第39話 リーノの過去
【第三者視点】
その頃、ギルドマスターのヴァルグドは、執務室の机で一人、物思いに耽っていた。
【聖光の慈雨】のメンバーはとうにギルドを去っており、職員には「しばらく集中して仕事をするから、緊急時以外は誰も取り次ぐな」と言い渡してある。
「仕事に専念する」と言った瞬間、周囲の職員全員が「あのギルドマスターが……!?」と言わんばかりの驚愕の顔を向け、慌てて目を逸らしたことは、記憶の隅に追いやることにした。日頃の自分の行いのせいだと、軽く自分に言い聞かせている。
書類に目を走らせていると、ふと、夕暮れの室内に不自然な光が差し込んできた。
それは、ただの夕陽ではない。きらきらと輝きを変える、美しい虹色の光だった。
ハッとして顔を上げる。
ヴァルグドは静かに椅子から立ち上がると、その光が収束していく正面のソファーへと歩み寄り、腰を下ろした。
「……リーノ様、でよろしいのかな?」
「やはり、気付いていたのね。私の姿が見えているの?」
光の中から、精霊女王としての姿を現したリーノが、ギルドマスターの正面のソファーにちょこんと腰掛けた。
「見えているわけではない。いや、見えている、と言うべきか? ……まあ、空中に七色に光輝いている所が見えた、と言った方が正しいな」
納得したように優しく頷くリーノに対し、ヴァルグドは居住まいを正して問いかけた。
「間違いなく、リーノ様ですね?」
「その”様”とか、慣れない敬語はやめて」
「あ、いや……わかった。じゃあ、リーノさんと呼ばせてもらう。これ以上の呼び捨ては勘弁してくれ。あの世で爺に怒鳴られる」
「爺に? ――あなた、もしかして、ヴォルカルの孫?」
「ああ、そうだ。爺から何度も、何度も聞かされて育ったよ。世界で最も美しい光、七色に光る精霊女王のことをな」
リーノはクスッと一瞬だけ笑みをこぼした。けれど、すぐにその表情に寂しげな色が混ざる。
「……ヴォルカルは、どうしている?」
「百年前に亡くなったよ。死ぬ間際まで、ずっと後悔していた。<あの時、ついて行くべきだった。ついて行ったところで、何もできなかっただろうが、それでも俺はついて行くべきだったんだ>ってな」
「そう……ヴォルカルは、いつも私のことを気にかけてくれていた」
悲しげに視線を落とすリーノ。
いつも無表情で、どこか達観している彼女からは想像もつかないほど、愁いを帯びた顔だった。
「ヤノス……あの子の構え、ヴォルカルにそっくり。最後の、虚像を伴ったフェイントは、ヴォルカルが最も得意としていた太刀筋。……私も、あの子の剣筋を見て、時々思い出していた」
「ああ。さっきの戦いの後、つい、爺を思い出させてくれたことへの礼を口にしてしまったよ」
「精霊の耳はごまかせない。あんな小声でも、しっかりと届いている」
「……そういうリーノさんだって、俺がヤノスと剣を交えている間、ずっと横でハラハラしながら見てただろ。特にあの技を、こんな幼い子供が完全に身につけているとは思わなかった。最初に受けた瞬間は、流石に俺も心臓が跳ね上がったぞ」
「……あの子の才覚よ。ヴァルカルは、最後まで不器用な男だったんだね」
「爺は言ってたよ。<最高の弟子であるリーノ様の一番大切な場面で、一人にしてしまった>って、ずっと悔やんでた」
「それは仕方のないこと。あの頃のこの街は、魔物の恐怖に追い詰められていた。結界を張ったばかりで、はぐれた邪怪が街を襲っていた。街でナンバーワンの冒険者パーティーから、主力が一人欠けるなんて、許される状況じゃなかった。もし彼がついてくると言っても、私が全力で反対していた」
「爺もそれは解っていたんだろうが、それでも<もっと鍛えてやれていれば>とか、色々と言い残していったよ」
リーノは小さく頭を振ると、いつもの冷静な表情へと戻った。
「さあ、思い出話はここまで。ヤノスとリコルのことは、よろしく頼んだわよ。あなたの……そうね、”甥っ子弟子”に当たるのだから」
「ああ、任せておいてくれ。……それと、いつまでもそうして姿を隠したままでは、いざという時にあの子たちを守れなくなる時がくるかもしれない」
「解っている。近いうちに、適当な理由をつけて、あの子たちの輪に加わるから」
「それがいい。……時に、リーノさん。さっき、七色の光の近くに……もう一つ別の強い緑色の光を感じたんだが……」
「それは森の大精霊のフィーネ。よろしく。……それはそうと、以前この街に来た時は、力がみなぎるのを感じたけど、今は全くない。そのあたりも、徐々に変えていかなくては……これからの邪怪との戦いは、間違いなく厳しいものになるから……」
「そうだな……。その点は俺たちも危惧していた。爺からも”今の状況は良くない”と聞かされている。その件についても、全力で協力させてもらうよ」
「ありがとう。……じゃあね」
そう言って、リーノは光の粒子となってフッと消え去った。
主を失ったソファーを、ヴァルグドはただ静かに、いつまでも眺めていた。




