第61話 五百年の宿願
ギルバート様の戻りを待っていると、リリアーナ様が僕たちに向き直って口を開いた。
「ヤノス様、リーノ様、フィーネ様、リコル様。……【万絆の恩光】の皆様、どうか母をよろしくお願いします。私のことはどうか、リリアとお呼びください。親しいものは皆そう呼んでおりますから」
リリアーナ様はすがるような瞳で僕たちを見つめ、深々と頭を下げた。
「先ほどギルバート様からも、そのようにお名前で呼んでほしいという身に余る光栄をいただいております。さらに、手助けが必要であれば何でも言ってほしいとの、誠にありがたいお言葉をいただきました。私どもも全く同じ気持ちでございますので、リリア様、どうぞお気遣いはご不要です」
「まぁ……! 何から何まで命を助けていただいた上に、そのような温かいお言葉まで……。私、これ以上ないほど嬉しいですわ」
リリア様がようやく年相応の柔らかな笑みを浮かべた、その時だった。
いきなり食堂の重厚な扉が開け放たれ、先ほど部屋を出ていったばかりのギルバート様が、ひどく急いだ様子で息を切らせて声を上げられた。
「ヤノス君! 妻も、君たちの想像を遥かに超える提案に驚いており、喜んでその治療に身を任せると言っている! ぜひ、ぜひ私とともに妻の所へ来てほしい!」
案内されたロザリア奥様の病室は、調度品の一つひとつに洗練された高級感が満ちあふれ、非常に落ち着きのある部屋だった。
部屋の奥の大きなベッドには、顔色こそ優れないものの、気品に溢れた一人の美しい女性が、わずかに上体を起こす姿勢で僕たちの入室を待ってくれていた。
「あなたたちが、リリアの命の恩人の方々ですね。本日はせっかくのお礼の席に同席できず、本当に申し訳ございません。その上、私の病気の治療まで提案していただけるなんて……何から何まで、誠にありがとうございます」
メイドに支えられながらも、気丈にも僕たちへと言葉をかけでくださった。
「――あら、すみませんわ。私としたことがご挨拶が遅れてしまいました。ギルバートの妻、ロザリア・ヴァレリア・ヴァルハイトでございます。どうか気安くロザリアとお呼びくださいね」
病床にあっても崩れない完璧な貴婦人の微笑みに、僕は居住まいを正して一礼した。
「ロザリア様、お体に障りますので、私どもの詳しい自己紹介は後ほどとさせてください。まずは一刻も早く、ご提案したい治療法についてご説明してもよろしいでしょうか?」
「ええ、よろしくお願いします。あなた方こそ、どうかお気遣い無用でお願いしますね」
「ありがたきお言葉、誠にありがとうございます」
僕は頭を上げると、隣に立つ少女へと視線を送った。ここからの診察は、僕よりも適任者がいる。
『……僕よりもリーノの方が、体内の状態をよく探れるよね。診てもらってもいいかな? それと、僕たちの素性をこれだけ明かすなら、リーノが”精霊女王”だということも最初に伝えておいた方がいいと思うんだけど、どうだろう』
『構わない。……ヤノスの好きにして』
『ありがとう、リーノ』
僕は小さく頷き、ベッドの上のロザリア様へと向き直った。
「まずは、ロザリア様のお体を詳しく診させていただいてもよろしいでしょうか。お姿はそのままで結構ですので、私の隣におりますリーノに診察を任せたく存じます」
「先ほど申しましたように、遠慮は無用です。普段の喋り方で結構ですので、どうか気を楽にしてくださいな」
「ありがとうございます。――では、お言葉に甘えて。ロザリア様のお体を診るこのリーノですが、実は人間ではありません。……”精霊女王”なのです。ですから、安心してお体を任せてください」
その言葉が室内に落ちた瞬間。
ベッドの上のロザリア様はもとより、傍らにいたリリア様、探るように見ていたギルバート様の顔が、同時に凄まじい驚愕の表情へと染まった。
部屋の空気が完全に凍りつき、全員が言葉を失って絶句している。
「……せ、精霊、女王……様? まさか、そんな……」
ギルバート様がガタガタと小刻みに震え始めたかと思うと、次の瞬間、公爵という最高位の貴族の立場も忘れ、その場に崩れ落ちるように床へ片膝を突いた。
そして、大粒の涙を床にボタボタと零しながら、消え入りそうな声で平伏したのだ。
「おお……なんということだ……! 五百年……我がヴァルハイト家に伝わる初代領主の遺言が、まさか今、この目の前で現実となろうとは……!」
「お父様……!?」
突然のギルバート様の取り乱し方に、リリア様が困惑の声を上げる。
ギルバート様は涙に濡れた顔を上げ、畏れ多くて直視できないといった様子でリーノを見上げながら、公爵家に伝わる”歴史”を語り始めた。
「今から五百年前、このグランザス州は、開発の全く遅れた過酷な島だった……。まともな都市はこのヴァルハイトのみで、人々は邪怪の脅威から町を守るだけで精一杯だったのだ。農業ですらできず、細々と生きる人々を救うため、政都から派遣された青年貴族は過酷な環境で病没。その貴族の補佐役こそが、我が家の初代領主ヴァレスタ様だった」
ギルバート様は溢れる涙を拭いもせず、歴史の真実を紡ぎ続ける。
「亡き貴族を追って政都からたどり着いた許嫁の女性は、許嫁がもう亡くなられたことを知らされたが、絶望の中で初代領主と共に立ち上がられた。だが、当時の町は魔獣と邪怪の同時襲撃に晒され、まさに壊滅寸前……。そこへ絶望を払うかのように突如現れたのが――リーノ様、あなただったのだと、家系図の裏に今も生々しく書き残されている!」
息を呑むリリア様をよそに、ギルバート様の熱い独白はさらに加速していった。




