第38話 安らぎの宿
その宿はギルドマスターが言っていたとおり、冒険者ギルドからそれほど離れておらず、僕たちは迷うことなくすぐに見つけることができた。
宿の中に入ると、そこは広々としたスペースになっていた。テーブルと椅子が整然と並べられている様子から、一階は食事を取る場所なのだろう。
その奥にカウンターがあり、僕たちがドアを開けた音を聞きつけたのか、奥から大柄の丸みのある耳を持った女性が出てきた。
「何の用だい。うちは冒険者への依頼なんて出してないよ」
厳しい口調だったけれど、その奥には突っぱねきれない優しさが感じられる声だった。
僕たちを見ながら冒険者と言い、自分の言葉に一瞬だけ戸惑うような、そんな感じを受ける。
少し緊張して僕の服の袖を引いているリコルの手を優しく握り、カウンターの前まで進み出ると、懐からギルドマスターの手紙を取り出して差し出した。
「ギルドマスターのヴァルグドさんからの紹介状です。ここに泊めていただけないでしょうか」
「はぁあ? ヴァルグドからの紹介だって……? ちょっと中を見させてもらうよ」
女将さんは怪訝そうに眉をひそめながら、僕が差し出した紹介状を広げた。
やがて、書かれている中身を読み進めるうちに、彼女は大きな、本当に大きなため息をついてそっと目を閉じた。
ヴァルグドさんが何を考えてこの二人をよこしたのか、その意図を測りかねているかのような、何かを深く考え込んでいるようだった。
重苦しい沈黙が流れた後、女将さんは諦めたように目を開けて僕たちを見た。
「……、一泊一人、二食付きで銀貨2枚と大銅貨5枚。二人だと、銀貨5枚になるよ。大丈夫かい」
料金を聞いて、僕は頭の中で素早く計算をする。
グリアードからヴァルハイトへ移動する間に大量に討伐した、ゴブリンの討伐報酬やコボルトの素材報酬。
さらにはグリアードの執行官のアナエルさんからこっそりともらったお金もある。
ギルドの買い取り窓口で換金も済ませてきたから、今の僕たちの手元には、二人で二、三ヶ月は余裕で泊まることができるだけの十分な蓄えがあった。
隣のリコルに目を向けると、彼女も宿代を聞いて緊張が少しほぐれたのか、笑みを湛えてコクリと頷いていた。
「では、まずは十日分払います。二人で十日分だから、大銀貨5枚でいいですね」
この世界でのお金については、ギルドで魔物の討伐部位や素材を売る際に、ミリアさんから詳しく聞いていたので、迷うことなくすぐに計算できた。
「……まぁ! こんなに小さいのに、もうそんな計算ができるのかい。すごいねぇ。――あんた! あんた、ちょっと出てきなよ!」
女将さんが奥に向かって大声を張り上げる。
「そうそう、自己紹介が遅れたね。私はこの宿の女将でクリアナ。でもって、今出てきたのが、うちの偏屈な亭主さ、ほら、自己紹介すんだよ!」
「あ、おう……。厨房を任されてる。料理担当のガスサスだ。……ああ、これか。珍しいか?」
のっそりと奥から現れた、これまた大柄な男の人が、自分の丸みのある耳をポリポリと掻きながら照れくさそうに言った。
「俺もかみさんも”熊人族”だ。よろしくな」
「ところであんた。まだ夕食には早いけど、軽くつまめるものでも出してやってよ。それと……これ。ヴァルグドからの、この子たちの紹介状だ。ちゃんと読んでおくんだよ」
「ヴァルグドからの紹介だって……?」
ご夫婦のどこか圧倒されるような存在感に、すっかり自分たちの挨拶を忘れていたことに気づく。
「すみません、申し遅れました。僕はヤノスと言います。それで、隣にいるのが妹の――」
「リコルです!」
「「よろしくお願いします!」」
二人で声を揃えて丁寧に頭を下げると、ガスサスさんは表情を和らげた。
「……おう、我が家だと思ってくつろいでくれ」
そう言った後、ガスサスさんは手元の手紙を見つめながら、「ヴァルグドの野郎、何を考えてやがる……」と呟き、首を傾げながら奥へと退いていった。
「旅で疲れてるだろう? すぐに部屋へ案内するよ。食べ物はできたら部屋へ運んであげるから、それでいいかい?」
「「何から何まで、ありがとうございます!」」
僕とリコルが声を揃えて同時に頭を下げると、クリアナさんは嬉しそうに目元を細めた。
「いいってことさ。さあ、ついておいで。部屋は少し悪いけど、三階の端になるよ。あ、言い忘れてたけど二人部屋になる。兄妹だから、一緒でも構わないかい?」
「「もちろん大丈夫です」」
「よし。じゃあ階段、気をつけるんだよ」
彼女は優しく声をかけながら、僕たちを上階へと案内してくれた。
案内された部屋は、言われた通りベッドが二つ並んでいた。質素ではあるけれど、狭苦しさはなく、隅々まで綺麗に掃除された清潔な部屋だった。
「言い忘れたけど、この街は朝の六時、昼の十二時、夕方の六時に鐘が鳴る。朝の鐘と夕方の鐘が鳴ったら、一階で食事が取れるようになるからね」
クリアナさんはそう言って、パタンと戸を閉めて部屋を後にした。
彼女の足音が遠ざかるのを待って、それまで気配を消していたリーノとフィーネがふわりと姿を現した。
二人は大きなため息をつき、そのままベッドの上に大の字になって横たわる。
この世界では、熊人族などの大柄な人種向けに設計されているせいか、ベッドが極めて大きい。
横幅だけで二メートル近くある。
ベッドを横向きに使えば、二人並んでも十分に余裕を持って休めそうだった。
グリアードのお屋敷では、常にメイドさんたちの目があったので、こうして自由に姿を現すことができなかった。
けれど、ここならその心配はない。二人はここぞとばかりに手足を伸ばし、存分にくつろいでいる。
そんな時だった、はっと気づいたようにリーノが起き上がった。ベッドからすっと立ち上がり、静かな動作で窓際へと歩み寄る。
「ちょっと、街の様子を見てくるわ」
彼女はそう言い残すと、陽が傾きかけた窓の外へと、風のように消えていった。
『ねえ、フィーネ。リーノはどうかしたのかな?』
念話で尋ねてみたけれど、目を閉じて横になったままのフィーネからは、
『大丈夫よ。心配いらないわ』
という短い答えが返ってくるだけだった。




