第77話 目覚めたヤノス
【ヤノス視点】
なんだか、とてつもなく長い夢を見ていた気がする。
そんな奇妙な感覚とともに、僕は深い闇の底からようやく目覚めた。
ぼやける視界のなかに、見慣れた二人の顔。
そして、見たことのない顔が二つ、そこにあった。
周りは明らかに日本風の、三方を襖に囲まれた部屋だった。
「みんな、ただいま。……え? ここ、どこ? ……え? っていうか、誰?」
覚醒した最初に出た言葉が、それだった。
「ヤノス……! お帰り!」
「頑張ったね、ヤノス」
リーノとフィーネが、優しく声をかけてくる。
僕はベッドの上で上半身をゆっくりと起こした。
その瞬間、脳裏にあの地下遺構で襲いかかってきた邪怪の残像がフラッシュバックする。
恐怖に一瞬だけ頭を抱えて身をすくめたが、ゆっくりとその手を離し、もう一度周りを見渡した。
「……僕、助かったんだね」
「ヤノス――っ!」
リーノが叫びながら、僕に勢いよく抱きついてくる。
思いがけない彼女の行動に、僕は当惑してしまう。
戸惑いながらも周囲を見回すと、その様子を温かく見守るフィーネがいた。
また、日本風なのは分かる不思議なアレンジが施された服を着た幼い少女。
そして目を閉じているのにこちらの様子をすべて察しているかのような、可憐な巫女服に身を包んだ女の子が目に入った。
「リーノ、だ、大丈夫だから。リーノが中に入って守ってくれてたんだよね。ありがとう。……でも、僕、ベッドの上だし、そんなに激しくされたらベッドから落ちちゃうよ」
僕が苦笑すると、リーノはゆっくりと顔を上げた。
恥ずかしそうに浮かべた笑みのなか、その瞳は涙で潤んでいた。
「リーノ、本当にありがとう」
「え、へへへ。まあ……精霊女王として、当たり前のことよ」
リーノは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに頭をかいている。
「私からも、もう一度言わせてもらうね。ヤノス、お帰りなさい」
フィーネの優しく響く声を、僕も穏やかな笑みを返した。
「ありがとう。それと……ここはどこ? あと、そちらのお二人も僕を助けてくれたんだよね。ありがとう。僕、ヤノスと言います」
「ここは都と呼ばれている、ヴァルハイトからはかなり離れた街よ。それとね……」
フィーネが視線で促すと、変な和風の服を着ている小柄な少女が、腰に手を当てて胸を張り、豪快に笑いながら自己紹介を始めた。
「わらわはルーハじゃ! ハハハハ! 良いか、よく聞けよ? わらわは光の大精霊であるぞよ!」
「光の大精霊のルーハさんですね。先ほども言いましたがヤノスと申します。僕を助けていただき、本当にありがとうございます」
「な、なんじゃお主……! 光の大精霊じゃぞよ!? 普通は、え、ええっ!? ひ、光の大精霊様ですか!? とか、腰を抜かして驚くものじゃろう!」
ルーハの完璧な一人芝居に、僕は思わず吹き出してしまった。
リーノもフィーネも必死に笑いを堪えている。
ただ一人、その光景をあっさりと受け流している巫女服の小さな女の子が、何事もなかったかのように自己紹介を始める。
「私はルミアと申します。ルーハ様のお世話をさせていただいております。ヤノス様、よろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
僕は挨拶を返しつつ、ルミアとルーハを交互に見比べた。そして、
「ねえ。リーノ、フィーネ」
「「何? ヤノス」」
「……見た目と違って、ルミアさんの方がルーハさんより年上だったりする?」
その瞬間、堪えきれずにタタミへ倒れ込み、お腹を抱えて大笑いを始めたのはリーノとフィーネだった。
大精霊としてのプライドを粉々にされたルーハは、憤慨したように頬をこれでもかと膨らませ、顔を真っ赤にしている。
ルミアだけが、恥ずかしそうにもじもじとしていた。
「ご、ごめんなさい! 何か、悪いことでも言っちゃったかな……? そうだったら本当にすみません」
僕が慌てて謝ると、リーノとフィーネの笑いのツボはさらに刺激され、二人とも息ができないほど苦しそうにのたうち回っている。
ルーハはついに頬の力を抜き、ショックでその場にガックリとしょげ返ってしまった。
ルミアはそんな主人の姿を見て、クスッと笑みを崩した。
「ま、ヤノスが無事に回復したようで一安心じゃの。ヤノスはもう少し休んでおれ。目覚めたばかりで、まだ本調子とは言えん。二、三日は安静が必要じゃな」
ルーハは、まだ床でうずくまって苦しそうに笑っているリーノとフィーネを恨めしそうに睨みつけながら、僕へ優しく声をかけてくれた。
「あの……ここに、リコルがいないみたいだけど?」
「り、リコルはね……あはは、ここへ転移して……来るのにね……私が、ちょっと待って、お腹痛い、少し……っ」
「いいよ、落ち着いたら教えて。あと、何か冷たい飲み物があったらもらえるかな?」
「「私もお願い!」」
綺麗にハモるリーノとフィーネ。
その二人を、ルーハが今もギロリと恨めしそうに見ている。
その光景を眺めながら、僕は『なんだか完全にカオス状態だな』と思っていた。
そう、まさにカオスだった。
「すぐにお持ちいたしますね」
目を閉じているのに、ルミアは何のためらいもなく的確な足取りで隣室へと退いていった。
その様子を僕は見送る。
「はーー、苦しかった! やっと笑いが治まったわ」
涙を拭うフィーネを、ルーハが歯ぎしりしそうな形相で睨んでいる。
フィーネは居住まいを正すと、僕へと向き直った。
「ヤノスが邪怪に襲われて、リーノがヤノスの体内に入り込んで魂を守っていたのは分かるわよね?」
僕は頷いた。
「ファミリーネーム”ネクサス”の絆のお陰で、リーノの能力の転移魔法は使えたんだけど……。距離が遠すぎたのと、私の魔力じゃ効率が悪くてね。何度も《ワープ》を繰り返す必要があって……。だから、リコルを連れてくる余裕がなくて……”安らぎの宿”のご夫婦にお願いしてきたの」
「そっか……なんだかリコルに悪いことをしちゃったね」
「それはリコルも納得してくれたわ。宿のご夫婦も<リコルのことは心配ないから、安心して行ってきなさい>って言ってくれたから」
「じゃあ、一日も早く元気になって帰らなきゃね」
フィーネとそんな話をしていると、リーノがすっと立ち上がった。
「それには大賛成、明日まで待って。私も含め、三人を《ワープ》で転移するのは、まだ魔素が万全じゃない」
リーノの言葉を引き取って、ルーハが話し出す。
どうやらもう機嫌は直ったようだ。
「そうじゃの。わらわ特製の薬を飲めば、明日には完全に回復するじゃろう。ま、今日はゆっくりと休みをとることじゃな」
「分かりました、ルーハさん。お世話になります」
「おう、任せておくのじゃ!」
そこへ、ルミアが果実水が入ったコップをお盆に乗せて部屋へと戻ってきた。
「どうぞ、果実水を持ってきました。皆様、どうぞお召し上がりください」
受け取った水はよく冷えており、果実の爽やかな酸味と甘みが絶妙にミックスされていて、乾いた喉をスーッと通り抜けていく。
「とっても美味しいです、ルミアさん」
「ありがとうございます。お気に召されたようで何よりです。それと、私のことは”ルミア”と呼び捨てにしてください。その方が私も楽ですから」
「じゃあ……ルミア、って呼び捨てにさせてもらうね」
「ヤノスがさっそく女の子と仲良くなった」
リーノが、じとっとした嫌らしそうな目でヤノスを見つめてきた。
それに対して、僕はニヤリと笑う。
「――リーノ。やっぱり、言葉遣いがすごく流暢になってるよね」
その瞬間、今度はフィーネとルーハが再びお腹を抱えて大笑いを始めた。
かなり苦しそうだ。
仕返しを成功させたヤノスは、「してやったり」という顔でリーノを見ている。
リーノは一瞬だけ悔しそうな表情を浮かべたが、最後は諦めたように深くため息をついて肩を落とすのだった。
その後、みんなが部屋を出たあと、こっそりとフィーネが戻ってきて言った。
「ねえヤノス。そのことでリーノをからかうのは、しばらく控えてあげてね」
どうやらリーノには精霊女王としての色々と深い事情がありそうだし、何より命を救ってくれた大恩人だ。
僕は「分かったよ」と頷き、その約束を心の片隅にしっかりと留めておくのだった。




