第52話 精霊の教え
【聖光の慈雨】が寝泊まりするテントから外に出ると、小さくなったフェンとファルが嬉しそうに僕の足元へじゃれついてきた。
軍隊を相手にできるほどの威圧感を持つ聖獣たちが、今はただの犬や猫のようにお腹を見せて「くぅ〜ん」と甘えた声を上げている。
僕はそのモフモフとした毛並みを思い切り撫で回し、ひとときの癒やしタイムを満喫した。
しばらくして、魔法陣の定着作業を終えたリコルが戻ってきたので、バトンタッチして遊んでもらい、僕は夕食の準備に取り掛かる。
セルフィーさん、アンナさんもテントから出てきて、フェンとファルのモフモフに萌え死にそうな表情をしている。
リコルが作ってくれた、魔石のエネルギーで動く特製のコンロを使い、温かいスープと、今日仕留めたばかりのオークの肉を使ったステーキをジューシーに焼き上げ始める。
――と、そこへまたしても匂いにつられたセルフィーさんがやってきた。
「ちょっと、凄く良い匂いがするじゃない。あなたたち、こんな森の中でそんな温かいご馳走を食べる気なの? 匂いに誘われて魔物が寄ってくるわよ」
(匂いに誘われて寄ってきたのはセルフィーさんじゃないか)と思わなくもないのだが……。
「その点だったら大丈夫ですよ。リーノが、結界を張っているので、物音や匂いなども一切このエリアからは漏れないようになっています」
僕は前の世界ではいい年こいた大人だった。
ツッコミを入れたいところをぐっと我慢し笑顔で答えると、セルフィーさんが肩を落として呟く。
「そうだったわね……はぁ……ヤノスくんたちだったらそうなのよね。なんだか驚き疲れたわ」
(どうも、僕たちが普通じゃないような言いようだ)
「いやいやいや! そうじゃないの! その、その火を一切使わない魔法の調理器具は一体何なのよ!?」
一瞬前に「驚き疲れた」と言っていたセルフィーさんが、またしても獲物を狙うような強い目の圧力で迫ってくる。
「分かりました、分かりましたから! みなさんの分の料理も当然作りますし、その”魔石コンロ”も後でリコルに作らせますから!」
「ふふん、交渉成立ね。物わかりのいい弟子を持って幸せだわ。ねえみんな!? 夕食確保したわよ!」
少し離れた場所でフェンとファルを夢中で可愛がっていたアンナさんが、セルフィーさんの声に満面の笑みで親指を立てて応じる。
そんなアンナさんにリコルが「一緒に食べられるようになって良かったですね」と笑顔で応じている。
(弟子になったつもりもないし……? 僕たちの方が教えたりしてない??)
セルフィーさんはさっきまでの鋭い目はどこへやら、るんるんとした足取りで自分たちのテントへと戻っていった。
「ゲンキンな人だなぁ」と思わず苦笑してしまう。
◇ ◇ ◇
夕食を一緒に済ませた僕たちは、今、心地よく爆ぜる焚き火を囲んで穏やかな時間を過ごしていた。
少し離れた場所では、ガイスさんが「ほう、これが魔石コンロか……!」と、リコルから使い方を丁寧に教わっている。
ちなみにセルフィーさんは料理が全くできないらしく、それはアンナさんも同じみたいだった。
「あの……【聖光の慈雨】のみなさん、僕たちと同じ野営地にいて、本当に良かったんですか? ランクアップ試験……」
僕がふと尋ねると、ギルさんが苦笑しながらスープの残りを呑み干した。
いつの間にか、彼らのテントは僕たちのテントのすぐ近くへと引っ越してきている。
「何を言うか。あんな豪邸のようなテントで寝泊まりできて、家にいるのと変わりない温かい食事が摂れるのだぞ? これはもう”野宿の技術を測る試験”の次元を遥かに超えている」
笑顔で話していたギルさんが、次には小声になる。
「夜通しの見張りを代わってやることは規律上できんが、やることをやっていればなんの問題もない。あの子たちが外にいるなら、近づいてくる魔物もほとんどいないだろうしな」
ギルさんは苦笑いし、僕ももう笑ってごまかすしかなかった。
「ところで――」
ギルさんが表情を引き締め、静かに声を潜める。
「今日、オークの集落を襲撃したときにずっと見ていて思ったのだが、ヤノス君やリコルさんをそこまで鍛え上げたのは……」
そう言って、ギルさんは静かに佇むリーノとフィーネの方を見やった。
「剣はわたし。弓はフィーネ。……鍛えた。――槍も当然」
リーノがぶっきらぼうに応じる。
ギルさんは深く感心したように息を吐いた。
「やはりそうか。”念話”という高度な術で瞬時に連絡を取り合うこともそうですが、驚くほど正確に精霊から情報を得られている。また、魔法の知識についても、我が国最高峰の学者が逆立ちしても足元に及ばないほどお詳しい。失礼ですが、お二方は一体……」
焚き火の光に照らされながら、リーノが淡々と言葉を紡ぐ。
「”精霊女王”リーノ」
「私は、”森の大精霊”のフィーネです」
その瞬間、夜の森が水を打ったように静まり返った。
ギルさんとガイスさんは「……は?」と声を漏らしたまま完全に思考が停止し、持っていた木皿を落としそうになっている。
そして何より、最も凄まじいリアクションをしたのはセルフィーさんだった。
彼女はドサリと丸太の椅子から這い出るように地面へ崩れ落ちると、見たこともないほどの勢いで地面に両手と額を擦りつけ、全身をガタガタと震わせながら”平伏”したのだ。
「我がエルフ族では、日々の森の恵みはすべて”森の大精霊様”からの贈り物。そう教わり、毎日感謝を捧げて育ちます。そして”森の大精霊様”の御名がフィーネ様、”精霊女王様”の御名がリーノ様であると……! 存じ上げておきながら……」
セルフィーさんの一瞬の変わりように、リーノとフィーネ以外の全員が唖然としている。
「お二人の御名を存じ上げておきながらの、これまでの数々の非礼、平にお許しください。ま、まさか本当にお目にかかることができるとは……っ! 最高の栄誉で御座います」
涙目で地面に頭を全力でこすりつける最高位の冒険者に、リーノはパチクリと瞬きをした。
僕もリコルもセルフィーさんの突然の変わりように、ただ呆然とことの成り行きを見守るしかなかった。
「……リーノでいい」
「私も、フィーネと呼んでくださいな。そんなに畏まられては、せっかくの団らんのひとときが窮屈になってしまいますわ」
「ありがたき……ありがたきお言葉です……っ!」
「月に一度、大樹へと”大樹の森”の恵みを供え物として持ってこられる、エルフ族の方々がいましたが……そういえば、あなたも子供の頃、大人の方々に連れられてよく来ていましたね」
セルフィーさんは恐る恐る顔を上げ、未だに信じられないといった様子で胸元を押さえている。
「わ、私の幼い頃のことまで覚えていただいていたとは……これ以上の栄誉はございません!」
ギルさんもようやく正気を取り戻し、姿勢を正して深く一礼した。
「今日お聞きした数々の奇跡、”念話”や空間の”固定化”、そしてお二人の正体については、我ら【聖光の慈雨】の四人、命に代えても決して口外いたしません。どうぞご安心ください」
フィーネとリーノが視線を交わし、どうやら念話で話し合った後、フィーネが穏やかな微笑みをたたえて話を続けた。
「ふふ、ありがとうございます。ですが、体内魔素や魔力について、あるいは詠唱や魔法陣、下級精霊との関わり方についての”見解”であれば、他の方へお話しいただいて結構ですよ」
「えっ、よろしいのですか?」
「ええ。精霊の存在をただ利用するだけでなく、自然への畏敬の念、そして感謝の念を持つことが、巡り巡って魔法の威力を高めることになります。――その”人間の純粋な想い”こそが、私たち精霊の新たな力になるのですから。その想いが世界に広がり、私たち精霊が強くなることが、ひいては人々へと還元されていくのです」
「……自然への、感謝。素晴らしい教えだ。深く胸に刻みましょう」
ギルさんは深く感動した様子で何度も頷いていた。
張り詰めていた神秘的な空気が一段落したところで、彼は夜空を見上げる。
「さて、夜通しの見張りもありますし、今夜はこれで一旦お開きとしましょうか」
ギルさんの言葉を合図に、一人一人が自分のテントへ戻って体を休めたり、最初の見張りに就いたりと、それぞれの役目へと動き出す。
「みんな、さっき話し合っていた通り、最初の見張りが僕とフェン。次がリーノとフィーネ。最後がリコルとファルの順でいいかな?」
「分かった」
「ええ、分かったわ、ヤノス」
「はーい!」
三人の頼もしい返事を聞きながら、僕は夜の静寂へと視線を向けた。
昼間のオーク戦、そしてテント内でのカオスな尋問を乗り越え、ようやく訪れた穏やかな夜。
しかし、明日この森の先で、さらなる激動の事件が待ち受けていることを、今の僕はまだ知る由もなかった。




