第82話 台風一過
美味しくサンドイッチをいただき、ようやく人心地付いたところだった。
三階の廊下の向こうから、何やらもの凄く騒がしく、そして怪しい気配が近づいてくる。
「今日帰ってきてるんだろ!? だったら顔を見るくらい良いじゃないか!」
「そりゃ逆だよ! 帰ってきたばかりの今日くらい、ゆっくり休ませておやりって言ってるんだよ!」
「何言ってんだ! こちとら散々心配してたんだぞ! 生きてるか確かめるくらい良いだろうが!」
心がすうっと暗くなる、とてもよく知っている声が近づいてくる。
この声の主が誰だか分かるから気が重くなる。
「女将さん、すみません……。ギルドの職員みんなで引き留めたのですが、このような状況でして……」
「長年の付き合いだ、状況は分かるからミリアが気をもむことはないよ。このバカチンがいけないんだから!」
「おい! そのバカチンとはなんだ、バカチンとは!」
「あんたのことに決まっているだろう、この分からず屋!」
「うるさい、どの部屋で休んでるんだ!? おい、ヤノス出てこい! わしだ、ヴァルグドだ! 聞こえてるんだろ、おい!」
廊下はすでに完全なカオス状態だった。
ここでこちらから声を上げる勇気など、僕には一ミリもない。
それはみんなも同じだったようで、リーノ、フィーネ、リコルは全員、青い顔をして身を固めていた。
唯一の救いは、どうやら受付のミリアさんも同行してくれているということだった。
「すみません、女将さん……」
「おいこら、出てこい!」
「少し待つこともできないのかい!」
「ドアを蹴破るぞ、ヤノス!」
「マスター! それは、それだけはおやめください!」
「なに、俺にそんな口を利くのか!」
どこから突っ込んでいいのか分からないほど、廊下の混乱はさらに拡大していく。
みんなの顔は、青を通り越して白くなっていた。
見かねて、思い切って腰を上げ、扉を開けて出ようかと思った瞬間だった。
「ほら、開いたよ! もう子供よりもタチが悪いんだから。この先にいるから、少しは冷静さを取り戻しな!」
クリアナさんの声とともに足音が近づき、部屋の扉が優しくノックされた。
「……悪いね、ヤノス君。もう分かっているだろうけどさ、外が収拾のつかない状態になっちゃったから入れるよ。いいね?」
「ご迷惑をおかけします……。女将さん、お願いします」
「ほら見な。あんたよりヤノス君の方がよっぽど大人だよ。少しは見習ったらどうだい? 本当に呆れて物も言えないよ」
ドアが開くと、そこにはギルドマスター、クリアナさんとミリアさんがドアの向こうにいた。
その瞬間である。
ミリアさんと目が合った瞬間だった。
ミリアさんが僕の方へ凄い勢いで駈け寄り、ベッドに腰掛けていた僕に抱きついてきた。
その勢いに僕はたまらずにミリアさんと共にベッドに倒れ込む。
「ヤノスくん、ヤノスくん、ヤノスくん」
ミリアさんが僕にしがみついたまま、僕の名前を連呼する。
リコルやフィーネの視線が気になって横目で見るが、ミリアさんの突然の行動に唖然としている。
「ミリアさん!? 僕、大丈夫ですから……。ご心配おかけしたみたいで」
「ヤノスくん、ヤノスくんが西門から出て帰ってきてないって聞いて……心配してたんだから」
どうしていいか分からずに戸惑っていると、クリアナさんが優しくミリアさんを抱きしめながら僕から離れるように促してくれる。
「ミリア、大丈夫だよ。ヤノスは大丈夫だから。もうあんなことは起きないから」
少し冷静さを取り戻したミリアさんが、僕を解放してくれる。
ほっとしてミリアさんの顔を見ると、涙が幾重にも頬を伝っていた。
「ご心配おかけしたみたいで、すみません。僕は、この通り元気ですから」
コクコクと頷きながらも、ミリアさんは溢れ出る涙を拭っている。
「ほらほら、あんたもぼーっとしてないで入っておいでよ」
クリアナさんが、ギルドマスターを部屋の中へ入るように促している。
「お、おう……」
(……へぇ? なんだか、あの尊大だったギルドマスターが、もの凄くしおらしくなっているのは僕の気のせいなのだろうか。さっきまでの威勢は何処に行ったんだ)
横にいる三人の顔を見ると、同じように頭の上に巨大な「?」を浮かべているのが手に取るように分かった。
心なしか、物理的に一回り小さくなったようなギルドマスターが部屋へと入ってきた。
リコルが気を利かせてすっと立ち上がり、ギルドマスターに椅子を勧める。
本当に気の利く良い子だ。
ミリアさんは、ベッドにそれも僕のすぐ横に腰掛け、まだ涙を拭いながら時折しゃくり上げている。
ギルドマスターは腕を組んで椅子にドカッと腰掛け、必死にギルドマスターとしての威厳を取り繕おうとしていた。
「<……ヤノスとリコルが西門から出てから時間が経った後、フィーネとリコルが慌てたように急ぎ足で戻り、しばらくしてフィーネだけが再び西門を出た。その後、リコル以外がこの街に戻っていない>と、お屋敷の方から報告が上がってきた」
ポツリポツリと話し出すギルドマスター。
「<その後、領主の館への指名依頼の件で動きがない>と、ギルバ――うほん! 御領主のギルバート様をはじめ、ご家族の皆様がかなり心配されていたのだ」
クリアナさんに横からギロリと一睨みされ、うっかり領主様を呼び捨てにしそうになったギルドマスターが慌てて言い直した
彼は一呼吸置いて、また重々しく話を続ける。
「まあ……今日は、元気な姿が見えればそれでいい。体調が完全に戻ったら、ギルドに顔を出してくれ。その時にでも、詳しい事情を教えてもらえれば助かる」
「あんたも、最初からそんな神妙な態度だったら、こんなに揉めなかったのにねぇ」
ミリアさんを慰めているクリアナさんの一言に、ギルドマスターは激しい咳払いで再び威厳を取り繕う。
「ご心配をおかけしたようで、大変申し訳ございません。邪怪に襲われて全身が邪気に汚染されていたため、完治するまでに少し時間がかかってしまいました」
僕の言葉に驚いたミリアさんが、僕の腕にしがみついてくる。
「ですが、もう大丈夫です。あと数日休めば本調子に戻ると思いますので、もしお屋敷の方からどなたか来られましたら、無事であることと、後日必ずお伺いすることをお伝えください」
「おう、そうだな。ま、しっかりと安静にしておくんだ」
「どっちが大人やら……」
クリアナさんが漏らした小さな呟きが、ハッキリと聞こえた。
ここで笑ってしまっては、せっかく平静を取り戻しかけているギルドマスターが再び爆発し、カオスに逆戻りするのが見えている。
僕は神妙に反省している風を装って下を向き、必死に笑いを堪えた。
横目でチラッと見ると、リーノもフィーネも同じ状態のようで、一見すると神妙に黙り込んでいるが、肩が若干プルプルと震えていた。
「……わかった。では、今日は失礼する」
「ヤノス君、本当にお大事にね……。元気そうに見えても……、どこかに後遺症が残っているかもしれない……。十分に休んで……。また元気な顔で……ギルドに来てくれるの……楽しみに待ってるね」
ミリアさんが名残惜しそうにしながら、優しさに溢れた柔らかな声で僕を気遣ってくれる。
「はい、ありがとうございます。ぜひ、すぐに顔を出しますね!」
「……うほん!!」
なぜか、僕のすぐ隣でリーノがわざとらしい大音量で咳払いをした。
ジト目がこちらを刺している。
「ヤノス、あんたは立ち上がらないで、そのままでいな! こっちの分からず屋が無理やり押しかけて来たんだから、あんたはゆっくりと身体を休めるんだよ」
クリアナさんが、そう僕に声をかけた後、何やら小声でリコルに伝えている。
ギルドマスターへの強烈な嫌味を笑顔で言い放つクリアナさん。
クリアナさんに促されながら、必死に涙をこらえ笑顔を作っているミリアさん。
普段の受付でテキパキと有能に仕事をさばいているミリアさんからは、想像できない一面に戸惑ってしまう。
「じゃ、またな」
そう言って、嵐を巻き起こした大人たちが部屋を去っていった。
あとに残されたのは、水を打ったような静けさだけ。
まさに「台風一過」という言葉が頭をよぎっては消えなかった。
「……一体、何だったんでしょう、今のは」
僕がぽつりと言葉を漏らすと、リコルが寂しそうな声で語り始める。
「お昼食べている時に話したように、クリアナさん、一人息子が魔物に襲われて亡くなっているって話したでしょう」
僕、リーノ、フィーネの視線が、一斉にリコルに集まる。
「さっき、クリアナさんが小声で教えてくれたけど、その息子さんと同じパーティーメンバーの中に、ミリアさんのすぐ下の弟がいたんだって」
驚きの事実に、リコルを除くみんなが言葉を失う。
「その亡くなった弟さんと、私たちが同じ歳くらいなんだって……。だから、私たちのことを心から心配してくれていたんだよ」
少しのミスが、命に関わってくるこの世界。
その中で生活している人たちが心の葛藤と戦いながら必死に今を生きている姿に、僕はただ圧倒されるしかなかった。
自分の軽はずみな行動が、どれほど多くの人に多大な心配をかけてしまったのか。
押し寄せてきた強い後悔の念が、僕の胸を痛いほど強く締めつけた。




