上編。
「リアラ・シェリン。ギフト一つ持たないお前と結婚したところで国益の足しには一切ならない。爵位だけの無能なお前とは今日付けで婚約破棄とする」
一年に一度の新年宴会。スワロ王国の全貴族が集まった王城のホールで響き渡る婚約破棄の言葉に、宴会場にいた全員の視線が声の主へと向けられた。
そこに立っているのは、天使の化身と称されるほど美しい容姿を持つスワロ王国の第二王子アスラン・フォン・スワロ。
アスランの腕には、庇護欲を自然とそそる可憐な少女が抱きしめられていた。
特徴的なピンク色の髪と、新緑を溶かしたような鮮やかな瞳。この国でピンク色の髪を持つ貴族はペントラ子爵家だけだった。
第二王子とはいえ、スワロ王国にはまだ王太子が定められていない状態であるため、彼が子爵令嬢を抱き寄せているのは爵位の上でも、雰囲気の上でもありえないことだった。
それでも場内の貴族は誰一人としてその行動を指摘しなかった。
理由は簡単だった。
一つ目は、天使のように美しい外見とは裏腹に非常に性格の悪い第二王子の機嫌を損ねたくないから。
二つ目は、第二王子の腕に抱かれている子爵令嬢が王国において最も神聖なギフトである「治癒」を持っていたから。
治癒の聖女と呼ばれるペントラ子爵令嬢と敵対したい貴族など誰もいない。たとえ王子の婚約者が高い爵位を持つ侯爵令嬢であったとしてもだ。
アスランの前に立って無能だと侮辱された婚約者、リアラは場内の貴族と目の前の男を冷ややかな目で睨みつけて立っていた。
リアラは生まれてから一度も目の前の男を愛したことがなかった。
当然のことだった。婚約が決まってからの十年間、彼から一度の愛の告白も、甘い言葉を一言もかけられたことがなかったからだ。
「公式的に」リアラにはギフトがなかった。だからこそリアラは婚約者として、将来の王妃候補の一つとしてアスランと国家のために努力を強いられなければならなかった。
政治、経済、芸術……いったいどれほど多くのものを無理やり学ばせられたことか。
顔しか取り柄のないアスランは王にふさわしくなかったが、やけに公正な現国王のせいでアスランの代わりにリアラが帝王学まで学ばなければならなかった。
アスランを愛することはできない。しかしリアラは一生彼と共に歩まなければならなかった。
だからリアラは自分にできる最善を尽くして彼を補佐しようとした。
王子には顔しかないのだから。せめて一つだけ持っているそれを守ろうとどれほど苦心したことか。
だが、その保護の代償がすべての貴族の前で屈辱を与えることだというのなら、リアラもこれ以上犠牲ばかりを強いられる理由はない。
リアラの目が冷たく光った。会場内にいた彼女の父親であるシェリン侯爵がリアラめがけて必死に駆け寄ってくるのが見えたが、リアラは父親の焦燥した視線を無視したまま口元を釣り上げた。
「無能な令嬢、ですか……確かに、私は殿下がそばに置いている子爵令嬢と比べれば実に取るに足りないでしょう。ですので、この婚約破棄は受け入れます」
「引き下がるのが早いのは良いことだな。なお、この婚約破棄はすべてお前が無能なせいであるから、すべてお前の責めだ。わかったな」
「結構です。ただし……」
言葉を切ったリアラがさらに深い笑みを浮かべた。
彼女の視線がアスランの艶やかに輝く金色の髪へと向けられた。まるで純金を溶かして作ったかのように美しい金色の髪を一つに束ねたアスランは実に眩しかった。
彼の髪は特殊な光を帯びており、光の強度によって色合いが微妙に変わり、ただでさえ美しい彼の容姿を一段と引き立てる効果をもたらしていた。
現国王とも、王妃とも似ていない髪はまさに神からの贈り物そのもの。
性格も悪く才能もないアスランがいまだに王太子の地位を維持しているのは、彼の髪の毛のおかげと言っても過言ではなかった。
だが。
「私と婚約破棄する以上、これ以上殿下をお守りする必要もないでしょう。それでは、どうぞお幸せに」
言葉を終えたリアラが指を鳴らした瞬間、艶やかに輝いていたアスランの髪の毛が急速に色を失っていった。
純金のようにきらめいていた彼の髪はどんよりとした黄色に染まっていくかと思うと、やがて干からびた藁のようにパサパサになっていった。
それだけではなかった。
乱れないようにしっかりと結んでいたはずの髪の毛が、引っ張られる力に耐え切れなかったのか、ハラハラと床に散らばっていった。
名残惜しくも思えるだろうに、崩れないように固められていたからか、王子はまだ自分の状態を認識できていなかった。
言うまでもなく、瞬く間にハゲ散らかしてしまった王子の衝撃的な姿に、誰もが言葉を失った。
息すらできない静寂の中。
真っ先に反応したのは、王子のそばにいたがために髪の毛をまともに被ることになった子爵令嬢、フロラ・ペントラだった。
「キャーッ! 殿、殿下!! 髪が……髪が……」
「フロラ。突然何を言っているんだ? 髪がどうした? それより、何だか少し肌寒くなってきたのではないか?」
「髪がないからでしょう!!」
「……何?」
フロラの悲鳴にアスランは呆然とした顔で手頭を頭へとやった。手袋越しに伝わる滑らかな感触がひどく奇妙だった。アスランは頭に少しだけ残っていた、藁のような自分の髪の毛を見つめた。
そして二度まばたきをした。
「……え?」
アスランの視線が虚空をさまよった末にフロラへと向かった。それと同時にフロラが顔を背けた。笑いをこらえるように両手で口を押さえたフロラは哀れなほどに震えていた。
「おい、フロラ? 突然どうしたんだ?」
「あの……ちょっと、私を見ないでください……」
「何を言っているんだ? フロラ?」
「ダメです。無理。プハッ……アハハハハ!!!」
よく、どれほど顔が美しくても髪の毛がなければ完成しないと言われている。
髪の毛というのはそれほど美の基準において厳格であり、なくてはならない存在なのだ。
アスランから失われたのは髪の毛だけだったが、それだけでアスランの姿は非常に滑稽なものになった。
尊大な顔をしたアスランはそれ自体が大きな笑いを誘うのに十分であり、以前の姿を知っている者であればあるほどその反響は大きかった。
一人、二人、三人。やがて会場は爆笑の渦に包まれた。笑わずに立っているのはただ一人だけ。
状況を把握できずに虚空をさまよっていた視線が、リアラにとらえられた瞬間、アスランが怒気を含んだ声で叫んだ。
「リアラ・シェリン!! お前、何をしたのだ? 命じる! 今すぐ私の髪を元に戻せ!!」
「あら。いくら殿下であっても、無実の者を罪人に仕立て上げるのは極刑にあたりますわよ?」
「無実なものか! お前が今、私に呪いをかけたのではないのか!! でなければ、私がどうしてこんな……」
「殿下、貴方は私をギフト一つない無能な女とおっしゃいましたが、実は私にもギフトがあったのです」
アスランの言葉を遮ったリアラが口元を釣り上げた。
「私のギフトは【毛根再生】。たとえ限定的ではありますが、毛根がすべて消え去った荒れ地も、干からびかけている土地もすべて救うことができますの」
リアラの声が決して大きくはなかったにもかかわらず、場内にいた全員が笑いを止め、リアラの声に耳を傾けた。
「殿下はですね。十二歳頃から脱毛が進行し始めました。覚えていらっしゃいますか? 髪の毛が薄くなり始めたと私に八つ当たりなさった時のことです。その時、哀れな殿下のために私がギフトを使って殿下の頭を今まで『維持』して差し上げていたのです」
瞬く間に宴会場に激震が走った。すでに死んだものは蘇らせない。
どれほど強力な治癒スキルを持つ聖女であっても、抜け落ちた髪をふさふさの状態に戻すことなどできないではないか?
「髪の毛を再び生やすことは、帝国の皇帝ですら切望する悲願の一つ。だからこそ私のギフトは誰にも明かしていませんでしたが……無能だと侮辱されるくらいなら明かした方がいいでしょう? そうではありませんか?」
リアラの淡々とした返答に、会場内から小さく息を呑む音が漏れ聞こえた。
その音は一つではなかった。無理もない。必死に隠してはいるものの、毛根を守ることは国を守るのと同じくらい難しいことなのだから。
奇跡のごとき力にすがりたい者はどこにでも存在する。
リアラは意地悪な笑みを浮かべながら場内を見渡した。
彼女と目が合った何人もの人間が必死の形相を浮かべているのが見えてきた。
「先ほど何とおっしゃいましたか? この婚約破棄は私の責めだとおっしゃいましたわね。でしたら、この国にもう私を受け入れてくれる紳士はいなさそうですね」
「いや、待て……」
「でしたらこの宴会場にも用はありません。それでは無能な令嬢はこれにて失礼いたしますので、皆様ごきげんよう」
言葉を終えたリアラは軽やかに宴会の出口へと歩みを進めた。
その時になってようやくリアラに追いついたシェリン侯爵がリアラを引き止めようとしたが、彼女の視線が侯爵の顔……正確には頭髪へと触れた瞬間、息を呑み込んで足を止めた。
「お父様は後始末にお忙しいでしょうね? 私はこれで戻らせていただきますから、どうか満足のいく結果をお願いいたしますね」
リアラの瞳が細く三日月に歪んだ。その姿にシェリン侯爵が壊れた人形のようにこくりと頷いた。
静寂の訪れた宴会場をあとにして、リアラ・シェリンは自邸へと向かった。




