ない?」
「ああ、先に寝てろ」
「それ? さっき話してたパスワードって」
朝斗が隣に座って覗き込んでくる。
「聖一さんの恋人のスマホなの?」
「⋯⋯ああ」
「誕生日とかは、試してるか。出会った日とか」
「それも違った」
聞いて楽しい話じゃないだろうに、朝斗は真剣に考えている。
「朝斗はいいから、先に寝てろよ」
「やだ」
「いやなんで」
「だって、これ解決しないと、聖一さんずっとその人のこと考えてるでしょ」
「っ⋯⋯!」
朝斗からそんなことを言われるとは思ってもみなかった俺は、咄嗟に言葉が出て来ない。
朝斗は、失言だと思ったのか、小さな声で謝ってきた。
「ごめん、なさい。けど俺、どうしたらいいのか、わかんなくて」
「朝斗⋯⋯」
「もう寝るね。おやすみなさい」
「あっ」
そう言って部屋に入って行く背中を、俺は呆然と見送る。パタンと閉められたドアをしばらくの間見つめてから、頭を抱えた。
✦✦✦
時計の音が部屋に響くのを聞きながら、何度目かわからない溜息を吐く。
正直なところ、俺も色々と参っているところがあった。
真澄が亡くなってまだ数ヵ月で、心臓を移植した朝斗からは、真澄と同じフェロモンを感じて、狙われて、逃げて、真澄がこの件に関わっているかもしれなくて。
いっぱいいっぱいではあった。
だが、それは言い訳だとも思う。
朝斗はまだ高校生だ。説明はしたものの、何が起こっているのか、よくわからず不安に思っていることもあるだろう。
頼れる大人は俺だけで、その俺が心ここにあらずだったら、不安になるのも当然だった。
以前、真澄に言われたことがある。
聖一の頭の中はあの子――朝斗のことでいっぱいだと。
後悔していたはずだった。もっとちゃんと、真澄に向き合うべきだったと。
いつも近くにいて、当たり前のようにそこにあるものが、ある日突然なくなってしまうことがあるのだと、あの時学んだはずだったのに。
「最低だな、俺は⋯⋯」
まだ、確かな答えは何も出ていない。それでも、今出来ることを、伝えられることを伝えるべきだと思う。
俺はソファから立ち上がり、寝室のドアの前に立つ。
軽くノックをして声をかけた。
「朝斗、もう寝たか?」
返事はない。寝てしまったなら仕方がないが、うっすら開けた隙間から中を覗くと、ベッドサイドのライトがまだついていた。
俺は静かにドアを開け、部屋の中に入って行った。
✦✦✦
寝室に入ると、朝斗はうつ伏せでベッドに突っ伏し、枕に顔を埋めていた。
俺はその脇に腰掛け、様子を伺う。反応は見せないが、寝ているわけではなさそうだ。
「あのスマホ、津田真澄っていう、俺の恋人だったやつのものなんだ」
俺は、ポツポツと、真澄とのことを話した。出会ってから今までの、取り留めのない思い出話。
「朝斗のことも、真澄に話してたんだよ」
「⋯⋯なんて?」
黙って聞いていた朝斗が、初めてこっちを向いた。
「俺が担当してる患者で、ずっと、心臓移植のドナーを待ってるって」
何かの折に、ドナーカードを貰ってそんな話をしたような気がする。そう言えば、あの時真澄は、臓器移植によって第二性が変わることはあるのかと俺に訊いてきた。俺がそんな話は聞いたことがないと言うと、それなら安心だね~とカードを眺めて言ってたんだ。
「最後の、真澄の願いだったんだ。自分の心臓、朝斗にあげてくれって」
色々調べていたなら、第二性が変わってしまう可能性もあるかもしれないと、真澄は考えていたかもしれない。それでも、最後にそう願ったのは、俺を信じてくれていたからなのだろうか。それとも――。
「聖一さん」
「うん?」
「俺、ずっと聖一さんの⋯⋯、先生のことが好きだった」
朝斗はこっちを見ていない。どこか遠くを見ているような目だ。
「でも、先生には恋人がいるの知ってたから、言うつもりもなかった。どうせ、病気が治らないと、誰かと付き合うとか無理だったし」
だから、手術が成功して、治るんだとわかった時に、もう諦めようと思ったんだと、朝斗は言った。
恋人がいる人をいつまでも思っていても仕方がない、と。
「けど、看護師さんたちが話してるの、聞いちゃって⋯⋯」
「聞いたって、俺のことか?」
「うん⋯⋯」
俺が、一緒に住んでいた恋人を事故で亡くしたと、看護師が話しているのを聞いた朝斗は、かなり動揺した。
けれどだからと言って、すぐに俺とどうこうなんてことは考えていなかったらしい。当然だ。ただ別れたというならまだしも、恋人を亡くしたばかりの相手に、すぐにアプローチなんて出来ない。
「でも、その後、Ωのヒートみたいな感じになって、その時気付いた。もしかして、ドナーになってくれた人が、先生の恋人なのかもって」
元々好きだった相手。それにΩの運命が重なって、抑えきれなくなった。
朝斗は、そっと俺の手を握った。
「⋯⋯ごめん、なさい」
「なんで朝斗が謝るんだよ」
「俺、先生の側にいたい。先生が真澄さんのことが好きなら、それでもいいから」
「――っ、」
握られた手を引き、強く抱き締める。顔を押し付けられた肩口のシャツが、じんわりと熱く濡れていくのがわかった。
「俺こそ、ごめんな」
「っ、ぅ⋯⋯」
「ちゃんと、考えるから。もう少しだけ、待っててくれるか?」
「ん、――⋯」
朝斗は、小さくしゃくり上げながらも、こくこくと頷いた。
微かに震えるその肩を、俺はもう一度、強く抱き締めた。




