第72話 光の精霊のお社
【第三者視点】
ヤノスの容態を心配そうに眺めながらも、リーノは漂う邪気を無視して手を広げた。
少しでも彼を楽にしようと、必死に現状維持の魔法をかける。
そこへ、空間の揺らぎと共にフィーネが《転移》で戻ってきた。
「フィーネ。申し合わせてたようにやるよ。後は頼んだ」
「任せておいて、ちゃんと運んであげる」
その言葉が終わるのが早いか、リーノの姿がヤノスの体内へと沈むように消えていく。
暗黙の了解でことが進んでいく。
リーノの姿が消えたのを確認したフィーネは、すぐさまヤノスに三重のバリアを張った。
今回はヤノスの体の負担を減らすために、浄化の性質はまとわせていない。
バリアを張り終わると、ヤノスの身体を抱き上げ、その場から一瞬で姿を消した。
あらかじめ目印をつけておいた目標地点への《転移》を何度か繰り返す。
ルーハと事前に示し合わせていた、都の中心にある杜から少し離れた場所へとたどり着く。
この杜の持つ自然の浄化作用が、ヤノスへどう影響するか分からないので緊急時の待ち合わせとしてルーハと事前に申し合わせていた場所だ。
『ルーハ、聞こえる? 今たどり着いたわ。お願い!』
『解ったのじゃ。すぐ参る』
それから間もなく、杜の木立を抜けてルーハが息せき切って駈け寄ってきた。
「は……は……、わらわは空間魔法を使えんのじゃぞ。は……は……、フィーネが転移してわらわを連れに来ると、は……は……、思っておったのに、すぐに念話を切りおって……」
『あら、ここで声を出して良いのかしら。それに、ヤノスが心配なのに側を離れるわけにはいかないでしょう』
肩を上下させながらも仕方なく納得したルーハが、まだ息を整えきれない様子でヤノスの容態を観察する。
『……ふぅ。この子がヤノスとか申す者じゃな。バリアもしっかりしておる。念のためにわらわの結界も重ねておこうかの。隔離室・前室の準備も終わっておる。早く移動するぞ』
ヤノスを抱きかかえたフィーネは、ルーハの後に続いて地を駆けた。
朱塗りのお社をいくつか横切り、中心部から少し外れた場所に佇む、小さなお堂のような建物の前へとたどり着く。
『ここは厳重に立ち入り禁止が守られておる建物じゃ。誰に見られることもない、安心して良いぞ。中の音も外に漏れぬようにしてある。うむ、褒めてもよいのじゃぞ?』
『今はその気持ちになれない。早く中へ入れて』
『慌てるでない。厳重に封をしてあるからの』
ルーハは念話をしながら何やらごそごそと手を動かしていたが、振り返るとフィーネを見つめてニヤッと笑った。
次の瞬間、音もなく扉が開き、建物の中へと入れるようになる。
『ようこそ、わらわの隠れ家へ』
中へ入ると、そこは土のままの土間になっていた。
「ここは靴を脱いで上がるようになっておる。まあ、それが楽じゃしな」
お堂の中に入った瞬間、ルーハは声を出して喋り始めた。
一段高くなった板張りに腰掛け、靴を脱いでいく。フィーネもヤノスを一度横たえ、同じように靴を脱いだ。
ルーハが幾枚か並んでいる木枠に紙を貼った戸の一枚を横に滑らすと、ひっそりと簡素ながら、どこか心落ち着く美しい部屋が現れた。
「ここが前室じゃ。体にまとわり付いた邪気を払えるようになっておる。ここはもう結界の内でな、もう念話でなくとも構わん。普通に声を出して話すがよい」
その声に応じるように、さらに奥の部屋とを仕切る、先ほどよりはしっかりとした紙の貼られた扉の一枚が滑る様に動いた。中からルミアが声をかけながら近づいてくる。
「フィーネさん。お待ちしておりました。それに……、そのお方がヤノス様ですね……? それと、リーノ様の気配もいたします」
ルミアは少し首をかしげながらも、すぐに居住まいを正した。
「すみません、お急ぎでしたね。さあ、奥の部屋へどうぞ。隔離室になっております」
部屋の中に入ると、一番奥には土で塗られた壁があり、左右には入ってきた扉と同じような戸が何枚か並んでいた。
本来なら心を洗われるような美しい絵が描かれているのだが、今はそれを感じる余裕もない。
「どうぞ、こちらへヤノス様を……」
中央に人の腰まであるベッドが一つ置いてあり、そこへヤノスを横たえさせた。
その瞬間、それまでどこかおちゃらけていたルーハの顔が、別人のようにキリッと引き締まった。
「ほぉ。ヤノスとやら、若いのによくやりおる。しっかりと魂を守っておる。それに、リーノもまぁ。ヤノスのすべてをかいがいしく包み込んでおる。これなら大丈夫じゃろう。そうは言っても状態が良いとは言えんので、時間はかかるが、まあ安心せい。わらわが助けるわ」
口調は軽いが、その顔は真剣そのものだった。
「ルミア。フィーネ。しっかりと自分の体にバリアを張り、魂を守るのじゃ。これから始めるぞ。どのような邪怪が取り憑いているかもわからん。まずは、意識を魂へ集中せい」
その言葉を聞くやいなや、ルミアとフィーネは即座に意識を内側へと向け、自身の防御に集中する。
ルーハがヤノスの身体の上に両手を掲げて何やらつぶやくと、次の瞬間、ヤノスの身体から強烈な怒りを宿した邪気が噴出し、一気に部屋に充満した。
部屋の四方に広がった邪気は、周囲の結界に力がそぎ落とされ、最後には薄いモヤとなって消え去った。
ルーハは大きなため息をつくと、二人に声をかける。
「二人とも、もうよいぞ。意識を戻すがいい。ルミア、あれを頼む」
ルーハの声に意識を取り戻したルミアが、すぐさま前室へと下がり、手際よく扉を閉める。
「どうじゃフィーネ」
「かなり強い邪気ですね……」
「そうじゃな、あれでもヤノスにとりついている邪素のほんの一部でしかないがな。邪素が漏れ出てすぐにバリアで隔離したが、わらわも驚いたわ。まあ、滅多に見られぬ強さじゃな。少しずつ気長にやるしか道はないようじゃ」
「ルーハ様、持って参りました」
「おう。ご苦労じゃ」
ルミアのしっかりした無駄のない動きに、目が見えていないという事実を忘れそうになる。
「フィーネ、これじゃ。今日のうちに少しは改善させておかんとだめじゃろう。自分の体内魔素が少なくなってきたと感じたらすぐに飲むが良い。ルミアも忘れずに飲むのじゃぞ」
渡された小瓶を見ると、中には光を放つ無色透明な液体が入っていた。
想像を超える高濃度の魔素水だった。
「用意は良いか。またいくぞ」
先ほどと同じように、ヤノスのバリアが一時的に解かれ、溢れ出た邪素を浄化する。
この工程を何度か繰り返し、その日の治療は一旦終了となった。
治療側の体力もだが、ヤノスとリーノの体力の問題もある。
前室へと戻り、身体にまとわりついた邪気を外へ持ち出されないよう、入念に相互浄化を行った。
靴を脱ぐために座った板張りを移動して扉を開けると、前室と同じような部屋があった。
「この奥がフィーネの部屋じゃ。ゆっくりと休むが良い。右隣の部屋がヤノスのいる隔離室じゃが、移動できないようにこの扉はすべて固定されておる。わらわとルミアは、ヤノスたちの部屋を挟んださらに奥にある。何かあれば声をかけるが良い。同じ作りじゃから解るであろう」
「やはり、その口調は慣れないわね」
「何をからかっておる。わらわ達は失礼するぞ」
苦笑するフィーネに、ルーハは呆れたような表情を見せながらも、ルミアを連れて部屋を後にした。
「ルーハ、ありがとうね」
背中に声をかけると、ルーハは片手を上に上げ大きく振り、そのまま角を曲がっていった。
静かになった部屋で、フィーネはあることに気づいて戸惑った。
『ねえルーハ。ベッドはどこにあるのよ。これじゃ眠れないじゃない』
たまらず念話を飛ばすと、すぐにルーハからの返言が脳内に響いた。
『奥の四枚並んでいる戸の、右二つに”布団”という物が置いてあるのじゃ。ベッドのように台になるものはないが、畳の上に敷いて寝ると良いぞ』
『タタミって何よ?』
『床みたいなものじゃ、植物で組んだような床になっているであろう、それがタタミじゃ』
言われた通りに右側の戸を開けると、寝るときに上に掛けるものと、下に敷くものと思われる厚手の布が綺麗に畳んで入れてあった。
それをごそごそと取り出し、畳という未知の床の上に敷いて、身体を横たえる。
ベッドではないのに意外なほど身体が落ち着くことに驚きながらも、一日の極限の疲れが一気に押し寄せ、フィーネはあっという間に深い眠りへと落ちていくのだった。




