閑話12 ~ 悪意の胎動 1 ~
あの人たちが再登場です。(て、だれ? 複数?)
ベイレスト共和国 首都ヴェルトから南西へ3日。
宿場町ノースクの酒場に彼女はいた。顔を隠し、素性を隠し、縮こまるようにして彼女は生きていた。煤けたショールで頭部を覆い尽くし、薄汚れた衣服を身に着けて、厨房の隅で食器を洗っている。
「おおい、エールだ、エールを持ってこい!」
「おお、こっちにもくれ、3杯だ!」
「食うもんまだ出来ねぇのか、早くしろ!」
「うるっさいね、もちっと待ってな酔っ払いどもが!」
「おかみじゃなくていいから、そっちの女を寄こせよ!」
「お、良いこと言うなあ。お~い、姉ちゃん来いよ!」
「あんたらしつっこいんだよ! この子は店に出さない、不満なら帰っとくれ!」
酔っ払いどもの放つ笑い声に喧嘩腰の怒声、酌婦の嬌声が混じりあい、不協和音の騒ぎとなってあふれかえる。
その中で背を丸め、息をひそめるようにして仕事をこなしていくが、手に浮き出ている赤黒い紋章が彼女の行為をあざ笑っている。それは冒険者ギルドからの追放印。ギルド職員もしくはCランク以上の冒険者が重大な違反を起こした時にギルドから課せられる消えない烙印だ。
(これの……これがあるからワタクシは……っ)
洗い物をしながら否でも目に入る紋章に、彼女は唇をかみしめる。実際、どこへ行ってもその印は彼女を苦しめた。
当然と言えば当然だ。ギルドが重罪と判断し、放逐したのだ。そのような犯罪者を信用してくれるところなど皆無に等しい。場末とはいえ、ここで働かせてもらえることの方が珍しいのだ。
……もっとも、その対価は求められるが。
「あんた、いつもの仕事だよ。2階に上がって行っとくれ。いいね、逆らうんじゃないよ」
「……はい……」
洗い物が済むと同時に、おかみさんから次の指示が飛ぶ。気は進まないが、断ることはできない。やっと見つけた職場なのだ。
のろのろと階段を上がり、奥の部屋へ入る。そこにはすでに男が居た。
「へへっ、あんたが相手してくれるってか? 眼福だねぇ」
嫌らしく嘗めまわす視線を遮るようにうつむき、持ってきたタライを男の足元に置く。
「……失礼します……」
小さく声をかけて男の足を持ち上げ、タライの中に漬ける。そして両手でこすった後、横の布切れで水けを拭きとった。
「おほーっ、これがお貴族様のやり方か~っ。いいぜいいぜ、今夜はおいら殿さまだぁ!」
男はご機嫌で笑う。
「タライの水を捨ててまいります。しばしお待ちを……」
そう言って立ち上がろうとする手を男がとらえる。
「そんなのは後にしろよ。こっち来いや」
「あっ」
抗うこともできず、ベッドに倒れ込み。そのまま服の下を探られ、引きはがされていく。
「くくく、良いぜこの肌。吸い付くようじゃねぇか。今夜はおいらの物だぜ、楽しませてくれよなぁっ」
「くぅっ……」
逆らうことは出来ない。この場所を失えば、働くことはおろか、日々の糧を得ることもできず、死を待つばかりとなる。
彼女は死にたくなかった。だから歯を食いしばり、目を背けて言うがままになるのだ。
数刻の後。
ひとり部屋に残された彼女は、冷めてしまったタライの水で身体を拭き清め、服を身に着ける。部屋を片付けてから厨房に声をかける。
「おかみさん、終わりました……」
「そうかい。そこに置いてあるからね、また明日も頼むよ」
「……はい、おやすみなさい」
そのまま裏木戸から井戸のある裏庭へ行き、積んである薪に腰を下ろす。
渡された包みを開けば、黒パンとシチューの入った器が出てきた。まだほんのり温かいシチューに硬いパンをちぎってつければ、程よく柔らかくなる。ミルクの味と野菜のうまみが舌に沁みて、空腹を訴えていた身体があったまる。身体の芯に残る痛みも違和感も消えていくようだ。
(でも、これはワタクシの求めていたものではないわ)
パンをかみしめつつ彼女は考える。明日を迎えるため、目の前の食べ物を口に運びながら彼女の空想は止まらない。
(一体何が悪かったというの? ワタクシはただ、ステータスがあまりに酷くて笑っただけなのに……)
いつものように水晶で確認したら言葉が滅茶苦茶で読み取れず、呆れて思わず声に出してしまった。
『何これ、ひどぉい! ひどすぎるぅ! 低い数値に読めないスキルなんて、使いようがないじゃない!
おまけに何よこれ、てんてんてん、の後にレア、ですって! これ壊れてるわよスキルが! アハハハ!』
(あれがそんなに悪い事なの? 誰だってあんなの見たら笑うでしょうに、どうしてワタクシだけがこんな扱いを受けるのよ?)
彼女は知らなかった。あの時の発言でケインがピートたちに目を付けられ、良いように搾取されていたことを。そしてそれがために、彼らが鉱山奴隷へと堕されていたことを。
(そりゃあ個人の情報だって言われれば確かにそうだけど。それでもこんな烙印押されるほどの事なの!?)
視線が紋章に向けられる。赤黒いそれは今の自分を嘲笑するように、いや、憐れむようにも見える。男爵位を返上した時の担当官が見せた目つきと重なった時、彼女の中に言いようもない怒りが沸き上がってきた。
(どうして、どうしてワタクシはこんな暮らしをしなくてはいけないの!? 一度堕ちたらもう這い上がっちゃいけないの!?)
元はと言えば両親の善良さが招いた失態だった。
親しく付き合っていた子爵家から共同事業を持ち掛けられて契約を交わした数日後、事業が破綻したからと一方的に通告されたのだ。残されたのは膨大な借金だけ。それも大部分が子爵家の責務だったのを、契約によって彼女の家が背負い込むことになってしまっていた。
彼女の家は男爵家の中でも裕福な方だ。子爵家はその財産に目をつけていたのだと、気づいた時は後の祭りだった。両親は嘆きながらも財産をすべて整理し、使用人たちにも出来る限りの賃金と紹介先を世話したのちに首を括った。そして彼女はひとり、世間の荒波に放り出されたのだ。
(あの時、あいつらの企みに気づいていたら、父さまも母さまもまだ元気で……そしてワタクシも貴族でいられたというのに……!)
途方に暮れて街を歩いているときに、曲がり角でぶつかったのが縁で、ギルドに雇われたときは本当にうれしかった。あの大きな男の人が首都のギルドマスターだと聞かされてびっくりしたと同時に思ったこと、それは。
(この人の妻になれば、もう一度貴族に戻れるかもしれない……!)
それは彼女の胸に宿った小さな欲望だった。
それまでの教育で計算や書類の作成は難なくこなせるし、貴族令嬢として身に着けた礼儀作法が、窓口でも通用した。何より、ギルマスが自分の事を気にしていることに気づいていたから、健気に頑張る姿をアピールして好印象を残すように努めていた。
そのストレスを同僚や格下の冒険者に当たって解消した事もあったが……。
(そのくらい、誰でもやっている事じゃない。ワタクシにだけわざわざ数え上げるなんて陰険なサブギルマスだわ!)
その苦情が飛びぬけて多かったことを彼女は知る由もなかった。たとえ知っていたとしても、彼女は変わらなかっただろう。その時点ですでに彼女の耳に届くことは無かったのだから。
(何よ何よ、みんなしてワタクシをいじめて! ワタクシが若くてきれいで有能だからひがんでたのね。そうよ、絶対!)
そうして彼女の心の中が怒りで煮えたぎった時。
「良いね、キミ」
辺りが暗く翳って声が降ってきた。
「え、え、何、なんなの?」
今まであった月の光が何かに遮られている。そう気づいて顔をあげれば、目の前には若い男が立っていた。
「誰、あなた」
「ああ失礼。ちょっと暗すぎるよね」
軽く指を鳴らすと、辺りは元に戻り、彼女の眼にも分かるようになった。
淡い金髪だろうと思われる髪が月の光に反射している。瞳の色は空の青。パーツがバランス良く配置され、ハンサムと言っていいだろう。肌は白く、荒事など無縁に見える様子は、貴族か城に勤める文官のようだ。
だが、彼女の背に悪寒が走る。見た目はなんていうことのない、貴族風の人間。なのに、ギルドの窓口で培った経験が彼女に警告を発している。言葉にすれば『何も聞かずに逃げろ』だろうか。
だが、身体が動かない。縫い付けられたように固まり、彼の顔から視線が外れない。
「そのどす黒い憎悪、すごくいいよ。キミに力をくれる。もちろんボクにもね」
「憎悪が、力を、くれる?」
「どんな感情でもいいんだけどね、憎悪が一番力を集めやすいんだ。集中力も高まるしね。何より」
月が雲に遮られたか、すうっと薄暗くなる。青年の顔も逆光で暗くなったが、何故か口元だけが見えた。尖った三日月のような笑み。
「憎い相手に復讐できるよ。どう、僕と来ないかい、キャシー嬢?」
随分昔の人(笑)を引っ張り出しました。
以前にリクエストをいただいていたんですが、もっと後で全面改訂(!)
してからの予定でした。
でも、そうすると背景が弱いかな~とも思いなおして、今回の閑話で
登場を決めてもらいました。いささか情けない姿ですが、今後の変身に
乞うご期待を。
読んでいただき、感謝です。




