13話 海水浴
綺麗だな、と思う。
目の前には見たことないほどの大量の水がある。
空と水の境界線が見えるくらいの量だ。
水は透明なはずなのに何故こんなにも青いのだろう。
海が美しいとは聞いていたけどこれほどまで美しいとは知らなかった。
絵とか本とかでは見たことはあったんだ。
でも実物はやっぱり違うな。
海にもっと近づいて行くと波の音が大きくなる。
ゴオウ、ゴオウと波が陸に上がって来ていた。
耳を塞ぎたくなる。
それほどの大きな音。
波と共に少しベタつく風が俺の服を靡かせた。
この風は心地いい。
このままこの美しい海に入れば悪夢を殺せるだろうか、と暖かい太陽の光に照らされながら考える。
海の深さはどのくらいなのか。
初めて海に来たからそういうこともよくわからない。
本によればドラゴンさえ海の底には辿り着けないらしいけど。
どうでもいいか。
悪夢は何もせず死ねばいいんだ。
悪夢が現れなければ黒い血は悪なんて言われることはなくなるだろう。
海に向かって歩き出す。
海の水は冷たい。
それでも前へ進む。
どんどん深くなっていき、足がつかなくなってしまった。
もっと遠くに行こう。
川で練習した泳ぎでもっと遠くまで。
波があって泳ぎずらい。
口に水が入った。
本に書いてあった通りしょっぱい。
この水、本当にしょっぱかった。
そんな新たな発見をしながらどんどん泳いでいく。
いつのまにか俺のいた砂浜は豆粒に見えるほど遠くになってしまった。
泳ぎ疲れたな。
沈んでしまおうか。
泳ぐのことをやめて俺は自ら海の底へ潜っていく。
海の底は暗い。
なんだかもっと近くに行きたくなる。
もっと暗い場所へ。
闇の中へ行きたい。
光が見えなくなっていく。
空気の泡がまるい。
寒いな。
冷たいな。
でも、暖かくなってきた。
ああ、眠たくもなってきたかも。
目を閉じているのか、開けているのか。
わからない。
それほどの闇の中。
深呼吸した。
意識が薄れる。
心臓の音。
水の音。
風の音。
目が覚めた。
見慣れぬ木の天井が見えた。
それを意味もなく眺める。
……喉、乾いたな。
そんな呑気なことを思った。
しばらくして少しずつ思い出していく。
海に沈んだはずだったよな?
神託もあったよな?
俺が悪夢だよな?
飛び起きて自分の体を確認する。
……生きている。
失敗したのか。
成功させるまでやるしかない。
今度はどんな方法がいいだろう。
考えていると、この部屋に一つしかないドアが開いた。
……そういえばここはどこだろうか?
「目が覚めたのか」
ドアからやってきたのは白髪の混じった濃い青色の髪の男だった。
歴戦の戦士を思わせる左の眉から頰にかけての傷。
今でも鍛えているのか服の端からみえる筋肉。
隙のない立ち姿。
俺の感覚が正しければ、相当な実力者だろう。
「まずは飯でも食べておけ。話はそれからにしようか」
男がいうと手に持っていたお盆の上の料理を俺の近くのテーブルに置いていく。
死ぬ気であったとしても一応助けて貰ったようだからちゃんと食べておくか。
人を助けたのにすぐ死なれたんじゃあ目覚めが悪いだろう。
食事のためにいつものお祈りをしようとして、俺はあることに気がつく。
『女神ルーダ様に感謝を、この命に感謝を』
女神ルーダ。そいつに感謝はしたくない。
俺に定めを与えた神サマになんて感謝するかよ!
でも何も言わずに食べ始めることは何だかしたくなくて困ってしまった。
この命に感謝をってだけ言おうか?
「いただきます」
男が両手を合わせてからそう言い、持ってきた飯を食っている。
俺の分と男の分を作ってくれていたようだ。
そのお祈りはなんだかいいな、と思ったので真似してしまおう。
「いただきます」
俺は両手を合わせてそう言ってから食べ始めた。
魚を焼いて塩を振っただけの簡単な料理とサラダらしき葉っぱだけだけど食べないのは失礼だろう。
でも魚は美味しい。
葉っぱは苦いからちょっと嫌だけど魚と一緒に食べてしまえば問題なかった。
魚が大きかったので思った以上にお腹いっぱいだ。
「食べ終わったか。では話をしよう」
男は姿勢を正して俺と向かい合う。
そして俺がどうしてここにいるかを聞いた。
ここは魔族と人間の住む大陸から少し離れた場所にある小さな島らしい。
その島で孤独に暮らす男はいつものように魚を取りに海にきた。
そこで俺を浜辺で見つけて保護してくれたんだと。
「お前はどうしてこの島に?」
その質問に俺は適当に答えることにする。
嘘の吐き方は習ったから簡単だ。
「海で友人と遊んでたんだ。でも気がついたら何故かここにいて」
「海流に流されたんだろう。よく死なずに済んだものだな」
男は苦笑いしながら言うがすぐ考え込むように腕を組む。
何やら言いたそうにしているがなかなか話してくれない。
「どうした?」
俺の言葉がきっかけになったのか男は腕を組むのをやめて申し訳なさそうに話し始まる。
「ここには船がない。だから大陸に届けることが出来ないんだ。作るにしても時間がかかることだろう」
そういうことか。
でも俺は戻るつもりはない。
さて。どう説明したものか。
友人と遊んでいて逸れたという設定になっているのだから帰りたいと思うのが普通だ。
でも俺自身は帰りたくはない。
「しばらくはここにいてもいいが、帰らないわけにも行かないだろう? 一緒に帰る方法を見つけようか」
この男は優しいな。
船を作ると言ったなら一緒に作ってくれるのだろう。
とりあえず帰るふりをして途中で別の方向に行けばいいか。
もしかしたら餓死出来るかも知れないし、他の方法で悪夢を殺せるかも知れない。
「じゃあしばらくよろしく。俺はセレメって言う」
名乗って握手のために手を差し出してみる。
男は反射的に俺の手を掴んだようだが名乗るのに躊躇しているようだ。
そりゃあそうだよな。
こんなところに隠れるようにして住んでるんだ。
訳ありってことなんだろう。
名乗らなくてもいいと言おうとしたとき、男は口を開いた。
「私の名はモルゼットだ」
「モルゼット?」
聞き覚えのある名前。
俺が憧れた強さを持つ者の名前だ。
一番強い男の人の話。
『絶望と恐怖』という本の主人公。
悪夢モルゼット。
じっと男を見つめる。
何かを覚悟したような顔をしていた。
きっと聞かれることはわかっているのだろう。
俺も知りたい。
だから聞く。
「悪夢モルゼットであってるか?」
「……ああ。そうだ。私は悪夢だ」
……なーんだ。
別に嘘吐く必要ないじゃん。
一気に緊張感が抜けてしまった。
「俺も悪夢だ。同じ悪夢同士仲良くしよう」
そう言ってみた途端、モルゼットは変顔を始める。
本人に変顔の自覚はないだろうけど、目も口も鼻の穴も大きく開いて驚いているようすは笑えた。
口を押さえて肩を揺らしながら笑っていると、モルゼットはハッとしたように変顔をやめ、真剣な眼差しで俺の顔を見始める。
「お前も悪夢なのか? 何代目になる?」
「えーっと……多分、九代目だな。」
「一番新しい悪夢じゃないか!」
モルゼットが取り乱しているのでなんとか落ち着かそうとしてみる。
俺の努力の甲斐あって正気に戻ってくれたようだ。
「そうか。悪夢か。クソ女神のお導きなんだろう。セレメ、お前はこれからどうする予定だ? 人間を殺すか?」
「殺したくはない。でも幼い頃から悪夢を倒すって誓っているんだ。だからやる」
「……それは私も入るか?」
「出来ればそうしたい。でもまずは悪夢について知ってることを教えてほしいかな。なんで百年前の悪夢が生きていてしかも中年のおっさんくらいに見えるのか、とかも」
「見た目に関しては私が悪夢の所為だとしか言えないが……。そうだな。まず悪夢が黒い血ではないことは知っていたりするかな?」
「え?」
悪夢は黒い血ではない?
だったら何色なんだ?
本なんかでは黒い血だって言われているし、そのせいで黒い血の人間は魔人と呼ばれているんだぞ。
それに悪夢である俺の血も黒だ。
怪我をして何度も見ているからよくわかっている。
「……知らないのか。なるほど」
俺の顔をみてモルゼットは小さく呟き、何やら考えるように目を閉じた。
次に目を開けて放つ言葉に俺は顔を引きつらせることになる。
「さっきの友人云々は嘘だな。自分が悪夢と知って海に身を投げたか」
おっしゃる通りです。
素直に頷いておこう。
「悪夢は人間にとっては不幸を呼ぶ者であるが、世界にとっては英雄だ。海が悪夢を殺してくれるわけがない」
うん?
よくわからない。
世界の英雄って何度か聞いているけどそれってどういうことだ?
世界にとって人間は邪魔な存在だから殺せ、みたいな?
じゃあなんで邪魔なんだって話だけども。
「それに悪夢は女神に監視されているからどうやっても自殺は出来ないぞ」
「なに?」
それはとても困る。
自殺以外だとモルゼットに殺してもらうしかなくなる。
でも俺は悪夢を倒す。
モルゼットと心中するか?
モルゼットが俺を殺して俺に殺されてくれるかはわからないけど。
「悪夢の持つ力は女神の一部でもあるから自殺で死なぬよう勝手に魔法が発動することがあるんだ。他者に殺されはするんだが……」
魔法の発動と聞いて俺は心あたりがあった。
意識を失う少し前。
海の中で冷たい水が暖かくなったり、風の吹く音が聞こえたり。
冷たさで死なないよう暖められ、空気で俺に呼吸をさせた。
そういうことだろうか。
女神なら闇魔法以外も使えそうだし。
証拠はなにもないけどな。
「まあ試して体験してもいい。私はもう人を殺さないからお前を殺すことは出来ないが」
残念。まあいいや。
他の方法を探せばいい。
パッと思いつくものだと人間の国に血を見せびらかして入るってことだけど、それだと黒い血の評判がさらに下がりそうだ。
それはいけない。
どうするにしても今以上にの力がないとどうしようもなさそうだけど。
「ただ、人を殺す気がないのなら、私の弟子にしてもいい。将来、私が教えた力で人を殺すことになるかも知れないが、それはそれだ」
「本の中の悪夢モルゼットの力が本当なら、是非弟子にしてほしい。いや、弟子にしてください」
「わかった。それと喋り方は普通でいい」
ありゃ。師匠として敬意を払おうかと思ったのに。
モルゼットがそれが嫌なら仕方ないけど。
「悪夢の血の色だけでも先に言っておくぞ。見た目の色は確かに黒だが本当はいろんな色が混ざっている。赤も青も黄も黒も白もそれ以外の色も。だから黒い血ではない。黒い血だけではないのだ」
……なにそれ?
次話は7月14日投稿予定です
次回予告、黒い血が魔族の国からも追い出されて森で生活することになったら役に立つ!(自己暗示)




