第79話 止まった時計が動き出す朝
【リコル視点】
「リコルちゃん、ちょっと私たちの話を聞いてくれるかね」
真剣な顔になったクリアナさんから尋ねられ、私は小さく頷いた。
「私でよければ……」
クリアナさんは僅かに頬を緩め、遠い記憶を手繰り寄せるような目で、とつとつと語り始めた。
「そう、二十年前の今頃の季節だった。私たちには、一人息子のバルカンという男の子がいたんだ」
男の子、という言葉が頭の中に響き、自分の予想した悲しい結末が外れることを祈りながら、私はクリアナさんの言葉に静かに聞き入った。
「その頃の【安らぎの宿】はね、今と違って大勢の冒険者でごった返していたんだよ。この【安らぎの宿】という名前も、いつも危険にさらされている冒険者たちに、せめてここへ帰ってきた時くらいは心から安らげる場所を提供できたら、という思いを込めて付けたんだ」
ガスサスさんが目を閉じ、深く深く頷いている。
「バルカンは活発な子でね。宿に泊まる冒険者たちに、よくおねだりをしては冒険譚を聞かせてもらって、目を輝かせていたよ。だがある時、昔の私たちを知る古い冒険者が泊まってね……私とガスサスが、昔はなかなかの腕利き冒険者だったという話を、息子にしてしまったんだよ」
「お二人とも、冒険者だったのですか?」
「最後に現役を退いた時は、確か二人ともB級だった」
ガスサスさんが、ふっと少し誇らしげな笑みを漏らして頷いた。
「それからだよ。何度も、何度も、バルカンが私たちの冒険者時代のことを聞いてくるようになってね。私たちも、つい懐かしくなって冒険者時代の手柄話を息子に聞かせてしまったんだ」
予想される最悪の結末を聞きたくないという思いと、目を背けずに聞かなければならないという思いが胸の中で激しく交錯する。
「私たちは大反対したんだよ。だけど<父さんも母さんも冒険者だったんだろう? じゃあ、僕だって絶対にやれるよ!>と真っ直ぐな目で言われちゃ、それ以上強くは止められなくてね……。あの子は冒険者に憧れている同世代の友達とパーティーを組んで、活動を始めたんだ」
外の街の喧騒も、ここだけは一切届いていないかのような、重い沈黙が厨房を包み込んでいた。
「私たちも剣や戦い方を厳しく教えていたからね、最初は順調だった。ギルドでも有望な若手として注目されていたよ。……そんなある日だった。あの子たちの実力では太刀打ちできない、予想外の強い魔物に出くわしてしまってね。パーティーの数人が命を落とした。――その中に、うちの息子もいたんだよ」
クリアナさんの目から、堪えきれずに一粒の涙がこぼれ落ちた。
「リコルちゃんも、なんとなく気付いていたんだろう? 今、リコルちゃんに泊まってもらっているあの部屋はね、その子――バルカンが使っていた部屋だったんだよ。どうしても忘れられなくてね。あの子が死んでから二十年間、ずっと当時のままにしているんだ。そんな部屋に泊まらせてしまって悪いとは思うんだけど……どうしても、リコルちゃんに使ってもらいたくてね」
「とんでもないです……! とても素敵なお部屋で……。毎日、本当におにぃの部屋みたいに気持ちよく過ごせています」
私が必死に言うと、クリアナさんは優しい笑みを向けてくれたが、その目からはまた一粒、大きな涙が頬を伝って落ちていった。
「それからだね。私たちが冒険者をこの宿に一切泊めなくなったのは……。あぁ、済まないねぇ! せっかくの美味しい朝食が台無しだ。まだ残ってるよ。さあ、気分を取り直して食べよう!」
「クリアナさん……。どうして、私にそんな大切な話を……」
私の問いに、必死に笑顔を作りながらクリアナさんが答えてくれる。
「あの子を失った時、ヴァルグドは何度も何度も頭を下げに来てね。<自分がもっと鍛えていれば>って……あいつも二十年間、ずっと後悔を背負ってきたんだよ。そんなあいつが<頼む>の一言でリコルちゃんたちを紹介してきた。あの頑固者がね」
クリアナさんは静かに微笑み、私の手を優しく包み込んでくれた。
「リコルちゃんたちの活躍を見ていたらね。バルカンが果たせなかった夢を一緒に叶えてくれている気がしたんだ。大丈夫だよ。ヤノス君たちは絶対に無事で帰ってくる。あなたたちだったら、どんな困難だって乗り越えられるよ」
「……ああ。ヤノス君たちなら必ず元気に戻ってくるさ」
ガスサスさんの力強い言葉と、クリアナさんの温かい励ましに、私の目からボロボロと涙が溢れ出す。
「おい。手が止まってるぞ、朝食を摂るんだろう」
ガスサスさんも頬を涙でぬらしながら、不器用な笑顔で食事を促してくれた。
「そうだね! さあ、今日もたくさん食べて頑張ろう!」
クリアナさんのいつもの元気な声が、部屋中に力強く響き渡った。
(私も、心配ばかりしてちゃダメだ。リーノとフィーネ、そしておにぃを信じて、元気に笑って待っていよう!)
この数日の間ずっと不安で色褪せて見えていた景色が、ほんの少しだけ、キラキラと輝いて見えた。




