第74話 最後の一ミリと東の結界
【第三者視点】
ここは、都と呼ばれている街の、お社 (やしろ)と呼ばれている建物の一角。
ヤノスの身体に染み込んでいた邪気も、そのほとんどがすでに浄化されていた。
以前は黒く変色して露出していた手や足も、今ではそのほとんどが元の健やかな肌色へと戻っている。
ただ、治療のために脱がされた上半身の、胸の中心部だけが、今も禍々しく黒い邪素の存在を主張していた。
「さあ、これが最後じゃぞ。ここからが本当の正念場なのじゃ。一ミリのミスも許されぬ山場。集中していくのじゃ!」
「全く、地に足の着いていない下手な言い回しね。集中して頑張りましょう」
「ぬぁ、ぬぁにをぅ! 集中を壊す発言を! ここに来てまでも、おのれ……! よし、集中じゃ!」
いつものわけのわからない言葉のやり取りをしながらも、二人は寸分の狂いもなく治療を進めていく。
この数日間、二人の妙な会話のキャッチボールをずっと見せられ、すでに「無視」を決め込んでいるルミアは、全く意に介さず黙々と治療に当たっていた。
「わらわがこちらから攻めていくから、フィーネ。お主はその部分から攻めてくれ。頼むのじゃ」
「はいな」
「ルミア。そこが終わったらわらわの横に来て、ここを手伝ってほしいのじゃ」
「はい、ルーハ様」
黙々と治療が進み、胸の黒く染まった肌の部分が徐々に、本当に徐々に縮まっていく。
「それにしても、これほど細く、周りを強固に固めた魔素をうまく伸ばせるものじゃな。リーノの能力は前からそうじゃったが、このヤノスというやつ、ただ者ではないのじゃ」
「当たり前でしょう。私とリーノが二人で鍛え上げた結晶なのだから」
「そうはいっても、ここまでとはのう……」
何やらブツブツと呟きながらも、ルーハは治療を進める。
「よし。手を止めい」
ルーハの一言で、フィーネとルミアがパッと手を休めた。
「ここからが、最後の最後の最難関じゃ。わらわ一人でやる。フィーネもルミアも休んで良いぞ。まあ、わらわの神技を見たければ見ておれば良い」
「はーあ? 言わせておけば」
「ルーハ様、これをお飲みください」
ルミアがサッと魔素水を差し出す。
「おう。そうじゃ、そうじゃ。わらわとしたことが、少し焦ってしもうたわい」
「まったく。どこの話し言葉やらね」
「なんじゃ! まだ言うておるのかおぬしは!」
「さあ、人心地がついた。これでリーノもヤノスも助かる。……行くぞ」
真剣な眼差しで、ルーハがヤノスの患部へと集中する。
一秒一秒が、とてつもなく長く感じられた。
フィーネとルミアは瞬きも忘れて、ルーハの超絶技巧の手技に視線を集中させる。
――『ありがとう』――
どこからともなく、ほんのかすかに、聞こえるか聞こえないかのちょうど境目で、穏やかな感謝を告げる声が響いたような気がした。
「ふ――っ。終わりじゃ! すべて終了したぞ。あとは二人の体力の回復を待つだけじゃな」
「ありがとう、ルーハ」
「まあよい。当たり前のことをしたまでじゃて」
いつもの軽口を言おうとして、それを飲み込み、フィーネは軽い笑顔を返した。
「そうじゃな。ルミア、どこからか菓子を取って参れ。一休みしようぞ。そう、少なくとも三人前じゃぞ」
「承知しました、ルーハ様。お任せください」
「ねえ。今、聞き捨てならない言葉が私の耳を通り抜けていったんだけど。取って参れって言わなかった?」
「なんじゃ。言ったが、それがどうしたのじゃ」
「いやいやいや。取って参れって、それダメでしょう」
「はあ? わらわの物を取ってこさせるのじゃ。どこが悪い」
「わらわの物って、あなた働いていないし、お金ないでしょう。どうしてお菓子を持ってるのよ。それに、あなたのお菓子だったら”持って参れ”であって”取って参れ”じゃないでしょうに」
「ああ、それか。お主、ここがどういう場所か知っておるか? また、わらわもしっかりと役目を果たしておる。そう、働いておるのじゃ!」
「何を言っているの。ただぶらぶらと遊び呆けているだけじゃない」
「な、なにいぃ!? ただのぶらぶらじゃと!? い、言うに事欠いて!」
「まあ、言い過ぎたとは思うけど、じゃあ一体何をしているのよ」
「あのなぁ。この場所は、この国の最東端の街なのじゃ。そこでわらわが力を発揮しておる」
「最東端って言うけど、東には海じゃなくて陸地がまだ広がっているじゃない」
「まあ、よく聞くが良い。これより東には”人が住めぬ”という意味じゃ。これより東は、このヤノスが宿した邪気とは比べものにならぬほどの強力な邪気があっての。人類の誰も太刀打ちできぬ邪怪がうようよと闊歩しておるのじゃ」
「それがあなたとどう関係して、お菓子に結びつくのよ」
「あのなぁ、話をもっとよく聞け! その東におる邪怪や漂う邪気が、それ以上西に来ないように、常に警戒し、対応しておるのがわらわなのじゃ! わらわを誰と思うておるのじゃ」
「ただのお馬鹿さん!?」
「あのなぁ! お馬鹿さんじゃと!? わらわは真面目な話をしておるのだから……いやいや、そうじゃない。そこでじゃ、その邪気や邪怪から国を守ってくれておる者を称えて、ここに建ててあるのが”お社”と言われるいくつもの建物なのじゃよ」
「ルーハ。あなた、神様のような顔をして行動してるの?」
「ちがう、ちがう。そんなことはしておらんのじゃ。どうやらここは昔から、神が宿るところとして人々が祀ってきた場所のようでの。ちょうどそこが、邪気や邪怪からこの国を守る東の拠点となったことから、人々が感謝を込めてお参りに来るのじゃ。まあ、わらわも……それが嬉しいから、手助けはしておるがな」
「その、感謝を捧げるために納められた貢ぎ物のお菓子を、取ってこいと?」
「そうじゃ、そうじゃ! だから何も悪いことはないのじゃ!」
「なんだか騙されたような気もするけど、今回は目をつぶってあげるわ」
「ふん。ただの甘味に心が動かされているだけじゃろうに」
「何か言ったかしら?」
「ピュ〜〜、ピュ〜〜〜〜♪」
下手な口笛を吹いてトボけるルーハ。
「ルーハ様、フィーネ様、お待たせいたしました。すぐにお茶の用意をいたしますね」
ルミアが戻ってきた。
目の前には山のような高級甘味が並び、それを前にして、ルーハとフィーネの顔には全く同じ”悪い笑み”がこぼれるのだった。




