第60話 公爵夫人の病
【聖光の慈雨】のメンバーたちの足音が食堂の向こうへと完全に遠ざかり、重厚な扉が閉まったのを感じ取ったギルバート様が、静かに言葉を発せられた。
「妻のロザリアの容態であったな。少し長くなるが、聞いてほしい」
その後、ギルバート様から説明された内容は、驚くべきものだった。
「実は……我が妻の母、リリアーナの祖母が、かつて重病に見舞われたのだ。体内にある”魔力”が暴走してしまい、いつ命を落としてもおかしくない容態だった」
ギルバート様は辛そうに当時を振り返り、言葉を絞り出す。
「医師の見立てでは、過剰な魔力を一時的に安全に抑え込むには、特殊な効能を持つ”ガハラの葉”が必要不可欠だということだった。だが……」
「あらゆるルートを使って尋ね回ったが、その存在を知る者すらいなかった。王都まで手を広げて調べさせ、ようやく分かったのは、それが”幻の薬草”と呼ばれている事実だけだった」
「幻の、薬草……!?」
僕は思わず呟くと、ギルバート様は重く頷かれた。
「ああ、過去に採集された最新の公式記録が、なんと五百年前にまで遡るというのだよ。そのとき採集された葉の最後の一片が確認されたのも二百年前のことだった。それ以降の現存は、絶望的だと告げられた」
(五百年前……? 確か、ギルドマスターも同じことを言っていたような?)
あまりにも途方もない年月に、僕たちが絶句していると――隣にいたリーノが一瞬だけ、気まずそうにふいと視線を逸らし、天井の彼方を見上げた気配がした。
(……きっと僕の気のせい、だと思いたい)
「だが、公爵家としては、諦めるわけにはいかなかったのだ。そこで最後の望みをかけ、冒険者ギルドへ緊急の採集依頼を出したというわけだな」
ギルバート様はそこで一度言葉を切り、今でも信じられないといったように目を見開かれた。
「すると、どうだ。依頼を出したまさにその日のうちに、冒険者ギルドから急使が走り、ガハラの葉が屋敷に届けられたのだよ。……そう、君たちが届けてくれた、あの葉がな」
「あ……」
僕は思わず息をのんでしまった。公爵様の緊急依頼と、僕たちがギルドで依頼を受けたタイミングが、奇跡的に重なっていたのだ。
「おばあ様に会いたいというリリアーナが、隣領の母のもとへ向かい、無事におばあ様の回復を見届けることができたのだ。……そして、その帰路で起こったのが、あの野盗の襲撃事件だったのだよ」
点と点が全て繋がり、僕たちは深く納得して頷いた。
だが、ギルバート様の表情は晴れるどころか、さらに苦痛に歪んでいく。
「しかし……妻であるロザリアの容態が、今朝になって急激に悪化してしまったのだ。医師もその進行の速さに驚いており、すぐさまガハラの葉を用意して魔力を抑え込まなければ、今夜にも間に合わないかもしれないと言われてな……」
ギルバート様の沈痛な告白に、食堂を包む空気が一気に張り詰め、切迫した重苦しさに包まれる。
すると、状況の全貌を把握したフィーネが、穏やかな自信を秘めた笑みを浮かべて口を開いた。
「事情はよく分かりましたわ。……ですが、お話をお聞きする限り、ただガハラの葉を用意して魔力を抑えるだけでは、奥様の根本的な原因は解決しないと思われます。――ねえ、ヤノス? 薬草の知識や今後の対応については、あなたの方がずっと詳しいでしょうから、これからの具体的な治療法をしっかりと説明してさしあげて?」
フィーネが、極上の笑顔を僕に向けてくる。
だが、その美しい目の裏には、「はい、さっき私たちへ問題を投げたことへの”倍返し”です」という、極めて強い意志が込められているのをビンビンに感じた。
わざわざ念話で言われるよりも、恐ろしいほど心に響く。
仕返しが成功したと喜んでいた僕の頭に、特大のブーメランが突き刺さった格好だ。
期待と一縷の望みに満ちたギルバート様とリリアーナ様の熱い視線が、一斉に僕へと注がれる。
僕は覚悟を決め、居住まいを正した。
「……どうして、これから僕が提案する治療が最適なのか、ただガハラの葉を用いて魔力を抑え込むだけの治療より優れているのかを、詳しくご説明したいと思います。ただ、よろしければ奥様ご本人にも一緒にお聞きいただき、心から同意なさった上で治療に当たりたいのですが……。奥様が休んでおられる病室へ、僕たちのような部外者が出向くのが無粋であるというのは十分に承知しております。ですが、よろしいでしょうか?」
そう言って場をつなぎながら、念話でフィーネへと『詳しい治療方法を教えてくれ』と懇願する。
「おお、そうだな! 妻自身が心から信頼して治療を任せることも、病を払うためには最も大切なことであろう。私は構わない、今すぐ妻にも聞いてくる。少しの間、ここで待っていてほしい!」
そう言うと、ギルバート様は溢れんばかりの希望を顔にみなぎらせ、急ぎ足で食堂を後にした。
残された僕たちは、この後に待ち受ける”五百年の宿願”の真実を知る由もないまま、静かに公爵の帰りを待つのだった。
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