第58話 公爵の歓待
【聖光の慈雨】と【万絆の恩光】がバラバラに領主の館へ向かうよりは、まとまって向かった方がいいだろうということになり、冒険者ギルドの出入り口の横でギルさんたちを待っている。
程なくして【聖光の慈雨】のメンバーが揃ってやってきたので、合流して共に移動を開始した。
領主の館は、冒険者ギルドの建物の横を通っている道を、建物の奥へと向かって行くらしい。
「綺麗な川だね」
並んで歩いていたリコルが、嬉しそうに声を弾ませた。
冒険者ギルドの建物の裏手は広い川になっていて、そこには二本の橋が架かっていた。
ただ、冒険者ギルドがある方の川岸には、優に十メートルはある分厚い壁が延々と続いていた。
この街には外壁の内側にさらに三つの防御壁があって、内側から順に”第一内壁”、”第二内壁”、”第三内壁”と呼ばれている。
「ヤノス君、この街の北西方向に”邪怪”が闊歩する危険地帯があるのは聞いているな? この街はその邪怪に対する防衛線を担っていてね。四重の壁で住民を守る構造になっているんだよ」
ギルさんの言葉を聞き、川のほとりに沿って走る巨大な壁を見上げる。
これが人々の最終防衛ラインであることを思えば、この街の持っている危機感がひしひしと伝わってくるようだった。
川に架かる二本の橋のうちの一本を渡ると、そこはロータリーのような円形の構造になっていて、道の横に設けられた広場に立派な馬車が二台、静かに停車していた。
「【聖光の慈雨】の皆様、ならびに【ネクサスレイズ】の皆様、お待ちしておりました。私はヴァルハイト領主館にて執事長を務めております、セバスと申します。我が主がお待ちかねでございます」
汚れひとつない見事な執事服を完璧に着こなした、まさに紳士の鏡のような人物だった。
「どうぞ、こちらにご用意いたしました馬車へ、それぞれのパーティーごとに分かれてご乗車ください。お屋敷までご案内いたします」
隙ひとつない慇懃な一礼をもって、僕たちを丁重に出迎えてくれる。
二つのパーティーを代表し、一歩前へ出たギルさんが朗らかに微笑んで頭を下げた。
「ご丁寧なお出迎え、誠にありがとうございます。我らのためにこれほど立派な馬車までご用意いただき、感謝に堪えません。それではセバス殿、お言葉に甘えて乗車させていただこう。――皆、失礼のないようにな」
ギルさんの合図を受け、僕たちは促されるままに馬車へと乗り込んだ。
到着した領主館は、豪華さを意図的に抑え、洗練された気品に溢れていた。
派手な装飾などはなく、領主であるギルバート様の人格そのものを表しているかのようだった。
「今日は堅苦しいしきたりなど一切お気になさらず、どうかおくつろぎください。我が主もそれを切に望んでおります。お気遣いに心砕かれることなく、ささやかではございますが、お食事をご堪能いただけますと幸いです」
「ギルバート様、お客様方をお連れいたしました」
開け放たれた扉の向こうに広がっていたのは、十数人が一堂に会して食事を楽しめる広大な食堂だった。
物語や噂などでよく耳にするように、まずはどこかの待合室で長く待たされ、さらに食堂に移動してからも待たされる。
そのような高圧的な流れを想像していた僕は、その温かい光景に、良い意味で完全に裏切られることになる。
部屋の奥で、すでに席から立ち上がり、僕たちを出迎えてくれたのは、領主ギルバート様その人だった。
長机の最も奥の席にギルバート様、そしてその正面には、先日の野盗襲撃の際にお会いしたお嬢様のリリアーナ様が、同じように立ち上がって僕たちの到着を待ってくれていた。
「ようこそわが家へ。今日は多忙な日々を忘れて楽しんでほしい。さあ、皆、席へ」
温和ながらも凛とした中年の紳士のギルバート様が、極上の笑みを浮かべて僕たちを席へと促した。
「まずは私から、挨拶をさせてもらうよ」
ギルバート様は朗らかな笑みを浮かべ、僕たち一人ひとりの顔を頼もしそうに見つめた。
「私は、このヴァルハイト領を預かる領主、ギルバート・ヴァレスタ・ヴァルハイト公爵だ。我が愛娘の命を救ってくれたこと、転じて騎士副団長をはじめ、多くの騎士たちの危機を救ってくれたこと……なんと言ってお礼を言えばよいか、言葉では表せぬほどの感謝の気持ちでいっぱいだ」
ギルバート様はいったん言葉を切り、再び僕たち一人一人に目を向けた。
「この館にいる間は、私のことはただの”ギルバート”と呼んでほしい。もし私の力で済むことであれば、何でも申しつけてくれ。できる限りの助力を約束しよう」
ギルバート様はそこで一呼吸置くと、目の前に並ぶ豪華な料理へと視線を向けた。
「おっと、食事を前にして長話をするのは無粋であったな。さあ、これからの食事を、どうかゆるりと楽しんでくれ」
凜として、それでいて心からの温かさに溢れたお言葉に、僕たちの頭は自然と深く下がった。
すると、ギルバート様の言葉を待っていたように、リリアーナ様が静かに居住まいを正され、僕たちへとお言葉を向けられた。
「先日は私リリアーナ・ヴァレリア・ヴァルハイトを窮地からお助けいただき、誠にありがとうございました」
リリアーナ様は深く頭を下げられ、次に僕たちへと視線を向けながら話を続けられた。
「その節は、恐怖に囚われていたとはいえ、皆様に十分な感謝もお伝えできず、ずっと心を痛めておりました。ですが今日、こうして皆様をここへお迎えし、お食事を共にできますこと、誠に嬉しく思っております。お食事とともに、ぜひ皆様の楽しいお話をお聞かせいただけますと幸いです」
今の僕の年齢より下のはずだが、気品に溢れ、それでいてどこか親しみを覚えるお嬢様のお言葉に、みんなの顔も自然とほころんだ。
次々と運ばれてくる料理はどれも素晴らしいものばかりだった。
ギルバート様とリリアーナ様が僕たちの緊張をほぐすように優しく会話をリードしてくださる。
そのおかげで、本来なら味も分からないほどの状況なのに、とても心地よく過ごすことができている。
会話が、リリアーナ様たちを助ける前日の話に及んだときのことだ。
僕たちがオークの集落を発見し、試験を一時中断して【聖光の慈雨】と共に、実に七十体を超えるオークを討伐した話になると、ギルバート様は驚きのあまり完全に絶句された。
「まさか、七十体ものオークの集落を……。いくら実力派の【聖光の慈雨】がいるとはいえ、試験中の若い君たちまで巻き込んでの総力戦になるとは、凄まじい死線を超えてきたのだな」
痛ましくも感心したように呟く公爵様に、ギルさんが真剣な面持ちで状況を説明してくれる。
「公爵様。あれは放置すれば近くを通る街道が使えなくなる恐れがありました。試験を即座に中止し、私たちも総出で動きましたが……ただ、実際に攻略の戦略を立て、討伐の要となって最も多くのオークを討伐したのは……」
ギルさんの視線が、僕たちへと向けられる。
「ここにいるヤノスくんたち【万絆の恩光】の面々です。彼らの驚異的な実力と判断力がなければ、我々とて無傷では済みませんでした」
そんなギルさんの過分な評価に僕たちが恐縮する中、リリアーナ様は身を乗り出すように目を輝かせ、熱心に僕たちの話に耳を傾けてくれていた。
いつの間にか楽しく美味しい食事も終わりに近づき、食後の飲み物と、それに合う色鮮やかなデザートが運ばれてきた。
「今日は、本当に楽しいひとときが持てた。思い返せば、このような穏やかな時間は、我が家にとってここ数年で数えるほどもなかった気がするよ」
先ほどまで優しい笑みを浮かべていたギルバート様の顔が、一瞬、深い翳りを見せた。何かを思い切ったように、公爵様は静かにお言葉を続けられる。
「楽しい食事の席で、このような湿っぽい話をして申し訳ないのだが……。本来、この場には私の妻であるロザリアも同席し、君たちを迎えるはずであったのだ」
その言葉が耳に入った瞬間、正面に座るリリアーナ様の顔が、悲しみを必死に堪えるような痛々しい表情へと変わった。
「今朝までは皆さんと食事をし、直接お礼を伝えたいと強く望んでいたのだがね。ここ最近体調を崩しがちで……本人は平気だと言い張っていたのだが、直前になって急に容態が変わってしまって……妻のロザリアの分まで、私から感謝の気持ちを伝えさせてほしい」
ギルバート様の沈痛な告白に、僕たち全員の顔に陰りが広がる。
食事のお世話に奔走されていた、メイドさんたちの表情が一瞬にして曇り、食堂を包む空気が、一気に重く切ないものへと変わっていった。
――その時だった。
それまで俯いていたリリアーナ様が、痛切な面持ちでガタ、と勢いよく椅子を鳴らして立ち上がったのだ。
「……お父様、申し訳ありません」
驚いて目を見張るギルバート様を余所に、リリアーナ様は悲痛な、けれど退けない決意を秘めた瞳で、僕たちを真っ直ぐに見据えた。
「皆様。――どうしても、皆様にお聞きしたいことがあるのです」




