第57話 事後報告と愛ある説教
領都ヴァルハイトの巨大な外壁が見えてきたとき、僕は街中でのルールを思い出し、背中にヒヤリと冷や汗が流れた。
本来なら街に入る前に、フェンとファルには《エデンテーラ》の空間内へと戻ってもらうべきだったのだ。
だが、リリアーナ様やアービン副騎士団長のおかげで、特に呼び止められることなく、僕たちは難なく正門を通過することができた。
その圧倒的な影響力に、心からほっと息を吐く。
「ただしヤノス君、後で冒険者ギルドへ行き、しっかりと二頭の”従魔登録”をしておくようにね」
と、アービンさんから笑顔で釘を刺されてしまったけれど。
さらに別れ際、リリアーナ様からは、
「領主の館で、父である領主共々しっかりとお礼をしたいのです。後日ご招待いたしますので、ぜひ参加してくださいね」
と、真剣な眼差しで念を押されたのだった。
外壁での簡易的な手続きが済んだ後、僕たちと【聖光の慈雨】のメンバーは、警護兵たちの先導で真っ直ぐに冒険者ギルドへとやってきた。
すでに警備隊から何らかの早馬の知らせが届いていたようで、僕たち【万絆の恩光】の四人は、到着するなりギルドの別室へと案内されて待機することになった。
ギルドマスターが【聖光の慈雨】のメンバーから事の詳細な報告を聞いた後、ようやく僕たちが呼び出され、全員が同席した状態で、この重苦しい話し合いが始まっていた。
今は、恐ろしく渋い顔をしたギルドマスターの正面で、僕たち全員が申し訳なさそうに身を縮めて座っている。
「【聖光の慈雨】のみんなは、本当に、本当にご苦労であった。今日は酷く疲れているだろうから、まずはゆっくりと休んでくれ。明日、何時でもいいのでギルドに顔を出してくれれば、そのときに詳しく公式の報告を聞く」
「ほ、本当に、私たちは今すぐ帰っても良いのかなぁ?」
アンナさんが恐る恐る尋ねる。ギルドマスターは深く頷き、表情を少しだけ和らげた。
「おうよ。今回の迅速な対応、ギルドとしても大変感謝している。様々な書類手続きは明日で構わん。今日は、その体を十分に休めてくれ。本当にご苦労であったな」
「わ、悪いなヤノス君。先に帰らせてもらうぞ」
「さ、先に帰るね……!」
「ヤノス君、リコルちゃん、リーノさん、フィーネさん。お先に失礼しますね」
「悪いが、先に休ませてもらう。申し訳ない。今度は、ぜひ一緒に正式な依頼を受けたいものだな」
ガイスさんたち【聖光の慈雨】のメンバーは、居残りを命じられた僕たちに対して、それはそれは申し訳なさそうに、しかしこれ以上の長居はもっての他と足早に部屋を後にしていった。
パタン、と重々しい扉が閉まる。
部屋に残されたのは、僕たち四人と、ギルドマスターだけだ。
「で。――まず、初日から何があったか、順を追って聞こうか」
「あ、あのう……。僕たちも、その……」
「はぁ? 疲れてるから明日にしろ、とか言うんじゃないだろうな?」
ギルマスの鋭い声が部屋に響く。
「い、いいえ。大丈夫です……」
「お、おう、そうだ。ヤノスにはこのまま残ってもらうが、リコルさん、リーノさん、フィーネさんは先に宿に帰って体を休めてくれ。報告はリーダーであるヤノスから直接聞くから、お前さんたちはもう大丈夫だ」
僕へ向ける氷のような瞳とは一転して、驚くほどの優しさをまとった瞳を他の三人に向けながら、ギルマスは声をかけた。
それは、これ以上ないほど僕に対する冷酷な当てつけを含んだ響きだった。
「え……っ?」
「何か問題でもあるのか」
有無を言わさぬ冷徹なギルドマスターの眼光が、まっすぐに僕を射抜く。心が凍りつくような感覚に襲われる。
「おにぃ。……わたしも、残るよ」
「ヤノス君……、一人でいいよな!」
僕の服の裾を掴むリコルの手を、フィーネが優しく引き離した。
ギルドマスターからの”君”付けでの指名に、僕の心は完全にすくみ上がった。
「ヤノス君? 君から事情を聞くことができれば、それで十分だと思うんだけど……どうだろう? 私の笑顔が、そんなに怖いかい?」
書類をトントンと机に叩きつけながら浮かべるギルマスの笑顔が、心底恐ろしい。
「……はい。僕が、全てご報告します」
「おにぃ……」
リコルはまだ言葉の途中だったが、リーノとフィーネに優しく促され、引きずられるようにして部屋を出ていった。
三人の足音が静かに遠ざかり、完全に聞こえなくなったのを見計らってから、ギルドマスターがようやく背もたれに深く体重を預けた。
「おい、ヤノス。お前は本当に……いつも俺の想像の遥か外側を突っ走っていく奴だよな」
「あの――その、成り行きというか、致し方なかったと言いますか……」
「まあ、事情は分かっちゃいる。【聖光の慈雨】からの簡単な速報メモを読めばな! オークの集落がありそうだ、実際に発見した、ならば今ここでどうにかしなければ被害が出る」
そこで一旦言葉を止め、ギルドマスターが僕を見る。
慌てて僕は頷く。
「更にだ、街道で盗賊に襲われそうな馬車がある、ならば実力のある自分が先回りしてどうにかしなければならない。――お前さんが取った行動の理由が、理解できないわけじゃない」
「え……?」
想像を遥かに超えた、どこか父親のような優しい響きだった。僕が思わず、ほっと胸を撫で下ろしかけた、まさにその瞬間だった。
「だがな、ヤノス!! お前の命は、世界にたった一つしかねぇんだよ!! お前のことを本気で心配している人間が、どれだけたくさんいるのかを、絶対に忘れるんじゃねぇ!!」
ドォン、と机が激しく叩かれ、部屋の空気が震えるほどの凄まじい雷が落ちた。
あまりの気迫と正論に、僕はぐうの音も出ない。
「頭でどれだけ理屈を理解できていても、それじゃダメなんだよ! 心の底から分かってなきゃ意味がねぇんだ!」
「オークの集落の強襲! 野盗の電光石火の討伐! どれ一つ取ってみたところで、一歩間違えば命を落とす、そんな瞬間が、ごまんと存在してんだよ! 俺は、実力のある奴が、あっけなく命を落としてしまうことを、どれだけ経験してきたと思う!」
厳しく、激しい怒声。
けれど、その奥に満ちあふれているのは、僕への純粋な愛情と心配の念に他ならなかった。
僕はただ、返す言葉もなく、じっとその叱責を聞き入るしかなかった。
「他の三人にわざわざ部屋を出て行ってもらったのもな、あの三人がお前を大切に想うあまり、言いたくても言えないことを、代わりに俺が伝えてやるためだ」
その言葉が胸に刺さった瞬間、ポロポロと涙があふれ出し、僕の太腿の上に一滴、また一滴と落ちてシミを作っていった。
「オークの集落をどうやって攻略しただの、野盗をどう処理しただの、そんな細かい技術的な報告はもう聞かん。だが、これだけはもう一度言っておく。お前さんの命は一つだ。そして、お前さんが取った無茶な行動は、自分の命だけでなく、仲間や【聖光の慈雨】のメンバーといった周りの者たちの命をも、等しく危険に晒しかねなかったってことを、絶対に忘れるんじゃないぞ」
「う……っ……」
「【聖光の慈雨】は熟練のAランクパーティーだ。オークの集落へ夜襲をかける危険性を、自分たちで十分に把握した上でその責任ある行動を取った。だから、お前さんから奴らに余計な釈明をする必要はねぇ。だがな――自分のパーティーのメンバーには、宿に戻ったらちゃんと謝っとくんだぞ。分かったな?」
「……っ、……はい……っ!」
僕は涙を拭いながら、絞り出すような声で返事をした。
「よし。もう宿に戻って休め。討伐したオークの山は《アイテムボックス》に仕舞ってあるんだろう。その納品や素材の査定は、明日でも明後日でも構わん。体が万全になってから、持ってくればいい。それと、今回のランクアップ試験の正式な結果は、次にギルドへ来たときに伝える」
「……はい……」
「おう。もう帰って寝ろ」
ギルドマスターはそう言うと、僕の頭を大きくてゴツゴツした手で一度だけ乱暴に撫で、そのまま部屋を出ていった。
一人取り残された静かな部屋で、溢れる涙を袖で何度も拭いながら、仲間たちの待つ宿へと向かおうとソファーから立ち上がった――その瞬間だった。
勢いよく扉が開き、再び顔を覗かせたギルドマスターが、思い出したように一言告げた。
「あ、そうだ! もう一つ忘れていたことがあった。次来た時に、しっかりとあの”とてつもない従魔”の登録をしとくんだぞ!」
(あ……やっぱりそっちの件も、筒抜けだし誤魔化せなかったか……)
感動の涙が一瞬にして引っ込み、僕はただただ苦笑いするしかなかった。
ギルマスのあきれ顔を見送りながら、今度こそ本当に、仲間たちの待つ宿へと向かうのだった。




